朝、目覚めてからの第一声。

「っきゃああっ!!」

思わず叫んでしまった。

その悲鳴に反応した翡翠が、何事だと飛び上がる。

「み、魅蜻さんっ!?」

ベッドから落ちそうになった魅蜻を引き寄せ、大丈夫ですか?と囁く。

「なな、なんで翡翠が一緒に寝てるの?それに、なんで、わ、私、こんな格好で……」

キャミソール。つまり、下着姿なわけで。ラフな格好の翡翠と同じベッドの上で、抱き合うように寝ていた。

あー、と翡翠は言いにくそうに魅蜻から目を逸らし、髪を耳にかける。

「覚えていないんですか、昨夜のこと……」

さ、昨夜の、こと?

あられもない想像を瞬時に振り払い、ごくりと唾を呑み込む。

「酒を呑んで酔っ払って寝たんですよ、魅蜻さん。なので私の部屋で寝かそうと連れてきたら、起きて……服を脱ぎ始めました。暑いといって」

「え、えええっ!?」

通りで頭ががんがんと痛いわけだが、それよりも自ら脱いだという事実に衝撃をうけた。――破廉恥だ!!

顔を真っ赤に染め上げぱくぱくとする魅蜻に翡翠はふっと苦笑した。

「一緒に寝たのはすみません、これについては言い訳も出来ません」

少し目元を染めた翡翠に、きょとんとしてしまう。そして、顔を赤くして笑う。すると、翡翠も照れたように笑った。

「とりあえず、朝食を取りましょうか」





身仕舞いをした魅蜻と翡翠は、長い廊下を肩を並べて歩く。昨日のドレスより比較的着やすいが、それでも美しいドレスを着せてもらった。

「おはようございます、翡翠様」

侍女やら兵やら貴族やらが、通る度にこちらに一礼する。

「凄いね、翡翠」

尊敬の眼差しを送ると彼は、苦笑した。

「私が凄いんじゃありませんよ。私は黒銀の教育係なだけです」

「教育係?」

首を傾げる。以前聞くと、翡翠は二十二歳、黒銀は二十一歳らしい。一歳しか離れていない彼が何を教育するのか。

「そうですね、そういえばうやむやでしたね。少し、お話ししましょうか」

と、歩きながら彼の仕事や家系、今に至るまでの経緯を、魅蜻が分かりやすいように話してくれた。

翡翠が洋の国の出なのは以前聞いたことがある。ミランツプシェという町で生まれ育ったと。

彼の父親は中々高位な官吏――つまり役人らしく、家柄も由緒のある貴族だったらしい。

そして翡翠は十歳の時にこの和の国に来た。

どうやら和の国の皇子に城に、洋の国の知識を携えた教育係が欲しかったらしく、そこにまだ幼いながらにも教養の行き届いた翡翠が抜擢された。皇子と歳が近いということもあったのだろう。

しかし翡翠は気乗りしなかった。和の国は物騒だと聞くし、何より人見知りだったのだ。

それでも父親に言われれば断ることも出来ず、こうして和の国に渡った。

すぐに第二皇子に謁見させられたが、最初の第一印象はまあどれだけ悪かった、と翡翠は苦笑しながら話した。

皇子のくせに自分より粗野で強引で。勉強の時間も脱け出すのだ。

「それも。共犯とでも言うように私を連れていくんです。嫌がっても、無理矢理、城を脱け出して城下町に」

「……今と変わらない」

「ふふ、そうでしょう。でも、ずっと制限されて親の顔色ばかり窺って生きてきた私には、新鮮でした。そのうち、楽しくなって。気づけばずっと一緒でした。脱け出す時も悪戯をする時も、怒られる時でさえ」

くすくすと笑いながら、翡翠はどこか嬉しそうに語る。

「確かに強引でしたが、権力に媚びない彼の振る舞いは好きでしたし、いつだって気にかけてくれました。彼は私のことを、友だと。『教育係である前に、お前は俺の友だ』と――」

思い出すだけでも嬉しいのか、柔らかく微笑みながら話す翡翠に、つい魅蜻も心が温かくなる。確かに二人の間には切っても切れないようなそんな固い絆があるように思える。

「まあしかし、ずっと遊び回っていることは出来なかったですね、当たり前ですけど。大人になるに連れて仕事は増えますし。だけど、一通りこなすとお忍びの旅はしていました。琥珀様もばれないようにしてくださっていたんです」

「琥珀様、って、あの、黒銀のお兄さん……?」

いなくなったっていう。と口にする前に、唇に翡翠の人差し指がやんわり当てられる。――そうだ、そのことはどうやらほぼ秘密にしていて、知っているのは極々一部だけ、それも箝口令が敷かれているとか。

「ええ、琥珀様は穏やかな人で、私にとっても兄君みたいな方です。この『翡翠』という和の国の名をつけてくださったのあの方なんです」

指を離してにこりと笑う翡翠に、へえーと頷く。表情からも、彼がその琥珀を慕っているのが見てとれる。

「……黒銀が皇子だったこと、驚いていますか?」

不意に尋ねられ、魅蜻は少し迷うも、こくりと素直に頷いた。

「……まさかあの黒銀が、皇子様だったなんて、思ってもいなかった」

「すごく周りに馴染むのが早い方ですからね。……黒銀は、身分の壁を嫌っていますから、言うに言えなかったのでしょう。騙す気はなかったんです。わかってやってくださいね」

うん、と頷いた。それくらいは、わかる。真っ直ぐなあの男にそんな悪どい行動が出来るはずがない。

「……それにしても、黒銀も白雪嬢も見ませんね」

ぽつり、と呟いた翡翠に、確かにと思う。昨日はろくに会話すら出来なかった。

「朝食の場には来るでしょう、多分」

毎日決まった時間に朝食を取るらしい。皇族と、あと許された者だけが参加出来る食事の場。勿論強制でなく、部屋で食事をとってもいいと言う。――ちなみに帝と皇后は滅多に姿を現さないらしい。

魅蜻も白雪も、参加を許されている。そのことは、白雪も知っている。

「さ、着きましたよ」

この城の扉はどこもかしこも一回り大きいと、常々思う。それに彫刻まで施されているから一々感心する。

扉を開けてくれた番兵にぺこと頭を下げて、魅蜻は中に入った翡翠の後を追いかける

「おはようございます、翡翠様」

「ご機嫌麗しゅう、翡翠様」

洗練された優雅な動きの皇族達が、次々に依ってくる。

「おはようございます皆様方。お久し振りです」

翡翠も胸に手を当て優雅に礼をとる。彼曰く、皇族は自分よりも身分が上らしい。

魅蜻も、慌てて頭を下げる。

「あらあら、可愛らしいお嬢様ね。まったく翡翠から浮わついた噂を聞かないから心配していましたのよ」

「鏡子姫様、お久し振りでございます」

彼が鏡子と呼んだ、黒目黒髪の豊満な胸の女は頬に手を当てながら艶やかに笑った。

「よかったわ、貴方もちゃんと男だったのね。硬派過ぎて酷く心配していたけれど……ふふ、貴方は歳上よりこういう子が好みなのね」

貴女、名は?と鏡子に聞かれる。

「み、魅蜻、です……」

「そう、魅蜻。大事にされなさいね」

くすり、と笑って席についた鏡子から、魅蜻は真っ赤な顔で目を逸らした。――女の自分から見ても色っぽくてどぎまぎする。

苦笑していた翡翠にそっと肩を抱かれ顔を上げると、「私達も座りましょうか」と促される。

席にはほとんど――といっても多くはないが、翡翠曰くこれが日常らしい――座っていて、魅蜻達も座る。

と、扉が開いた。

「黒銀様!」

主に女達の声が挙がる。入ってきたのは黒銀だ。すたすたと歩いて来ては、翡翠の左隣のの豪華な椅子に座る。――身分によって椅子が違うらしい。

「黒銀様お久しゅうございます。……まだ顔色が悪いようですが?」

黒銀の近くに座っている老人が心配げに声をかける。他の者達も、どこか心配そうな目を向ける。

「ああ、息災だったか。……心配いらない、少し寝不足なだけだ」

その声はあまり覇気がなく、いつもの黒銀らしくない。皇子様の黒銀はいつもこうなのだろうか。――それともやはり、王に言われたことを気に病んでいるのか。

翡翠を見上げると、彼も不審に思っていたのか眉を寄せている。

黒銀、彼がそう名前を呼ぼうとした時に、またもや扉が開く。

「すまぬ遅れた」

入ってきたのは見たことがない立派な身なりをした少年と、――淡い桃色のドレスを纏った白雪。ざわりと場がざわついた。

「白雪っ」

つい声を挙げると、俯いていた少女は顔を上げて、小さく笑った。

――白雪?

どこかおかしい。弱々しいというか、彼女らしくないというか。

「こっちだ。ほら、座れ」

亜麻色の髪の少年は椅子を引いて白雪を座らせ、自分も隣に座る。

――あれって、

「――黒銀の弟君の、第三皇子様、翔馬様ですよ」

と翡翠がひそりと教えてくれた。

なるほど。確かに彼を纏う空気は洗練されていると感心していると、食事が始まった。魅蜻は事前に軽く教えて貰った通りに、なるべく丁寧に食事をする。

――あの娘が例の?

――ええ、なんでも昨日……。

ひそひそと囁く声が響く。その目はやはりどこか軽蔑するような、そんな眼差しだった。

白雪はいつもなら飄々として受け流しているのだが、今日は少し様子が変で、料理にも手を伸ばそうとせず、どこか上の空だ。

「おい白雪、手が動いておらぬぞ」

そんな周りを目を細めて威圧するように翔馬が一瞥すると、波打ったようにぴたりと止まる。わざとらしく不自然な咳払いをした面々は、世間話などをしながら食事をする。

「お腹、空いてません」

ぼそりと呟く白雪に、翔馬は溜め息をつく。そして一口に千切った胡桃のパンを白雪の口に押し込んだ。

「むぐっ、しょ、翔馬さま……!自分で食べれますっ」

「そなたが食べろと言っても食べぬからわざわざ食べさせてやったのだろう」

「お節介です!そんなこと頼んでませんっ。」

「な、だから意を汲んでやったのだっ」

ぎゃいぎゃいと言い合う二人。――皇子相手に喧嘩を売るなんて、怖いもの知らず過ぎる。

だんっ!!

テーブルに拳を強かに打ち付ける音が響き、魅蜻はびくりと肩を竦めた。周りの者でさえも、息を呑んで、がたんと立ち上がった彼を凝視した。

「――悪い。やはり気分が優れない。これで失礼する」

黒銀は、踵を返してさっさと部屋を出ていった。ばたんっと扉が閉まると、しん、と部屋は静まり返る。

「……黒銀」

翡翠が心配そうに閉まった扉を見つめて呟く。

「気にせずともよい。食事を進めよ」

翔馬の一言に、ぎこちない空気のまま食事は再開された。

――黒銀、どうしたんだろ。

あんなに剣呑な表情の黒銀は見たことがない。殺気に満ちていたのだ、確かに。

重々しい空気の中での食事は、どれだけ美味しいものでも味気がなかった。





1.END.

BLコンテスト・グランプリ作品
「見えない臓器の名前は」
あきゅろす。
リゼ