木の上の幹に腰掛けながら、果樹園から盗んできた果物をかじる。

「んー、うま」

やはり城となればその辺のものとは違う。みずみずしくてとにかく旨い。あっという間に平らげ、指をぺろりと嘗める。


青年の紅の瞳が闇夜に爛々と輝く。

「食べ物は美味しいけど、不穏だなあー、城ってのは」

あの男が皇子とは思ってもみなかった。城に近付くにつれ、まさかとは思っていたが。

それにしてもあれだけ白雪にべったりだった男は、今や離れで一人苦悶しているじゃないか。いいザマだ。

隻影はふんと鼻で笑い、くああと欠伸をする。

――白雪が壊されていくのなんか見たくないなあ。――どっちかと言えば、壊したい方なんだよね。

あの気丈な娘があれほどまで苦しんだ姿は見たことがない。きっと消えない傷痕にもがき苦しんでいるのだ。隻影だから、わかる。隻影にしか、わからない。

――にしても、

「ここは空気が悪いなあ」

ひらひらと飛び回る真っ白な蝶を片手でくしゃりと潰し、呟いた。





朝、朝食には白雪も黒銀も姿を見せなかった。それと、翔馬も。――ますます不安が募る。

「どうやら第三皇子殿はすっかりあの奇妙な娘に虜なようですな」

「あの娘が翔馬の皇子様をたぶらかしているんじゃなくて?」

「大体あの娘はどこの馬の骨なのかしら」

張本人達がいないことをいいことに、面々好き勝手言っている。これには魅蜻も頭にきた。が、隣の翡翠が宥めるような、そんな視線を送ってきたのでぐっと抑える


――わかっている。けど、悔しい。大好きな白雪をそんな風に言われて。

だけども歯向かうことなど出来ず、ただじっと堪えていた。じっと、料理を睨みながら。

それからようやく朝食が終わり、魅蜻は翡翠と庭園を散歩することになった。

「お仕事、大丈夫なの……?」

「ええ、ごっそりと奪い取られてしまいましたから」

広い庭園を歩きながら会話をする。

「……ねえ翡翠。このままでいいのかな」

ぽつり、と本音が漏れる。

今朝侍女達のお喋りがたまたま耳に入ったのだが、どうやら白雪は元気がないみたいなのだ。あれだけドレスを前に暴れていた少女が萎れた花のような様を彼女達は心配していた。

中には白雪の外見を言う者もいたが、少なくともあの舞踏会の日に彼女を取り押さえて少女の美貌に磨きをかけていた者達は純粋に心配している。――食事を召し上がらない、と話していた。

どうやらあの翔馬という第三皇子が白雪に付きっきりだそうだ。

「そうですね、私達では如何ともし難いですね……」

さすがの翡翠も顔を曇らせて言った。そうなのだ、これはあの二人の問題なのだ。

「――黒銀は、王位継承の件もありますからね」

少し声をひそめた翡翠は、静かな東屋の椅子に腰を降ろし、魅蜻にも座るように促す。

「……黒銀が、王様」

すとんと座り、呟いてみる。――あまり想像が出来ない。

「多分断るでしょうね。しかし、陛下がそれを受け入れるかはわかりません。彼はああ見えて指揮能力にも長けてますし、人脈もあれば人望も厚く、おまけに文武両道です」

……なぜだろう。こう聞くと、黒銀が凄い人物に思えてくる。

魅蜻は、旅最中の黒銀しか知らない。確かに強いくて子供に優しくて。ちょっと強引で、意地悪なとこもあるけど、何だかんだで優しい人間だと思う。

だが、めっぽう白雪に弱くて、情けない姿もたびたび。

そんな黒銀が、皇子様。

「もし、黒銀が、王様になったら……白雪はどうするんだろう」

ぽつり、と溢れる。

あれだけ突っ張っていた少女だが、旅をしていくうちに黒銀に気を許すようになったのは手に取るようにわかった。少し悔しいが、白雪の普段見れないような顔――少女自身は気付いていないと思うが――を引き出したのは、紛れもなく黒銀なのだ。彼は人の心にするりと入り込める力がある。

そんな黒銀が帝になれば、白雪は?旅に戻るのだろうか。そうなれば、魅蜻は……、

――翡翠とも、お別れ?

さっと身体が凍り付く。考えてもみなかった。

弾くように顔を上げると、翡翠は驚いたように目を瞬いた。あまりの形相に息を呑んでいる。

「……やだ」

「え?」

ぼそ、と呟くと、彼は困惑したようにどうしたんですかと聞き返した。

「――お別れ、は、やだ……」

「――!」

虚を衝かれたように目を瞠り、それから気付けば翡翠の腕に抱き締められていた。

「……翡、翠?」

「――――好きです」

魅蜻は息を呑んで、自分の耳を疑った。今、なんて言ったのだろう。聞き間違えじゃなければ、

「このタイミングで言うのは卑怯かもしれませんが、魅蜻さん。私は貴女が好きです」

耳元で囁くような声は熱っぽくて、一気に心臓が跳ね上がり、騒ぎ出す。

「私も、貴女と離れたくない」

自分と同じように速まった鼓動を感じ、なんだか泣きたくなった。それは悲しいからじゃなくて、同じ気持ちだったことを感じてだ。

「わた、私、も……翡翠が、好きだって、この前、気付いた」

たどたどしく、それでも精一杯真摯に伝えると、一層力強く抱き締められた。少し苦しいけど、今までこんなに力を込めて抱き締められたことはなかったので、凄く嬉しい。

「――ずっと傍にいてください」

――翡翠。

「傍に、いたい……」

だけど。――もし黒銀が帝になり翡翠も彼の傍から離れず、白雪を独りにしてしまったら。

そう思うと、“傍にいる”とは言えなかった。

だがもし白雪がここにいてくれるなら。魅蜻は迷うことがないのに。

――そうなったらいいのに。





結局白雪は昨夜もスープを一口すすっただけであった。――このままだと倒れかねない。

「翔馬さま?」

筆を止めて眉間にくっきりと皺をよせる翔馬を、白雪は心配そうに声を掛けてきた。蘭珠の心配が効いたのか、白雪はもぬけの殻の状態からは脱出した。とりあえずは、だが。しかし平生の態度を装った彼女は、どこか痛々しい。

「すまぬ、考え事をしていた」

止まっていた手を再び動かすと、少女はふかふかのソファーに座ったままの少女は背凭れに凭れかかる。

なんとなくこの少女を独りにしてはいけないと思い、昨日も同じベッドで寝かせた。朝も朝食の場には行かず、この私室で食事をとった――といっても白雪は果物を少し口にしただけ――。

仕事部屋があるが、常日頃から部屋でこなす癖があるから今日は自分の机に座り書類を捌いていく。

昨日は仕事部屋でしていたが戻ってくれば、真っ暗で冷たい部屋の窓から少女が身を乗り出していた。あれには度肝を抜かれた。

そして白雪は何かに怯えるようにすがってきた。細い肩を震わせ。

慶浚と睨み合っていた時は強気な娘だと思っていたが、よくよく見たら幼子のように壊れやすい生き物なのだ。

コンコン、と扉が鳴った。

「入れ」

それに応じるように、扉が開いた。現れたのは珍しくも、白雪と睨み合っていたあの慶浚だった。

慶浚はつかつかと入って来るなり略礼をとり、相変わらずの無表情で口を開いた。

「帝様より伝言を仰せつかっております」

「なんと?」

「今夜の晩餐会に、帝様の代理に第三皇子をと。御気分が優れないようで」

「ふむ……承知した。来賓リストを寄越せ」

半月に一度、外部から客を招き晩餐会を行う。所謂交流の場だ。名家の貴族達や高位な役人が集まる。いくら帝とてそんな連中に不躾なことは出来ない。本来なら代理は兄がやるべきことなのだが、この現状だ。回ってくるのは当たり前といえよう。

慶浚が懐から取り出したリスト表を受け取り、ざっと目を通す。

「――ふむ、厄介な相手達ばかりだな」

リストに載っている大半の名前は、確か翔馬を良い目で見ていない者達ばかりだ。

元から、翔馬は“変わり者”と呼ばれ、出来の良い兄達と比べられてはどこか敬遠されるのだ。

何が変わっているのかなど如何せん自分ではわからないが、多分二人の兄のようにあまり自ら人に近寄らないことも含まれてはいると思う。

いや、違う。自分が皇子に相応しくない血だからだ。“完全”じゃないから、疎まれてさえいる。

「まあ良い、晩餐会には出席する。確かこの老女は足が不自由だったはずだ、迎えを寄越してやれ。それにこのご令嬢は花アレルギーだから花は置くな。造花くらいならよい。案内も庭園とは逆側からしてやれ、よいな」

「……は」

短く、慶浚は返事をした。何を考えているかはよくわからぬ声音だ。

リストを押し返し、「下がれ」と一言命じると、礼をしてから慶浚は出ていった。彼独特の、音を立てない歩き方で。

静かに扉が閉まり、翔馬はふうと息をついた。――どうもあの男は苦手だ。

それは白雪も同じらしく、彼が出ていくと同時にほっと息を吐いている。

あれほどまでに険悪な空気を漂わせていたあの二人を見てしまえば、仲が悪いのは一目瞭然。

おそらく慶浚は、白雪が気に入らないのだろう。彼は黒銀の側近なのだ。同時に、城の特殊部隊の第一小隊の隊長をしているから、常に黒銀の側にいられるわけじゃないが。慶浚は、黒銀を尊敬している。それも、尋常じゃないほど。そんな彼の主人が自分にではなく、白雪を気にかけているのだ。それも、得体もしれない変わった風貌の小娘を、だ。

――気に入らないのは当然か。いや、しかしあれはやり過ぎな気がするな。

手首を捻りあげた慶浚。あれは割かし力が籠められていた。そうでなければ手首にあれほど酷い手形が残るはずがない。

それに、今まで翔馬という人間に関与してこなかった慶浚が、あれしきのことで掴みあげるか。――よっぽど嫌っているのか。

それにしても、どうしたものか。と、ちらりと白雪を見ると、丁度また彼女をこちらを見ていたらしく、ぱちりと目が合った。

「来たいか?」

そう聞いてみると、白雪は間髪入れず首を振って拒否をした。――それもそうだ。少女の容姿は“彼ら”の格好の餌食なのだから。

「うむ。昼過ぎには出るから、部屋は好きに使えばよい」

こくり、と少女は小さく頷いた。笑いもしなければ寂しげにすることもない、ただ感情のない表情。

「……身体が大事ないのなら、昼は東屋で取ろう」

おもむろに筆を置いて、立ち上がる。そしてソファーに座った少女をじっと見下ろすと、白雪はどこか困惑の色を滲ませこちらを見上げた。

――最初とは随分変わってしまったな。

飄々として掴み所がないような、初対面ではそんな風に感じたのだが、今では弱った仔猫だ。鳴くことすらままならない。

そうしたのは黒銀で――させたのは自分かもしれないが――、それでも閉じ籠もりきりの兄には少し呆れ、少し腹が立つ。

――あれだけ女の扱いが上手いくせに、なんという体たらくだ。我が兄ながら情けない。
あれが動かぬというならば、自分が動くしかない。

「扉の前におるからさっさと着替えて出てこい。侍女は確か……蘭珠といったな、あれを呼ぶ。予は待たされるのが嫌いだ」

まだ目を瞬かせている少女にそれだけ言ってから背を向けて、部屋を出た。それからあの栗毛の侍女を呼びつけ、白雪の身支度を任せた。

ほんのしばらくしてから、部屋から出てきた白雪は、濃緑の動きやすそうなドレスに身を包み、長い銀髪は左右の耳の上で結ばれていた。派手ではない衣装が彼女を引き立てており、清楚に見える。足元はヒールの高くない靴がちらりと見えていた。そう言えば舞踏会の時には歩きにくそうにしていた。

「お待たせいたしました、第三皇子様」

蘭珠が困惑したままの白雪の背を押し、前に出す。

「うむ、ご苦労。さあ行くぞ」

少女の手を取り、翔馬は歩き出した。





1.END.

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