翡翠は包帯や薬草が入った紙袋を抱えながら武器屋へ向かっていた。丁度、昼過ぎだ。

風がそよそよと彼の金髪を揺らし、光を浴びたそれは目を引くほど綺麗だ。

しかし彼の表情はどこか暗いものだった。

色々思いに耽りながら足を進めていると、武器屋についた。

躊躇いもなく中に入ると、がらんとした店内に、暇そうな店内の姿。

「おう、翡翠さん」

「ただいま帰りました」

暇そうですね、と店内を見回しながら言うと、彼はまあなと笑った。

「皆二階にいる嬢ちゃんのこと気遣ってんだろうよ」

二階には、怪我をした白雪が寝ている。

そういえば昨日は、沢山野次馬がいた。

成る程、と呟き、それでは、と二階に上がる。

襖の向こうから、笑い声が聞こえた。野太いものと、寝ているはずの少女のもの。

「寝てなくていいのですか」

すっと静かに襖を開けて中に入ると、布団に入った少女と、その傍に胡座を掻いて座る一郎が、こちらを振り向いた。

「あ、翡翠おかえり。もう大丈夫なんだけどね、みんなが心配し過ぎなんだよ」

そう言って笑う白雪の顔は赤く染まっており、熱があるのは一目瞭然だった。

「あまり無理をすると、また魅蜻さんに怒られてしまいますよ?」

「う……それはやだなあ」

眉を下げる白雪が、とても幼い少女に見え、つい笑ってしまう。

「これ、飲んでおいてくださいね」

少女の傍に小さく畳まれた四角い紙を置くと、彼女はあからさまに顔を歪めた。

「これって翡翠が調合した薬だよね。ものすごい不味いんだけど」

「良薬口に苦し。駄々を捏ねずに飲みなさい」

にっこり、と笑って言うと、白雪は一層眉を下げた。

「おめぇ、怪我にはうんともすんとも言わねえくせに、薬は飲めねーのか」

「飲めないんじゃなくて、飲まないだけだよ」

「ガキかおめぇは」

一郎の言葉に、白雪は子供じみた言い訳をする。結局一緒の意味だと思うが。

と、そこで魅蜻を連れた黒銀が帰って来た。

「ああ、翡翠も帰ってたのか」

「おかえりなさい二人とも」

あまり広くはない部屋が、窮屈になる。

「はあ、ガキじゃないもん。大体薬なんかなくても自力で治すし!」

「そんな発想がガキだっつってんだろ!さっさと飲めば楽になるぞ!」

「それ、なんか危ない仕事してる人の台詞みたい」

「誰が危ない仕事してる人だっ」

「……なにやってんだよお前ら」

未だ口論する二人に、黒銀は果物が入った紙袋を下ろしながら呆れたように呟いた。

「し、白雪っ」

魅蜻がそんな白雪の傍に膝をつき、ぱっと手に持っていた花束を差し出した。

「これは……?」

「お前の為に摘んだんだとさ」

黒銀が言うと、魅蜻はこくこくと頷いた。

花束を受け取った白雪は大きく息を吸い、花のように綻んだ。

「ありがとう、魅蜻。とても嬉しいよ」

頭を撫でられた魅蜻は、目を細めて嬉しそうに笑った。とても愛らしい。

「魅蜻さん、あまり病人の部屋にいるのも白雪さんが休まらないでしょうから、少し散歩でも行きましょうか」

そんな魅蜻に提案してみると、彼女はでも……と呟いた。

「大丈夫、行っておいで。昨日の今日じゃ奴等は襲っては来ない。息抜きしておいでよ」

白雪にね、と言われると、魅蜻はこくりと頷いた。

「それじゃあ、行きましょうか」

「ん」

短く頷いた魅蜻は、部屋を出ていく。

「あ、黒銀」

翡翠も後を追おうとしたが、ふと黒銀の耳に口を寄せる。

小さく囁くと、彼は眉を上げてから、ああと笑った。

では、と踵を返して翡翠は部屋を出て、先に武器屋を出た魅蜻の隣に並ぶ。

「どこか行きたいところ、ありませんか?」

「んー……」

こて、と首を傾げる。

それもそのはず。この町はもう隅々まで散策しているのだから。

「翡翠は……?」

ちら、とこちらを見上げる少女に、翡翠はどきりとした。

「え、えー……そうですねえ。とりあえず、腹ごしらえでもしましょうか」

不意打ちはいけませんねえ、と内心呟きながらも、 目先にあるレストランに目を向けると、つんと服の端を引っ張られた。

「……あれが、いい」

と、魅蜻が指差した先には、小さな屋台。

「だめ?」

「とんでもないです。行きましょう」

確かに自分はあまりああいうところのものを魅蜻に買ってあげたことはないかもしれない。

この一月と半分、この少女と二人で食事をとることは度々あったが、大抵座って食べれるような店を選んでいた。

黒銀は躊躇いもなく、目についた屋台のものを少女達に買ってやっているが、自分はどうだろうか。

あまりこういうものを口にせず育ってしまったが故に、だ。

いや、昔はそうじゃなかった。

ずっと昔は、何にも縛られずに、ただ楽しめたらよかった。

【――翡翠、こっちだ!】

【ま、待って……っ】

【ほら、手!】

【うんっ】

「……翡翠?」

名前を呼ばれ、はっと我に返り、翡翠はふっと微笑んだ。

「あ、すみません。行きましょうか」

ん、と短く頷いた翡翠の手をやんわり掴んで歩き出す。

「いらっしゃい!」

屋台に近付くと、頭に手拭いを巻き付けた男がなにかを焼きながら元気な声を出した。

「これは?」

「豚の肉をパンに野菜と挟んだもんだ。肉汁たっぷりでうめぇぞ」

もっともお客さんみてぇな上品な人は食い方もわからんだろうがな、と男は豪快に笑いながら言ったが、不思議と皮肉には感じられなかった。

「では、二ついただきます」

「あいよ」

金を払い、待つ間も無くそれは紙に包まれ出てくる。魅蜻と一つずつ手渡された。

香ばしい肉の香りが鼻をくすぐり、ようやく忘れていた空腹が急にやって来た。

「いただきます」

パンにかじりつくと、じゅわっと肉汁が口内を満たす。これは美味い。

「意外にいい食いっぷりじゃねーかお客さん」

歯を見せて笑った店の男に、翡翠も小さく笑う。

「昔はしょっちゅう食べていましたよ。どんなに綺麗に盛り付けられた豪華な食事より、外に抜け出してこうやって食べる方が、何倍も美味しくて、好きでした」

昔を思い出して、つい口元が緩んでしまう。

「つーこたぁ、よっぽどの貴族様なんだなあアンタ。そりゃあ贅沢ってもんだ。ま、そーゆー奴は嫌いじゃねえーが」

がはは、と大口を開けて笑う男にびっくりして目をぱちくりとさせる魅蜻の頭を優しく撫でながら、翡翠も小さく笑った。

「それでは、失礼します」

貴女に商いの御加護がありますように、と軽く頭を下げて、魅蜻と共に立ち去る。

行く宛があるわけじゃないので、町の中をふらふらと歩きながらパンをかじる。

ふと隣から視線を感じ目を向けると、魅蜻がパンをかじりながら、こちらをじいっと見ていた。

「……?なんでしょう?」

「貴族様?」

「……ああ、そういえば言ってませんでしたっけ。しかし、そこまで立派なものじゃありませんよ。様なんて、いらないのです、貴族に」

苦笑して言うと、魅蜻は首を傾げた。

「魅蜻さんの故郷はどこですか?」

そういえば、あまり互いの過去を語り合う機会がなかった気がする。いや、互いに避けていたのかもしれない。過去に触れてしまうことを。

その証拠、魅蜻が村を飛び出して白雪と旅を始めたくらいしか、知らない。

「千樹村。ずっと遠くにある、山奥の小さな村」

「千樹村……ですか。確か、千年も生き続けた大樹がある村ですね。だから、千樹村」

行ったことはないですが、と付け足すと、どうして知っているのかと少女はまた首を傾げた。

「すごく小さな、田舎村なのに」

「国を知るにはまず地域や文化からと言いますからね……と」

食べ終えて、ハンカチで口を拭い、苦笑する。

「一度、伺ってみたいものですね」

そう言うと、魅蜻の顔は微かに曇った。それもそうかもしれない。彼女は家を飛び出した――つまり、家出をしたのだから。

「――翡翠の故郷は?」

やはり苦い話題なのか、魅蜻は話を変え、質問してきた。

「私は西の国の、ミランツプシェという街で産まれました」

「西の国……」

「ええ。洋の国です。この髪や瞳の色は、洋の国の人間の特徴なんです」

この和の国では少々目立ちますが、と翡翠は苦笑してみせた。

この国の人間は、暗い髪色が特徴的なのだ。黒銀や魅蜻は、すぐに和の国――東の国の出身だとわかる。

「しかし、銀髪はあまり聞きませんね。白雪嬢はどこの出身なんでしょうね」

そういえば、彼女の故郷も聞いたことがない。聞くのがどうしても憚られるのだ。

さあ、と言うように首を傾げる魅蜻。一体白雪という人物はどこまで謎めいているのだろう。

そんなことを思っていると、「あーっ!」という甲高い声が耳に入った。

思わずそちらに目をやると、自分と同じ、金色のツインテールが揺れていた。





2.END.

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