翌日、日が昇りきる前に森を経ち、それから二日間同じことを繰り返した。

魅蜻は馬車酔いに唸りながら、窓枠に肘を付きながら悠々と窓の外を眺めている白雪を見つめた。――なぜそんなに平気でいられるのか。

さすがに三日も馬車に揺られていると、気持ち悪くて仕方ない。

ふと、窓の外に目をやり、瞠目した。

「うっわあ……」

馬車酔いも忘れて目を輝かせてしまう。

いつのまにか街に入っていたようで、今までに見たことがないくらいきらびやかな建物達に目を奪われる。

白雪でさえ、静かながらきょろきょろと忙しなく目を動かしている。

まだ夜明けだから薄暗いが、それでも建ち並ぶ家や店は大きく、とても広い街並みなのがわかる。

うつらうつらしていた翡翠が魅蜻の感嘆に気づいたのか、ふと顔を上げる。

「腰を浮かせていては危ないですよ」

と注意するや否や、がたんっと馬車が揺れてぐらついてしまう。

しかしやんわりと翡翠に抱き留められてしまい、どきりとした。

少し触れるだけで、心臓がうるさいくらいに騒ぎ出すのだ。――理由はわかっているのだが、どうすることも出来ないのもこの三日間で学んだ。

狭い馬車で肩が触れる度、こうして抱き留められる度、どきどきとする。まるで羽根が生えたみたいに身体が軽く感じて、ふわふわする。恥ずかしい半面、心地よい気もする。

今なら黒銀の気持ちもわかる。きっと彼も恋をしているのだろう。見ていて、手に取るように伝わってくる。

だがあれから二人の関係は変わらぬままだ。必要以外の会話はしていない。

時折黒銀は白雪に目を向けるが、少女はずっと窓の外を見たり金平糖を摘まんだり、と。一向に黒銀の方を向かない。見ている方が不憫に思えてもくるのだが。

――なにがあったんだろ。

ちら、と黒銀を見ると、腕を組んで難しい顔をしている。何故かは知らないが、馬車が目的地へ近付くごとに険しい顔付きになっていっているような気がした。

「……なんだ」

こちらの視線に気付いたのか、伏せた目を上げることなく聞いてきた。低く、固い声音。

「……別に」

触らぬ黒銀になんとやら。あからさま機嫌が悪そうな彼から慌てて目を逸らし、もう一度窓の外を見るふりをした。

そうしている間にも馬車は進み、厳かな雰囲気が漂う大きな門の前で停まった。こんなに大きな門を見たのは初めてだ。

「黒銀様と翡翠様のお帰りだ。門を開けよ」

慶浚の声音に、「はっ」とこれまた厳かな返事がふたつ。そして、重々しい音を立てて開門し、また馬車は動き出す。

窓から恐る恐る覗いてみると、兵達がびしりと敬礼していた。

な、なにあれ……。

重装備の男達が、あれほどまでに畏まっている。

――ここって一体……。

「さ、着きましたよ」

平然とした翡翠が馬車から降りて、手を差し伸べてくれた。素直に手をとり降りて、また絶句。

「な……」

ばかでかい建物が魅蜻を威圧するように建っていた。これにはごくりと唾を呑んだ。

とん、と馬車から飛び降りた白雪は、腕を組みながらその建物を見て、顔をしかめている。

「こちらです」

呆然としている魅蜻の手を引き、翡翠が歩き出す。その足取りに迷いはなく、いかに慣れているかが窺える。

――ま、まさか、ここが今なの!?翡翠っ!!

「……ひ、翡翠」

小さく呼び掛けると、彼は歩きながら肩越しに振り返って、首を傾げた。

「どうしました?」

――どうしました?じゃねぇえ!!

この時ばかりは内心口悪く叫んでしまった。いや、これは翡翠が悪いのだ。うん。





中に入るともうひとつ仰天する羽目になったのは言うまでもない。

「お帰りなさいませ」

と、赤い絨毯が床一面に敷き詰められた長い廊下で、侍女達がさっと道を開けて腰を折るではないか。

仰々しい光景に言葉が出ない。もしかしたら息をするのさえ忘れていたかもしれない。

「そんなに硬くならなくていいさ」

後ろを歩いていた黒銀に背中をぽんと叩かれる。知らずのうちに身体が強張っていたのか、びくりとしてしまう。

「だ、で、でも……」

振り返って噛み噛みになりながら言うと、頭をくしゃりと撫でられた。

「見た目に惑わされんな。お前はお前らしくしてりゃいい」

「う、ん……」

こんなとき、黒銀の言葉には素直になれる。いつだって飾らないのだ、この男は。

初めて会った時から、翡翠も黒銀も、身分が高いのは身なりでわかった。派手ではないが、手触りが触ったこともないような上等な質なのだ。貧乏だったからこそ、わかる。どれくらい高いかはわからないが、多分魅蜻の家の一月の食費よりも高いはずだ。

いや、二月か、なんて思っている間についたのか、金細工が施された巨大な扉が目の前にあった。

扉の両端には、二人の槍を持った兵。こちらを見るなり慌てて敬礼をし、扉を押し開ける。

ギィ、と重い音を響かせ扉は開く。

「――――っ」

一層きらびやかな装飾がされた部屋に入るなり、ただならぬ威圧感に襲われた。

戦き動けなくなった魅蜻の手を白雪がするりと握り、前を歩く黒銀と翡翠に続く。その後ろから、慶浚と晴花。

部屋の中心に、一際大きな椅子がふたつ。そこに、その威圧感を放つ存在がいた。がっしりとした男と、麗しい美貌の女。ただ椅子に座っているだけなのに、放つ気はあまりにも厳粛で、身体が震えてしまいそうになる。

と、黒銀と翡翠が膝をつき頭を垂れる。後ろでは、二人も音もなく膝をついている。

何事ぞと思うと同時に白雪に促され、見よう見まねで膝をついて頭を垂れた。

「表を上げよ」

低く、よく通る声に、一同は顔を上げた。

「――お元気そうで何よりです、帝様、皇后様」

翡翠の挨拶にえ、と声を漏らす前にやんわりと白雪に口を押さえられた。

――帝と皇后、って……王様と、王妃様っ!?

ということは、この国で一番偉い人じゃないか。そんな人達が、目の前にいる。

一体翡翠と黒銀は彼等とどのような関係なのか。

そもそも自分達はここにいてもよいのだろうか。

頭が混乱し目を白黒させていると、王の精悍な顔がこちらを向いた。

――あれ、この顔どこかで。

「この者達は」

「俺――私の仲間です」

黒銀がさらりと答える。

「そうか。まあよい。話は聞いているな?」

「ええ……皇太子が失踪したとか」

「ああ。一月後には奴が余の跡を継ぐはずだったのだが……逃げた。『捜さないで下さい』の紙切れだけ残して」

王位継承を控えた皇太子が失踪した。それは田舎者の魅蜻にでも、とんでもないことだとわかる。

しかしそれとこの二人がどう関係あるのだろうか。

王の眉間に皺が寄る。

――あ!この表情、

「第二皇子、黒銀よ。そちを王位継承者にする」

――黒銀とそっくり!

「……て、」

えええっ!?黒銀が、皇子様!!?

「――断ります。全軍出動させるなりなんなりして見つけりゃいいでしょう」

黒銀が、この黒銀が、本当に皇子様!?

目の前の男の背中を凝視する。確かに王には似ているけれども。

どちらかと言えば翡翠が皇子だと言われた方が納得出来るくらい、彼が皇族なんて信じられない。だって、この黒銀が。

「実は琥珀が失踪したのは半月前なのだ。全軍とまではいかぬが出せる者は総出させておるが、行方は一向に見付けられぬ。一月後の継承の儀を延ばす訳にはいかん。第三皇子はまだ若すぎる。――そちしかおらぬのだ」

「却下です。用はそれだけですか?なら、失礼します」

すく、と立ち上がった黒銀を咎めるように慶浚が名を呼ぶ。

「――わかった。今すぐにとは申さぬ。三日、時間をやろう。そこの客人も丁重にもてなす。今宵は舞踏会だ。そこの娘達の参加を許可しよう。――ちょうど良い、そちがほっつき歩きまわってる間そちが懇意している娘どもが何度も帰りはまだかと押し掛けてきておった。纏めて相手してやれ」

「……失礼します」

今度こそ踵を返し歩いていく黒銀に、翡翠も立ち上がったので魅蜻も慌てて立ち上がり、王と王妃に頭を下げてその後を追いかける。

白雪を振り返ると、彼女も腰を上げていた。目を細めて玉座を一瞥してから、部屋を出た。

――白雪?

彼女はいつも飄々としているが、その浮世離れさえも皇族の前になると不遜なものにならないか気がかりだった。

――だけど丁重にもてなすって言ってたし、大丈夫、よね?





5.END.

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