「──魅蜻がいなくなっただってっ?」

おんぼろな旅籠に、少女の厳しい声音が響いた。幼さを含んで鈴のようなそれは、何故だか人を圧し潰すような威力さえもある。

少女、白雪の前には金髪碧眼の青年、翡翠。──整ったその顔からは血の気が失せている。

しかしそれに負けず劣らず、白雪の顔もいつもに増した真っ青だった。

そう、言葉通りに相棒の魅蜻がいなくなったのだ。

白雪達が今いるここは、山の麓にある小さな村のいかにも壊れそうな旅籠。

数刻前、四人は下山してくるなり真っ先にここで質素な食事をとった。

それから、白雪は黒銀と地図を広げていると、退屈そうにしている魅蜻を翡翠は外に連れ出した。

毎度のことなので、白雪は黒銀と地図を見ながら二人を見送った。──のはいいが、今に至る。

先程手ぶらで返ってきた翡翠に、魅蜻はどうしたのかと聞くと、予想だにしない言葉が返ってきて、思わず巻き戻した地図をぐしゃりと握り潰してしまった。

「……少し目を離した隙に。申し訳ありません」

「──白雪」

「わかってる。……捜そう」

深々と頭を下げた翡翠に見兼ねた黒銀が、白雪の名を呼ぶ。

わかっている。貴族に簡単に頭を下げさせてはいけないことくらい。否、彼は黒銀の大切な人なのだから。

「……捜してくる」

白雪は焦る気持ちをぐっと堪え、上衣も掛けずに旅籠を飛び出した。

「まて、白雪……ったく、ほんっと魅蜻のことになると無鉄砲だな、姫さんは。翡翠、俺達も行くぞ」

「……ええ」

二人も後を追うように旅籠を後にした。


*


──ここ、どこ。

ぼんやりと周りを見渡しても、帰り道がわからなかった。

「……あれ?」

紫の瞳に、鬱蒼と繁る草や木が目に入る。どこもかしこも同じ景色で、魅蜻は眉を潜めて、先程までのことを思い出してみた。

確か自分は翡翠と共に村を散歩していた。

【すぐに戻りますので、ここで待っていて下さいね。】

翡翠はそう言ってどこかに言った。そして、

……そして?

「…………あ、蝶」

そう、紫の羽の蝶がはらはらと魅蜻の周りを羽ばたき、誘うように村から連れ出された。……のだろう。あまり記憶はないが、そうだと言える程足が疲れを覚えていた。

今や蝶もおらず、この薄暗い山の中に魅蜻は一人。

小さく吹いた風に、ぶるりと背筋を震わせた。

「……白雪」

ぽつりと呟いて見るが、当然返答はなかった。

いつの間にか隣にいるのが当たり前になっていた彼女がどれだけ大きな存在かということが、改めて思い知った。

初めて出逢った時、浮世離れした白雪に畏怖したが、それも一瞬。優しく笑う彼女に惹かれた。

共に旅をするうちに、彼女の心に底知れなく深い闇があることを知った。それでも白雪は笑っていた。

そんな白雪を救ってあげたくて、でも自分には何も出来なくて。だから黒銀や翡翠を同行させた。

白雪以外の人間は怖かったが、白雪の闇を救って欲しかった。

とは言え、やはり彼女は相変わらず寂しそうな瞳をしている時もある。

それでも、最近は黒銀を頼っている。──あの添い寝事件以来だ。

何があったのかは知らないが、翡翠と共に町の探索から帰ると、二人揃って一つのベッドで寝ていたのだ。それも、手を繋いで。

あの日から黒銀の邪魔をしているが……、それでも、白雪の傷が少しでも癒えるなら、我慢しようと思い、今日は翡翠と散策に出たのだ。

「……白雪」

再び彼女の名前を呼んで、とぼとぼと歩き出す。

ざわざわと風で草木が揺れ、魅蜻の恐怖心を擽る。

(あの娘が化け物の連れか?)

(ああ、間違いない──誘導した甲斐があった。あれを餌に化け物を誘き寄せよう)

不意に声が聞こえた、と思いきや、次の瞬間には口元が押さえられた。

「……──っ?」

魅蜻は瞠目した。体が硬直するのを感じる。

「お前、化け物の娘──白雪の連れだな」

低く脅すような声に逃げなければという本能が働くも、背後からがっちりと固定されており身動き一つ敵わなかった。

「ほう……なかなか美人ではないか」

目の前に、黒い装束を来た男が卑下た笑みを浮かべながら近付いてくる。

「────っ!」

背筋に悪寒が走る。──気持ち悪い。

「先に喰っちまった方が良さそうだな」

その言葉に魅蜻は紫の瞳を目一杯見開いた。

「あの一匹狼が連れてるんだ。貴重なんだろう──それをめちゃくちゃにしたら奴は卒倒するだろうな」

背後の男の手がふっと退けられ解放されたかと思いきや、今度は厭らしい笑みを浮かべている男に、太い木に押さえ付けられた。

「い、やだ……」

首を振って真っ青になった顔を引きつらせると、更に男の顔には快感に満ちた笑みが広がった。

──怖い、いやだ。

ぎゅっと目を閉じた瞬間、説明し難いほど鈍く奇妙な音と、蛙が踏み潰されたような短い悲鳴が聞こえた。

不思議に思ってうっすら目を開けると、白い少女の小さな背中が映ってた。

「……──白雪」

思わず情けないほど震えた声音が漏れた。

肩越しにゆっくり振り返った白雪は、優しく笑った。

「遅くなってごめん」

たったその一言で、泣きそうなほどに胸が震えた。

「魅蜻さん」

ずるりと腰を抜かしかけた魅蜻を翡翠がやんわりと受け止め、胸の中に閉じ込めた。

「すみません」

何で翡翠が謝るのだろう、と思ったが、その体の温かさに魅蜻は言葉を発することも出来ず、ふるふると首を振るだけだった。

「……来やがったか化け物め」

口の端から流れた血を拭った男はよろよろと立ち上がり、白雪を見下ろして顔を歪め笑った。

「──卑怯な真似をするね、君たちは」

ぞっとする程冷たい白雪の声音に、黒装束の男達だけではなく、魅蜻や翡翠、それに後を追ってきた黒銀すら目を瞠った。

「そんなまやかしの術で陥れようなんてね。──魅蜻に手を出したんだ。今回ばかりは気絶だけでは済まさないよ」

冷ややかな声音にごくりと喉を鳴らしながらも、男達はクナイや刀等の得物を構えた。

「相手は丸腰だ。──行くぞ」

「ああ」

男達は目配せをしてから、一斉に白雪に飛び掛かってくる。

「白雪……っ」

魅蜻が駆け寄ろうとするも、呆気なく翡翠に押し留められた。

飛び掛かってくる男達に動じることなく微動だにしない白雪の周りに、ゆるやかな竜巻が起こる。

と、次の瞬間にはそれは鋭い風の刃となって男達の体を切り刻んでいく。

「ぐあ……っ」

僅かな鮮血が体の色々な箇所から飛び散る。

「な……」

男達は畏怖を灯した瞳で白雪を見た。

普段なら幼くあどけない顔が、ぞっとするほど冷たいものになっている。

「丸腰?面白いことを言うね。──わたしを化け物だと呼んだのは君たちだよ」

少女の周りに青白い炎を含んだ風が吹き荒れる。これには男達も顔面蒼白になった。

「っひ……!」

「逃がさないよ」

踵を返そうとした男達を炎で囲み、ゆっくり音もなく近付く。

「黒銀、刀貸して」

最近調達したばかりの、黒銀の腰に吊るされた刀を手だけ伸ばしてせがむ。

「黒銀」

「……わかった」

仕方がないというように溜め息をついて鞘ごと投げ寄越したそれをぱしりと受け取った瞬間、男達はこれ以上ないほど青くなった。

「覚悟は出来てるよね、勿論」

うっすらと笑んだ少女は氷のように冷たく、彼等を氷づけるには十分だった。

すらり、と引き抜いたそれを振り上げた刹那──、

「だ、だめ……!」

後ろから魅蜻に飛び付かれ、思わずつんのめる。が、何とか踏ん張り、苦笑を滲ませ振り返った。

「えーと、魅蜻?」

「だめ、白雪……殺しちゃだめ……」

自分の為に手を汚さないで。そう目で訴える魅蜻に、彼女を離した翡翠に責めるような視線をやった。すると、苦笑した翡翠は肩を竦めたのだった。

「しょーがないなあ」

ぽん、と魅蜻の頭を撫でて、白雪は溜め息混じりに笑った。

ザン……ッ!

「「…………っ!」」

黒装束の男達の間に、刀を思いきり突き刺すと、二人は恐怖に目を見開きながら硬直した。

「一つ教えてあげる。忍が感情を剥き出しにするのはいただけないよ。──それと、今度魅蜻を狙ったら首と銅を離すから」

最後だけうんと声を低くして言うと、彼等を囲っていた青い炎が一瞬で消える。

男達、忍は声にならない悲鳴を挙げて山奥に消えるように駆けていった。

忍も形無しだ、なんて思っていると、背中に抱きついたままの魅蜻の腕に力がこもった。さらに言うと、首に腕を回されているので当然苦しい。

「み……かげ」

「白雪のばか……!」

珍しく声を荒けだ魅蜻に、白雪はぱちくりと目を瞬かせた。

「み……」

「もう、無茶はしないで!私知ってる……白雪がそれ使うと、体悪くなること……知ってる!」

「え……あー」

魅蜻の顔はこちらからは見ることが出来ないけど、多分痛そうな顔をしているのだろう。

意外にもばれていたことに返事を濁しながら答えあぐねていると、自分を抱き締める魅蜻の腕の力がふっと抜け、思わず白雪は地面にへなりと座り込んだ。

魅蜻を見上げると、紫の瞳は泣くのを我慢するように白雪の銀色の瞳を捉えていた。

「──わたしのせいで危ない目に遭わせてごめんね」

穏やかな口調で言うと、魅蜻はついに涙を溢れさせ、とうとう崩れ落ち、泣きじゃくりだした。

「もっと自分を大事に、して……どこにも行かない、で……」

肩を震わせて嗚咽する少女を優しく抱き締め、何度もごめんねと謝った。

何度そうしたか覚えてはいないが、どっぷりと日が暮れ、辺りが闇に包まれた時に、泣き付かれた魅蜻は寝息を立てていた。

「魅蜻……ごめんね」

何のごめんねかはわからないごめんを呟き、そっと紫の髪を撫でた。

魅蜻を抱き上げようとした白雪を止め、翡翠が軽々と魅蜻を抱き上げた。

「ありがとう……」

「いいえ、私が離したくないんです、もう」

呟くように言った翡翠の目に憂いた光が見えたような気がして、白雪は苦笑した。

いつか魅蜻を盗られるかもしれない、なんて思うと寂しくはあったが、微笑ましくもあった。

「宿に戻りましょうか」

と言って歩き出した翡翠を、白雪は立ち上がってその後ろ姿をぼんやり見つめていた。

「白雪」

背後から黒銀に声を掛けられ、のろのろと振り返ると、苦笑した顔があった。

「──黒銀、これ……ありがとう」

地面に突き刺した刀をずぼっと抜き、手拭いで土を拭って鞘に収め、黒銀に手渡した。

「──魅蜻に言われなくても殺す気なんかなかったんだろう?」

不意にすばりと言い当てられ、白雪は目を真ん丸くして、それから小さく息をついて苦笑して見せた。

「──敵わないなあ」

これが仲間というものなのだろうか。

「ほら、行くぞじゃじゃ馬」

「あ、待ってよっ」

歩き出した漆黒の青年を、白銀の少女は追いかけた。




初めて人を好きになった。

初めて護りたいと思った。

──『魅蜻』。

どこか涼しげな声音が心地よく、名前を呼ばれる度嬉しくなる。

この喜びを、幸せを壊したくないから──。

満月のように輝く貴女を、私が漆黒の空となりより一層綺麗に魅せてあげる。

だから私も貴女の名前を呼ぶ。

「……──白雪」



End.

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