「お世話になりました」
武器屋のカウンターの前で、ぐいと頭をさげた。
「礼なんていらねえさ。いや、礼を言うのはこっちだ。愛娘に傷がつかなくてよかった」
店主は照れたように無精髭の生えた頬をぽりぽりと掻いた。
「まだあんまり無理をしちゃだめよ?」
「美麗さん。美麗さんも、ありがとうございました。服までいただいてしまって……」
「気にしないで。これくらいしなきゃ」
店主の愛娘、美麗から貰った動きやすい服は実に着やすいし、傷にも響かないように肩が出ているものだ。聞けば数少ない旅装束――出張用だとか――らしく、白雪は忘れることなく腰に刀を提げている。
「またこの町に立ち寄ることがあれば、真っ先にここに来ますねっ」
もう一度ぴょこんと頭を下げて、ではと踵を返した。隣にいる黒銀も足を動かそうとする前に、「待ちな嬢ちゃん」と呼び止められた。
「はい?」と肩越しに振り返ると、店主がずかずかと近付いてきた。
熊のような身体の店主は中々迫力があり、白雪は目をぱちくりとさせて固まる。
「おめぇさんにゃこんなモン必要ねえはずだ」
と言うが早いが、腰の刀を奪われる。
「あ、ちょ……わっ」
代わりに何かをぐいと差し込まれ、それを見下ろして、瞠目した。
「こ、れ……」
「おめぇさんにゃこっちのが似合いだ。護りの刀としてとくと使ってやりな」
それはあの、真っ白な鞘に入った純白の刀で。驚いて顔を上げ、店主を食い入るように見つめた。
「で、でもっ」
「餞別だ。黙って持っていきな、白雪の嬢ちゃん。俺ぁ、竜玄(りゅうげん)だ」
「あ、ありがとうございます、竜玄さん。頂戴します」
「達者でな」
「はい」
深く頭を下げて、店を出る。
「あんたも、嬢ちゃんをしっかりと見ていてやりな」
「ああ……世話になった」
こくりと頷いて、黒銀も静かに外に出た。
日が傾いてきた暮れの時間。門の前には想像していたのよりも少し大きな馬車が留まっていた。馬車に繋がれた馬は大きくつやつやとした毛並みの赤毛と栗毛が、一頭ずつ。
魅蜻は差し伸べてくれた翡翠の手をとり馬車に乗り上げた。椅子には質の良いクッションが敷かれており、乗り心地は良い。なにより馬車というものに乗るのは初めてで、些か緊張すると同時に好奇心がうずうずする。
以前白雪と二人きりの時は、脚を挫いてしまった時に駕籠(かご)を使わせてもらったが、あれも中々心地よいものだが、またこれは一味違う。
「手を貸すか?」
「大丈夫」
同じように手を差し伸べようとした黒銀よりも早く、馬車に飛び乗った白雪。
――白雪?
目の前に座る白雪の様子をそっと窺い見た。
なんだかさっきから変なのだ。黒銀と何かあったのだろうは一目瞭然なのだが、どうも二人の間に流れる空気が微妙なものだ。
もしや黒銀が何かしたのだろうか。――きっと白雪を怒らしたに違いない。
だが、傍目に見ても白雪を丁寧に気遣っている――その気遣いをこっちにも少しわけてほしいものだ――この男が、どう怒らせるのか。
「閉めますねー」
と晴花の呑気な声が聞こえると同時に木の扉は閉められた。
白雪の背後のカーテンの隙間から、馬に乗り手綱を握る晴花と慶浚の姿がちらりと見える。
晴花も馬に乗れるんだなあなんて思っていると、発車された。静かな音で馬車は進み始める。
「白雪、その刀……」
ちらりと、白雪の腕の中にある刀に目をやった。純白の鞘がきらりと光っているそれは、見たことがない。
「竜玄さんが……武器屋の店主さんから、頂いた」
少しだけ嬉しそうに話す白雪にほっとした。どうやら機嫌が悪いみたいではないようだ。
「そうなんだ……よかったね」
ん、と短く頷いた白雪。それすらも可愛くて、魅蜻の頬が緩んだ。その時だった。
「何者よあんた達!」
晴花の鋭い声音と共に急停止した馬車。がくんっと大きく揺れたものだから前のめりになったが、翡翠が慌てて支えてくれたから何事もなかった。
「嬢ちゃーんっ!!」
野太い声がうるさく響く。とたんに白雪はぱっと顔を明るくし、窓のカーテンを開いて気窓を押し上げる。
「一郎っ、次郎に三郎っ!」
そこにいたのは息を切らしたあの軟派三兄弟で、必死に追っかけてきたのがわかる。馬車を走って追っかけるなんて、魅蜻には到底出来ない業だ。幸いまだ町からあまり離れていないからよかったのだろうが。
「よ、かっ、た……、つか何にも言わねえで、出ていくのは、野暮ってもんだぜ」
息も切れ切れに、一郎はにやりと笑う。
「姉御ー」
次郎と三郎は目に涙を溜めてすがるように白雪を見ている。――明らかに年下の少女に“姉御”とはどうなものかと思ったが、魅蜻は口には出さなかった。多分、みんな思っていると思うから。
「ごめん、すっかり忘れてた」
何気なく酷い一言を放った白雪だが、その顔はどこか嬉しそうに笑まれている。
「嬢ちゃん、これは餞別だ!もっと食って肉つけな!」
「お?わ、杏だ。ありがと」
馬車から身を乗り出した白雪は紙袋いっぱいに入った杏を受け取り、えへへと笑う。
「わたしからは……そうだなあ。なにもあげられそうなものないからなあ。ちょっと待ってね」
と、杏を椅子に置き、んーと唸りながら身体を触る。しかし貰ったらしいばかりの服になにかあるわけでもなく、あの着物も処分してしまったのだ。
すると思い付いたように髪を結い上げていた白い髪紐を外し、再び窓から身を乗り出して、一郎の手に置く。
「こんなものくらいしかないけど……、お守りくらいにはなるはずだよ」
受け取った一郎といえば、洟を啜りながら大事そうにそれを握り締める。
「俺達、更生することに決めたんだ。嬢ちゃんみたいに旅して回り、悪事は働かねえようにすんだ」
「そうだね、君たちに悪事は似合わないからなあ。うん、きっとまた会える気がする。達者でね、一郎、次郎、三郎」
「お、おう……!嬢ちゃんもな!!」
涙声で、それでも涙を見せまいと厳つい顔を更に厳めしくさせた一郎の後ろで、そんな兄者の気も知らないで号泣している弟分達。
「……そろそろいいか」
慶浚の色のない声音に、白雪は短く「うん」と答える。
カラカラ、と馬車がゆっくり進み始めた。
白雪は相変わらず馬車から頭を出して三兄弟に手を振っている。長い銀髪が風に靡いた様はとても神々しいと、魅蜻は思った。
ようやく「姉御」という叫びが聞こえなくなったくらいに白雪はようやく座り直し、窓を閉めた。
「熱烈ですね」
隣の翡翠がおかしそうに呟いた。確かに、あれこそ熱烈といえるだろう。よっぽど気に入られていたに違いない。
「ああ見えて情に厚いからね、彼らは。一郎なんてずっと付きっきりで傍にいてくれたんだよ」
そう言った白雪の隣で少しむっとする黒銀が視界に入ったが、何のその。気にしてなんかやらない。
「いい香り……」
瑞々しい杏の香りが馬車いっぱいに広がる。それと、白雪の髪に挿してある魅蜻の摘んだ野花と、彼女の髪から漂う石鹸の匂い。不思議とどれも不快ではなく、ひとつの香りとして感じる。
「あ、そうだ……白雪」
ん?と杏の匂いを嗅いでいた白雪が、顔を上げた。
魅蜻は持っていた紙袋から金平糖が入った小瓶を取りだし、差し出す。クッキーも買っていたのだが、これは後で晴花にあげることにした。“友達”の印だ。
「うっわあ、可愛い!金平糖っ?」
受け取った白雪は、小瓶を目の前にかざし、まるで幼子のようにはしゃぐ。
「桜みたい、綺麗、可愛いっ。ありがとうね、魅蜻!」
金平糖よりも愛らしい瞳をきらきらさせた白雪に、笑みが漏れてしまう。普段は落ち着いた少女だが、こうして菓子を目の前にするとたちまち子供のように喜ぶのだ。
「うわあ、食べるの勿体無いなあ。でも、美味しそう」
ちょっとだけ、と呟いた白雪は、瓶の蓋を明け、桃色の金平糖をひとつ摘まみ上げる。
じっくりと見た目を堪能した後に口に放り込んだ途端、嬉しそうに目を細めた。
「美味しい……」
確かに試食で食べた時美味しかったが、彼女が言うと三倍も四倍も美味そうに感じるから不思議だ。
こういう時だけ子供っぽい白雪も、魅蜻は大好きだった。
時刻でいえば亥の刻を過ぎた辺りだろうか。ずっと動いていた馬車はようやく停まった。
降りると見覚えのない森の中で、時間も時間だから真っ暗だ。白雪は夜目が利くが、魅蜻などよろついている。
「申し訳ございません。近道の為とはいえ貴方に野宿など」
「お前は一々大袈裟だな。野宿なんて慣れているのはお前も知っているだろう」
馬車を降りた黒銀は慶浚を気にもしないように野宿の準備を始める。
白雪が集めた薪に、手慣れた様子で火を点ける。たちまち焚き火が出来上がり、翡翠と共にパンなどを炙り始める。慶浚も晴花もそれを手伝う。
魅蜻も手伝おうとしたが、火傷させまいと翡翠がさせようとしていないのが目に入り、つい笑ってしまう。
手持ち無沙汰になった白雪は、ふと森の奥に紅い光を見つけて、ぽんぽんと手の上で弄んでいた杏を投げ付けた。ぱしっと乾いた音が響く。
「ずいぶんおっきな動物がいたものだ」
決して人には懐くことのない、孤高の獣。
手の中に収まった杏にかじりつきながら、隻影は音も立てずに木に飛び乗った。
――この道のりは。
突如白雪達の前に姿を表した、慶浚という男と晴花という女。
それに、キリリアの町から迷うことなく馬車はここまで走った。
青年の口元がにやりと歪む。
――面白いことになりそうだなあ。
4.END.