魅蜻は苦渋の表情を浮かべながら、キリリアの町の傍に咲いている花を摘んでいた。
何故こんなに不機嫌なのかと言えば、理由はただひとつ。
「なあ、花摘んでる時くらい可愛い顔出来ないのか」
背後から掛かる声に、振り向きもせず淡々と色とりどりの花を摘む。
「おーい、魅蜻サン?」
ひょいと後ろから覗き込んできた顔を、花でばさりと殴ってやった。
「わぷ。……花の使い方間違ってんぞお前」
「うるさい。別に、ついて来なくてもいい」
つっけんどんにそう言い、また黙々と花を摘んでいると、背後の男――黒銀は溜め息をついた。
「昨日の今日だ。何かあったらどーすんだよ」
お前に傷でもついたら、俺が白雪に殺されちまう、と黒銀は傍にしゃがみながら言った。
その当の本人は、昨日負った怪我を、武器屋の店主の家で療養している。
そんな白雪の為にも、魅蜻は花を摘んでるいるのだ。
一人は駄目にしても、てっきり翡翠が着いてきてくれると思っていたから、黒銀が名乗り上げた時は耳を疑った。
何故よりによってこの男なのか。
しかし翡翠は調べものがあると言ってどこかに出かけるし。
「女って好きなのか、こーゆーの」
足元に咲いた花を指で弄りながら、黒銀は呟いた。
「好きって訳じゃないけど、だけど、これ、白雪に似合いそうだから」
派手ではないが、可憐な野の花を見下ろし、白雪を想ってふわりと笑む。
「確かにな。喜ぶだろうな」
魅蜻の持つ花束から一本白い花を抜き取った黒銀は、自然に魅蜻の髪に挿し、満足げに頷いた。
「白雪色の花。お前にだって似合うぜ」
「……!」
かあ、と頬が熱くなる。
彫りが深く整っている彼は、誰が見ても色気があり、悔しいが不覚にも格好が良いと思ってしまった。本当に、不覚だ。
「馬鹿。」
「この流れで!?」
照れ隠しに呟いて、魅蜻は立ち上がった。
黒銀もなんだ言いながらも立ち上がって、歩き出した魅蜻の後ろを着いてくる。
間昼間の今、町の門を潜ると、キリリアは賑わっていた。
何か身体に良いものを白雪に買っていってやろうかと思っていると、子供の泣き声が聞こえた。
「うわあーん、風船があ」
持っていた風船を離してしまったのだろう。高い木に引っ掛かった赤い風船を見上げて、まだ小さな男の子が泣いている。
「魅蜻、すぐに戻るからそこ動くなよ?」
そう言うなり、黒銀はその男の子の元に駆け出して行った。
木の幹に足をかけ、器用にするすると登っていき、一番高い所に引っ掛かっていた風船を掴んだ。
――猿みたい。
なんて思ったが、飛び降りて子供に風船を差し出し笑顔にする黒銀に、思わず微笑が漏れる。
はっとして首を振ると、どんっと誰かにぶつかった。
「きゃ……」
「おっと、ごめんね。怪我ない?」
倒れそうになった魅蜻を支えて、フードを深く被った人物は身を案じてきた。
「だ、大丈夫……」
小さく頷くと、相手はよかったと笑った。なんせ見えるのは口元だけだから、どんな顔をしているのかわからないが、声を聞く限り、男だろう。
「それじゃあ、行くね。またね、夜空のようなお嬢さん」
優雅な口調でそう言った男は去って行った。
一瞬、赤い光が見えたような気がした。
「悪い悪い。行こーぜ」
首を傾げていると入れ違いに黒銀が戻って来て、頷いた。
行こうと行った割には動かない黒銀を見上げると、黒銀は怪訝そうにこちらを覗き込んでいる。
「なに……?」
「どうしたんだ、これ……」
え、と声を挙げるよりも早く、はらりと頬を滑って何かが落ちた。
ゆっくりと目で追い、息を呑んだ。
視線の先には、枯れて茶色く萎んだ花びらが落ちていた。
そっと髪を触ると、同じように枯れた花びらがはらはらと落ちていった。
――枯れている。
「変だな、花っつーもんはこうもすぐに枯れちまうものなのか?」
「そんなわけない。」
「だよな。……元が腐ってたのか?」
「……そんな腐ったもの髪に挿さないでよ」
「摘んだのはお前だろ」
そう言われてしまえば唸るしかない。
「まあいい、行こーぜ。果物でも買っていくか?」
ん、と頷いて、魅蜻は黒銀と共に歩き出した。
白雪はゆっくりと目を開け、ぼんやりと天井を見上げた。そして包帯が巻かれた左肩を、そっと触る。
多分、もう動かせないではない。
元々常人より傷の治りは早いし、これくらいの傷なら今までだって何度でも負ったことがある。
まだ戦い方も知らない子供の頃には、死にかけたことも度々。いっそ死んでいたなら良かったものの、このしぶとい生命力はそれを許さなかった。
――早く出発したいんだけどな。
新しい町に行き、魅蜻の楽しそうな顔を見たい。
しかし、怪我のせいで熱まで出てきた始末。
まったく情けない。
父娘は全快するまで休んでいていいとは言ってくれたが、さすがに気が引ける。
ゆっくり起き上がるが、ふらりと身体が思うようにいかず、倒れそうになる。
しかし、誰かが背中を支えてくれた。
「大丈夫かい、嬢ちゃん」
「あ、一郎。ありがと」
心配げにこちらを覗き込んだのは、あんちゃんこと、一郎だった。
何故だか、彼ら三兄弟までもがこの家に住み込んでいる。ついでに、この一郎は、かかりきりで自分についてくれているのだ。
中々人情に厚い彼は、礼を言うと照れくさそうに笑った。
「さ、てと……」
ふらつきながらも立ち上がる白雪に、一郎は慌てて腕を貸す。
「寝てなくていいのかい」
「んー、汗かいたし着替えたいんだけど……」
今着ているのは、武器屋の店主の娘、美麗に借りたゆったりとしたワンピースだった。
ずっと着ていた着物は血がべったりと着いていて、とてもじゃないが、もう着れるようなものではなかった。
長年着ていたからぼろぼろだったが、新しく服を買うのも面倒で、ずっと身に付けていた着物。
――仕方ないか。
どうせ自分のも買うのだから、魅蜻にも新しい服を買ってやろう。
「美麗さん、いる?」
「いや、今朝仕事に出たみたいだ」
「そっか。お医者さんだもんね」
「おやっさんに聞いて服借りてきてやるから、寝てな」
「いや、それくらい自分で……」
出来る、と言う前に、ひょいと抱えられ、布団に寝かされた。
「本当におめぇにゃあ悪いと思ってんだ。だから、これくらいさせてくれ」
真摯な瞳に、肩を竦めたくなった。――痛いからしないが。
「おめぇが俺が代わりに斬られた時、酔いが一気にぶっ飛んじまった。女が斬られるのを見るのがこんなにも罪悪感が残ることとは思わんかったからな」
「……律儀だなあ。ん、じゃあ宜しく」
苦笑して素直に頷くと、一郎は頷いて一階に降りて行った。
白雪は誰もいなくなった部屋で一人溜め息をついた。
力が使えていれば、こんな怪我しなかったのに。
一昨日隻影に気を吸いとられてから、どうも調子が悪いのだ。忍逹との最中にひっそり力を使おうと試みたが、出来なかった。
――恨むよ、ほんと。
1.END.