「いやだ、離して!こんなもの着れるかっ」
珍しいほどに取り乱す少女を幾つもの侍女の手が押さえ付ける。
「勘弁なさいな白雪様!ほら、動かないでっ」
「大体わたしは出るなんて言ってないっ」
「黒銀様から仰せつかっております!じっとしてくださいませ!」
じたばたともがく白雪を押さえ付け、コルセットを締め上げていく。
「こんなに締めたらご飯食べれないよ!」
「あっという間に慣れますわ!」
一見物分かりのいい少女だが、頑固なところもある。しかし侍女は、仕事を最優先なのか、嫌がる少女に手を焼きつつ支度をしていく。
そんな様子を、部屋を訪ねてきた魅蜻達四人は唖然として見ていた。
てっきりもう終わっているかと思えば、まだドレスを着せているところではないか。部屋が騒がしいから何事かと思っていたが、こういうことだったのか。
「魅蜻っ!助けてっ」
ぱっと顔を上げた白雪が、情けない顔で侍女達の手をすり抜けては飛び付いてくる。
「わ、白雪っ」
中途半端な姿の白雪を抱き止めて、見下ろす。
いつもの冷静さが微塵にも感じられず、丸々とした目を潤ませている少女に、可愛いなんて思ってしまう。白い頬が蒸気し紅に色付いている姿はあまりにも色香が滲み出すぎていて、毒だとも思うが。
魅蜻が口を開く前に、まるで仔猫のそれでも掴むように侍女達がむんずとドレスを掴み、白雪を引き摺っていく。
「……意外ですね、白雪嬢があれほどにまで取り乱すなんて」
隣で顔を背けていた翡翠が苦笑している。
「私も初めて見た……」
二人で顔を見合わせてくすくすと笑う。
「翡翠様、魅蜻ちゃん、先に広間に行きましょうか。時間かかるみたいだし。あの子は慶浚に後で連れてきて貰いましょう」
晴花の言葉に慶浚の眉がぴくりと動く。でも、と言う魅蜻の背中を押して、晴花は歩き出した。
「せっかくの舞踏会、楽しまなきゃ損よ。さ、行きましょ。慶浚任せたわよ!」
慶浚は返事こそしなかったがそれを了承と取ったのか、晴花は魅蜻と翡翠と共に広間に向かった。
「さあ、終わりましたよ!」
ぜーはーと疲れながらも満足したような侍女に、こちらも暴れ疲れた白雪。
あまりにも暴れるので化粧は薄い紅を掃いただけだが、目を惹くような茜色のドレスには抜かりがない。
髪は一部だけ結い上げ小振りの髪飾りだが、元から目を惹く容姿をしている少女は、この上なく目立つだろう。
普段着ることのないドレスは胸元やら首筋がすーすーするし、足がすっぽり隠された裾は歩きにくいったらありゃしない。
ぐったりと座っていると、慶浚がずかずかと入ってきた。
常に無表情だが、どこか不機嫌そうな、そんな表情。
「案内を任されている」
行くぞ、と目で合図され、白雪は渋々立ち上がる。慣れていないヒールの靴によろつきながらも侍女に見送られ部屋を出る。
慶浚の後ろをわたわたと歩きながら、そっと溜め息をつく。刀も侍女達に取り上げられてしまった。
身長差が激しい慶浚はすたすたとはや歩きで歩くので、白雪は追いかけるのが大変だ。ましてや上手く歩けない今、もうこのままバックレてやろうかとも思った。
この男の傍にいると、どうも息苦しい。
黒銀といる時だけは秘められた殺気と憎悪が、今は惜しげもなく白雪の肌を突き刺している。
こういう目が慣れていないわけじゃないが、あの三人といるとつい忘れてしまうのだ。自分がどれほど異質なのかを。
だから人が大勢いる場所は嫌なのだ。自ら好んで蔑みの目で見られようなんて、いくら白雪でも思わない。
逃げたい。
だけどおそらく、この男からは逃げられまい。すぐに気配でばれてしまうだろう。
――憂鬱だ。
嘆息していると、大分前を歩いていた慶浚がくるりと振り返る。
“早くしろ”と瞳が訴えている。
だったら君もこんな高いヒールを履いてみろと内心悪態をついたが、ドレスの裾を持ち上げてなるべく速く歩く。
今にも舌打ちしかねないほどしかめっ面をした慶浚が、またさっさと歩き出す。
ようやく広間に着いた頃にはコルセットの苦しさは忘れていたが、この仏頂面のせいでなんとも苦々しい心持ちだ。
扉が開かれ中に入る際に、左右の番兵の目が向けられた。白雪はそれらに目もくれず、きょろきょろと魅蜻を探す。
なんせ人が多い。ごてごてと着飾った明らかに貴族達が、入ってきた白雪を一斉に見る。そして何かを囁き合う。
――見せ物じゃないっての。
「にしても、これじゃあ魅蜻がどこにいるのかわかんないよ」
小さく呟いて、辺りを見回す。しかし見慣れたあの夜空の少女は、いない。その代わり、どこを見ても誰かしらと目が合うのは注目されているからだろう。
慶浚も静かに目を動かし、晴花を探しているのが見えた。
「――――」
そろりと人混みに紛れてみる。これだけ人がいればかえって気配がわからないだろう。
人の合間をすいすいと縫うように歩き、魅蜻を探す。
「わ、あの甘味美味しそう」
白いテーブルクロスが垂れたいくつものテーブルに並ぶ料理達。そのいくつかに、デザートもある。
「じゃなくて、魅蜻……わっ」
どんっとなにかが肩にぶつかった。よろけかかったが腕を掴まれ引き戻される。ふわりと鼻をくすぐる白檀の香。
「すまぬ、大丈夫か娘」
「ええ、大丈夫。君も怪我ない?」
ゆっくりと離れて見ると、亜麻色の髪と藍色の瞳をした、。わずかに幼い面影を残した少年は、む、と顔をしかめた。
「そなた、予に“君”とは生意気だな。……銀髪の娘、そなた名を何と申すこと」
生意気はどっちだと思ったが、あまりに尊大な態度がかえっておかしく、白雪はくすりと笑って名乗る。
「わたしは白雪。君は?」
笑われたのが気に入らないのか、少年は鼻を鳴らす。
「なんと、そなた予を知らぬのか。それでこの場にいるとは……。予は翔馬(しょうま)だ!予は……」
「翔馬さまか。うん、黒銀の弟君、ですよね」
へ?と翔馬が間の抜けた声を出す。
目元と匂いがそっくりなのだ。直感だが白雪にはわかる。
「黒銀兄上を知っておるのか……」
「はじめまして皇子(みこ)さま、わたしは黒銀の旅の仲間です」
――いや、“だった”と言うべきか。
もう一緒に旅は出来ないかもしれない。
「――そなた。……おい、白雪」
「え、あ、すみません。なんでしょう?」
ぼうっとしてしまっていた。慌てて翔馬に目をやる。
「……いや。それで、兄上の旅仲間が何ゆえ一人でほっついておるのだ」
「や、それが連れが見当たらなくて……」
と、そこでずっと奥の壇に黒目黒髪の男――帝と、稲穂にも似た薄茶色の髪と瞳の女――皇后が現れる。その隣に、正装した、黒銀。
「諸君、今宵の舞踏会、とくと楽しんでいってくれ。――その前に、またまたずっと床に臥せっていた我が息子、第二皇子の黒銀が復帰した。こやつから一言挨拶を」
――なるほど、旅はお忍びなのか。
それにしてもどこからどう見ても健全な彼が病弱設定なのが驚く。――もっとましな嘘もあるだろうに。
「えー、まあ、呑んで食って、心行くまでに楽しんでくれ。乾杯」
それだけ述べ持っていたグラスを掲げた後、さっさと壇を降りる黒銀。
きゃああと黄色い声がそこかしこから挙がる。
「第二皇子さま……貴方の兄上はいつ病を患っていたのですか」
「……予も苦しいとは思うぞ、あの口実」
二人して顔を合わせ、思わず笑ってしまう。
「さ、て。魅蜻は……あ」
ちらり、と人の隙間から探していた少女が見つかる。
「み……」
動きかけた足が止まる。
魅蜻は翡翠と、そして晴花と仲良さげに笑い合っているではないか。手を取り合ってなにやら談笑をしている。
――いいことだ。
外の世界に触れた魅蜻は、最近よく笑うようになった。
「いいこと、なんだ……」
「白雪?」と翔馬が怪訝げに呼んだ。
「どうした、そなた顔色が悪いぞ」
こういうさりげない気遣いが、黒銀とよく似ている。
「お腹が空いてるだけです。今日は何も食べてない……」
食べる時間すら貰えなかったのだ。
苦笑すると、翔馬は呆れたように溜め息をついた。その仕草さえ黒銀と重なる。
「なら食えばよいだろうに。ほら、食え。そなたはもう少し肉をつけてもよかろう」
隣の料理が乗ったテーブルを指差した翔馬に、白雪は笑ってしまう。
「じゃあ、いただきます。……第二皇子さまは食べないのですか?」
皿に色とりどりのケーキを乗せながら、白雪は少年を見下ろす。
「……翔馬でよい。予は適当に食べておる。……そなた、そんなに甘いものばかり乗せておると虫歯になるぞ」
ついつい見たこともない菓子ばかりを乗せていると、翔馬は呆れてそれを見ていた。
「え?あ、あー……あまりにも珍しくて」
一口食べ、感嘆する。――美味しい!
「なにこれ、すっごい美味しいです!翔馬さまもどうです?」
ケーキが刺さったフォークを口元に持っていってやると、翔馬は顔を赤らめて睨んできた。
「予を子供扱いするでない!それに女性として恥ずかしくないのか!」
まだ子供だろう、という言葉は飲み込むことにした。自分も彼と歳が変わらないだろうから。
「わたしは流れ者ですから、貴族の作法とかわかりません」
だから、ほら。とフォークをちらつかせると、翔馬は眉間に皺を寄せてから――この表情がすごく黒銀に似ている――、それをぱくりと食べる。
「ね、美味しいでしょう?」
「……ここの料理人は腕がよい奴ばかりだからな」
愚問だと言わんばかりに翔馬は呟き、溜め息をつく。そう言えば彼はこの城の人間なのだ。
「人探しはよいのか」
「いいんです、もう」
そうか、と少年皇子は呟く。
「はい、もう一口」
と、今度は抹茶のケーキを翔馬の口元に持っていってやる。
笑っているくせにあまりにも憂いが含まれた表情に断ることが出来ない翔馬が口を開けた時だった。
その手首をぐいと力一杯捻りあげられ、フォークは少年の口に届く前に床に落ちる。
「……っ」
骨が軋むほど強く握られた手首を掴んでいる男を、白雪は顔を歪めながら睨んだ。
「手荒だなあ」
「勝手に彷徨くな」
鋭い瞳が、獲物を射るように細められた。
2.END.