階段を上がる複数の音に、白雪の意識は引き戻された。

「失礼します」

翡翠の静かな声音に、黒銀の「ああ」と返事する声が近くで聞こえる。

すっと襖が開いた。

白雪はうっすらと目を開け、入ってきた人間を確認する。

翡翠と魅蜻と、――それから面識のない男女二人。

「慶浚!それに、晴花まで……一体どうしたんだ」

驚いたような声音の黒銀。

と、男女二人は床に膝をついた。

「お久し振りでございます、黒銀様。御身が御無事そうで何よりでございます」

慶浚は拳に手をあて、深く頭を下げながら、仰々しい口調で挨拶をする。

その隣で片膝をついた晴花は胸に手をあて、 静かに頭を下げる。

――ずいぶん畏まった礼式の挨拶だな。

そんな二人をぼんやりと見ながら、白雪はひそりと黒銀に視線を移した。

するとこちらの視線に気が付いたのか、ふと黒銀と目が合う。

「……悪ぃ、起こしちまったか。気分は?」

「大丈夫……」

気遣うような黒銀に小さく笑い、ゆっくりと起き上がろうとすると、彼は背中を支えてくれた。

「ありがとう」

「ああ。……二人共、顔を上げてくれ」

その声で、二つの頭はゆっくりと上がる。

その際に、白雪は強い視線を感じた。

金色の瞳と、目が合う。静かで、それでいて鋭い眼差し。

黒銀が声をかけるまで、二人はじっと見つめ合っていた。

「で、何の用だ。まさか連れ戻しに来たんじゃないだろうな」

胡座を掻きながら、黒銀は怪訝そうに口を開いた。

「そのまさかです。御命令を賜りやって参った所存でございます」

慶浚が目を伏せながら答える。

「命令、だと?――あの野郎、約束が違うじゃねーか」

「口を慎みくださいませ、黒銀様」

静かな口調で慶浚にたしなめられた黒銀は一層眉を寄せ、唸るように口を開く。

「どういうつもりだ。訳を話せ。――翡翠、お前も座れ」

翡翠は小さく頷き、慶浚の隣に正座する。

魅蜻はちょこちょこと白雪の隣にきては、布団を踏まないように座り、気遣ってくれる。

「起きてて大丈夫……?」

「うん、もう平気」

熱もだいぶ下がったみたいだし、と小声で返事し、安心させるように微笑むと、ほっとした様子を見せた。

「――さあ話せ」

黒銀はじっと慶浚を見つめる。その眉間にはくっきりと皺が寄ってる。

慶浚がこちらを――白雪と魅蜻をちらりと見た。

「白雪と魅蜻は立派な仲間だ。信頼している。聞かせても問題ない」

「しかし……」

「話せ、慶浚」

「――は」

目を伏せ、短く返事をした慶浚は、顔を上げてから、口を開いた。

「――琥珀様が、疾走致しました」

「――――はあっ!?」

「なんですって!?」

黒銀が頓狂な声を挙げたのと、翡翠の緊張感のある声が響いたのは、ほぼ同時だった。

「この意味、お分かり頂けますね。至急戻られよとのことでございます」

「は、ふざけるのも大概にしろ。今すぐ捜せ」

ますます深まる黒銀の眉間の皺。

「手は尽くしておりますが、未だに……。――お戻り頂けますね、翡翠様」

慶浚の瞳が、青い顔をした翡翠を捉える。

「――ええ、戻りましょう黒銀」

「翡翠!」

「…………黒銀」

非難の声を挙げる黒銀だが、翡翠に静かに名を呼ばれると、ぐっと押し黙った。

「……くっそあの阿呆、見付けたらタダじゃおかねえ。白雪、魅蜻」

ぼそりと呟いた黒銀に名前を呼ばれ、白雪と魅蜻は顔を上げた。

「……すまん。回り道になるが、着いてきてくれるか?」

「黒銀様!」

晴花が腰を浮かせたが、黒銀の一瞥に慌てて頭を下げる。

「……わたし達が行っていいの?どうやら複雑そうな事情だけど」

ちらりと晴花と慶浚を見てから、首を傾げてみせる。

「出来れば、目の届くところにいて欲しいんだ。それに、怪我人を放っていくわけにはいかねぇだろう。――簡単に言えば、俺が傍にいて欲しいだけだ」

最後に少し照れたように、それでもはっきりと黒銀は告げた。

その刹那、射るような視線にそわりと背中が粟立った。

が、黒銀から目を離さずに、苦笑する。

「――相変わらず優しいね。わたしは異論ないよ。魅蜻は?」

「白雪の傍にいる」

つまりは異論なし。

「決まりだ。出発は明日の朝でいいか」

「出来れば今日の夕方にも」

「怪我人がいるんだ」

「わたしなら大丈夫だけど……」

もう動かせるし、痛みもだいぶ引いた。

「阿呆、念には念を、だ」

ちょんと額を指で小突かれる。

「あう。大丈夫だってばー。急ぎなんでしょ?」

「ったくお前は……」

否定しないということは、つまりそういうことで。

「馬車を二代用意しますので、二刻後に、町の門においで下さいませ」

淡々と話す慶浚に、黒銀は頷いた。

「わかった。それまでは好きにしていい。飯の調達を頼んだ」

「あ、それなら私が行きます」

と、名乗りを挙げた翡翠だが、とんでもないと言わんばかりに晴花が立ち上がる。

「そんなこと翡翠様にさせられません!あたしが――いや、慶浚がいってくれます!」

「――では馬車と御者の手配、それと、伝達書を頼む」

「さ、張り切って買い出しいってきまーす」

びしっと指を慶浚に指したはいいが、冷静に返されくるりと踵を返す晴花。

「私も行きます」

そんな彼女の背中に声をかけた翡翠に、隣に座る魅蜻がふと顔を上げた。

「え、でも翡翠様……」

「貴女に任せると後が大変ですからね。食料が本や薬草やらにでも化けてはたまりません」

「あっひどーい!あたしちゃんと買い物くらい出来ますよう!」

ぷんぷんと怒ってみせる少女に、翡翠はくすりと笑った。

「――というわけで、行ってきますね」

立ち上がった翡翠を、魅蜻はなにか言いたげな表情で見上げたのを横目に、白雪は苦笑した。

「翡翠、魅蜻も連れていってあげれば?わたしじゃ思うように構ってやれなくてね」

「私、白雪の傍にいる」

きゅっと服の裾を掴む魅蜻の顔は少しだけ強張っていて、そんな顔をさせている翡翠を恨めしげに見つめ――否、睨んだ。

こんな顔を向けられるのは久しぶりだと思いつつ、翡翠はおっかない娘に苦笑してみせ、そのまま魅蜻に目をやった。

「そうですね。お嫌じゃなければ、買い物に付き合ってくれませんか?」

楽しいかはわかりませんが、と手を差し伸べる翡翠に、魅蜻はちらりと白雪に視線を寄越した。

「魅蜻にお使いを頼もう。何か甘いものが食べたいんだ。買ってきてくれるかな?」

「う、うん!買ってくる」

柔らかく微笑んだ白雪に、魅蜻は顔を赤くして頷き、はしっと翡翠の手を掴んだ。

そんな光景を複雑げに見ている翡翠と、笑いを噛み殺している黒銀。

「じゃ、いってらっしゃい」

出ていった三人を送り出すと、慶浚もすっと立ち上がり、黒銀に頭を下げてから静かに出ていった。

「さーてと」

それを見計らい立ち上がった白雪に、黒銀は慌てたように背中を支えてくれる。が、そのた手をやんわり拒否して、襖を開ける。

「ありがとう。もう大丈夫だよ」

そう言って階段を降りようとすると着いてくる気配があったので、肩越しに振り返る。

「お風呂借りてくるんだけど。着いてくるの?」

面喰らったような顔をした黒銀を横目で見て、白雪はすたすたと一階に降りていった。

「嬢ちゃん、あんた動いて大丈夫なのか」

カウンターの椅子に座って武器の手入れをしていた店主が、降りてきた白雪に驚いたような顔をする。

「もう平気です。夕方にはここを経ちます。ご迷惑をおかけしました。それであの、湯編みしたいんですけど、お風呂借りれます?」

おずおずと聞いてみると、店主は正気かと白雪を見つめた。

あれだけ深い傷を負った翌日に動くのと、その傷で湯編みなど、正気の沙汰じゃない。

それでも丸っこい目を瞬かせている少女を見るとそんなこと口に出せるはずもなく。

「あー、階段の奥にある部屋が脱衣室だ。着替えやタオルは置いておく」

渋々といった店主に「ありがとうございます」と礼を言って、まっすぐに脱衣室に向かう。

脱衣室に入るなり服を脱ぎ、棚に置かれた籠に次々と入れていく。着やすければ脱ぎやすく、畳みやすいその洋服は、今まであまり縁がなかったため、違和感と新鮮味を感じる。見る分にはいいが、着てみるとどこか落ち着かない。

今ではもう洋服が主流となったこの国で、もはや和服の方がどこか浮いているのだ。とはいえ、畏まった場や、和の国の直血を大事にする家系は、洋服は着ないらしい。

昔は鎖国だったらしいが、開国をして一転、洋の国の文化は華やかで、あっという間に和の国を魅了した。

逆に洋の国の人間も和の国のものを取り入れたりしていて、ある意味良好な関係だろう。

といっても、みんながみんな他国に気を許しているわけでもなく、自分と違う血が流れた所謂“余所者”を嫌うものもいるわけで。陰口を聞いたこともある。

人間は、自分とは違うものには、自然と恐怖を抱くものなのだ。

「それが、当たり前なんだ……」

肩に巻かれた包帯をゆっくりと外した。ぱらりと外れると、白い肌には禍々しい色をした刀傷。

普通はこれほど傷が深ければ翌日でも包帯を解けば血は流れるのだが、もう止まってはいる。しかしやはり目にすると気持ちがいいものではなく、白雪はそっと溜め息をついた。

「すぐに、治る……」

傷も消え、何もなかったように。

“化け物”。そう叫んだ彼らが脳裏に甦った。

――そうだ、わたしは。

ずっとこのまま旅を続けられるんだと、思っていた。隻影さえなんとかすれば。

でも、違った。

そうだ、彼らは自分と違い、やるべきこともあれば家もある。

ずっと傍に、なんて。どれだけおこがましいのだろう。

そう思うと、すっと何かが冷たく退いていくような、そんな感覚を感じた。

甘えることに慣れては駄目なのだ。またいつか独りに戻るのなら。

――永遠なんて、ありはしないのだから。

そう、永遠などただの空言なのだ。神のように不死でなければ言葉に出来ぬ――否、神にすらも永遠など無いかもしれない。

――期待なんて、してはいけない。





1.END.

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
あきゅろす。
リゼ