擦り寄ってくる女達をや少し荒々しく押し退け、黒銀は立ち上がった。

「黒銀様?」

先程から固まっていた黒銀を不審に思っていた女達に、「悪い、今日はもう上がる」とだけ告げ、広間を後にする。

歩きながら、むくむくと沸き上がる感情を、唇を噛みながら抑える。

手のひらに爪が食い込んでいるのも気にしていられないほど、思考が嫌な方嫌な方へと進んでいく。

――そんなわけ、ねえよな。

頭を振って考えを振り払い、ようやく着いた部屋の前で、ごくりと息を呑む。

監視されるのを好まず扉前に兵をつけない翔馬の部屋。階段を上がった一本廊下の奥にあるから、兵は階段の下で待機している。

小さくノックをする。が、応答はない。

「翔馬、入るぞ」

金塗りの取っ手を引っ張るが、びくともしない。――そうだ、この弟は常時内側から施錠しているのだ。

昔から放浪していた黒銀は、部屋に閉じ籠りきりのこの弟のことを、あまり深くは知らない。

何を考えているかもわからないし、女の好みも知らない。そもそも女に興味があるのかも微妙なところだ。浮わついた噂が流れっぱなしの自分とは違い、そんな話を聞いたこともない。顔を合わしても一言、二言交わすだけ。

「翔馬!」

大きな声で呼んでみるが、やはり応える声はなく。不安になってくる。

「――くそ、どうなっているんだ」

うろうろと部屋の前を彷徨き、しまいには扉の前にどかりと腰を降ろす。

――俺はなにやってんだ。





温かい。

白雪はしばらく微睡みながら、白檀の高貴な香りを漂わす胸に頬を擦り寄せた。

香りは似ているのに、胸の厚さが違う。いつもならがっしりとして力強い腕の中だが、腰に回されていた腕はどこか繊細で。首筋に掛かる息は静かもので。

「ん……」

うっすらと目を開けると、視界のすみに亜麻色の髪が映った。柔らかそうな髪。

ぼーとそれを見つめ、おもむろに触ってみると、さらさらしている。触る度にふわりふわりと香が鼻をくすぐる。

――さわり心地いいなあ。

どこぞの山犬も触り心地がよかったが、これもまた、なんて寝ぼけながら撫でていると、不意にがしりと腕を掴まれた。

「ほあ」

「――予の髪を玩具と一緒にしてもらっては困る」

囁くように言われ、ようやく頭が覚醒する。ばっと起き上がり、手を掴んだままの少年を凝視した。

「あ、ええと、翔馬、さま?あれ、なんでわたし……うわ、ドレスのままだ。でも、苦しくないし……」

記憶が混乱している。翔馬と喋りながら酒を呑んで、踊って、それから……、

「あろうことか踊りの最中に眠りこけたのだ、そなたは」

――なんですと?

「ま、まっさかあ。踊りながら寝るなんてそんな芸当……」

出来るわけ、な……、

――――断定できない。

顔を青くした白雪は、身体が沈んでしまうベッドの上で、正座をして頭を下げた。

「――ごめんなさい」

「べつに構わん。酒の相手をするどころか一人がばがば呑み、挙げ句の果てに踊りの途中で寝て皇子である予の腕で運ばれ皇子の部屋のベッドでぐーすか寝ていても、心が広い予はいっこうに構わんぞ」

「……ごめんなさい」

いちいち胸に突き刺さる。

これは本来なら手打ちものだろうか。なんてったって相手は皇子なのだ。――というか、常識的に、誰が相手でも内容が酷すぎる。なんという失態だ。

意気消沈していると、翔馬がおかしそうにくくっと笑った。

「そなたでもかような顔をするのか。――気にせずともよい、そなたはしっかりと抱き枕の役目を果たしたのだからな。それでおあいこだ」

起き上がった翔馬は、ふわあと欠伸をして、はだけた浴衣を直そうとして、止めた。

「……そなた、ドレスでは動きにくかろう。予の服を着るがよい」

と、クローゼットを開け、中から取り出したシャツを投げ寄越した。ふわりと香が香る。

「少し大きいかもしれんが、ドレスを着たままよりはましだろう。後で使用人に服を持ってこさせる」

「あ、ありがとうございます」

確かに歩きにくいドレスは着ているだけでも重く、白雪には合わない。

ドレスを脱ごうとして、固まる。

「――翔馬さま翔馬さま」

控え目に呼ぶと、背を向けていた少年はなんだ?と返す。

「後ろのチャック、下ろしてくれませんかね」

「…………」

呆れたように翔馬が振り返る。

ベッドから降りた白雪は、だって洋服なんて着ないしと内心ぶつぶつ言い訳をする。

そんなことを思っていると、じーと音を立ててファスナーは下まで下りた。ひやりとした空気が背中に当たる。

「苦しそうだったから寝ている間にコルセットを外してやったぞ」

「ああ、通りで……」

あまり締め付けを感じずぐっすり寝れたわけだ、と納得する。

「ありがとうございます」

礼を言うと、なぜか間が空き、それから翔馬の笑い声。

「――え?」

なぜ笑われたのか、皆目検討もつかない。普通に礼を言っただけのはずだ。

「いや、そなたは本当に変わった女子だな。よい、着替えよ」

笑いながら、翔馬はすたすたと歩いていく。

首を傾げながら、白雪はドレスを脱ぎ捨て、黒いシャツに腕を通し、ボタンを留める。すこし裾が長いから、ワンピースみたいだ。脚を出すことになれていないから、落ち着かない。

しかし、ドレスよりはましだ。すっきりとしたし、動きやすい。ついでに髪飾りを取り、結われた髪の毛もほどく。

「ふむ……朝日を受けた髪の毛もまたひとつ綺麗だな」

翔馬がしゃっとカーテンを引き開けると、眩しいくらいの朝日が目に刺さる。

「そんなことを言う人、あまりいませんよ」

あまりの眩しさに目を細めて、苦笑する。

「予は“変わり者皇子”らしいからな」

にやりと笑った翔馬が、扉にかけていた鍵を開く。

「まずは飯だな」

とこちらへ向かった歩いてきた。

と、ばんっと扉が荒々しく開き、思わず白雪は身をすくませてしまう。

「翔馬!――白雪!!」

何があったのか知らないが、切羽詰まったような黒銀がどかどかと中に入ってきた。

「兄上、早朝から弟とは言えど皇子の部屋にずかずかと上がり込むのは野暮ではないですか?」

まったく動じた様子がなく、寧ろどこか楽しげに目を細めた翔馬が飄々と言い放つ。

黒銀の瞳が鋭く翔馬と、それから白雪を捉えるなり、驚きに見開かれた。

浴衣をはだけさせた少年と、あからさま男物のシャツを一枚着ているだけのあられもない姿の少女。

それが何を意味しているのかなどわかりもしない少女は、凄んだ黒銀の気迫に押されながらも、昨日の今日で気まずいのか俯く。

その表情すらも別の意味でとった黒銀は、鬼のような形相をして翔馬の襟元をひっ掴んだ。

「翔馬、てめえ……!!」

これには白雪も驚いた。慌てて顔を上げ、恐ろしい表情の黒銀と、どこか挑戦的な翔馬の表情を見比べる。

――なんだというのだ。

ここまで怒った黒銀を、白雪は見たことがない。翔馬もそうだった。だが驚きを隠し、口元に笑みを掃いて黒銀を見上げる。

「ちょ、黒銀、やめてっ」

今にも殴りかかりそうな黒銀を咎めると、黒銀は悲痛そうに瞠目してこちらを見た。

「……そういうことかよ」

怒ったように目を細め、黒銀は手を離す。

「……勝手にすればいい」

吐き捨てるように呟き、踵を返して出ていった。

――なんで、怒ってるの?

確かに昨日は白雪の態度が悪かったかもしれない。だけど、ここまで怒ることはないじゃないか。

む、と眉をひそめた白雪の耳に、「少しふざけすぎたか……」という翔馬の呟きは届くことはなかった。





5.END.

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