四人の仲が丸く収まった次の日。
荷物の整理をしている翡翠の顔は、珍しく悩ましげに歪んでいた。
「手伝うよ?」
そう言って隣にしゃがんだのは、白雪だった。
「いっつも翡翠ばかりにやらせてごめんね。黒銀にも見習ってほしいよ」
そう言って銀色の瞳は、殺風景な部屋の隅で、相変わらず魅蜻と言い合う黒銀にちらりと向けられた。
「いえ、大丈夫ですよ。慣れてます」
そう言って笑う翡翠に、白雪も微笑んだ。
こんな風に愛らしく笑う少女だが、氷のような一面を持っていることも、翡翠は知っていた。
じっと白雪を見つめると、彼女はきょとんとしてから、首を傾げた。
「……さ、荷物も纏まりましたし、そろそろ出発しようか」
そんな少女から目を逸らすように立ち上がり言うと、黒銀と魅蜻が同時に寄ってきた。
「よーし、んじゃ行くか」
「白雪、行こ」
「ん」
そうして、長く世話になった宿を出た。
翡翠は三人の後ろ姿を見つめながら、ぼんやりと考えに耽る。
あれから起きた白雪の口から、隻影という青年のことを聞かされた。
どうやら彼も白雪と同じ、異能がある人間らしい。
――異能。
そのせいで、彼女達は命を狙われる。
道中黒ずくめの忍装束を着た連中が現れたのは、数える程なんてものじゃない。
彼らは中々の手練れだ。
まるで、長年殺しの腕を磨かれた、暗殺部隊のように。
しかし白雪を前にしては、呆気なくも散る。それに加えてこちらには黒銀もいるのだ。武力では劣ることはないだろう。
しかし、このままというわけにはいかない。
こんな風に、命を狙われることが当たり前だなんて思っている少女をどうにか救ってやりたい。
もう何年もそうなのだろう。ずっと独りで彼らと闘ってきた。
自分のことを多く語らない白雪の詳しい過去はわからない。だが、予想を遥かに越える壮絶さだろうことは、少なくともわかる。
「翡翠……?」
いつの間にか隣にいた魅蜻が、不安げにこちらを覗き混んでいる。――そんなに険しい顔をしていただろうか。
「すみません、少し考え事を」
そう言いにっこり微笑んでやると、彼女も釣られるように小さく笑った。
出逢った頃の固い表情からは考えられないような柔らかい笑みに、じんわりと胸が温かくなる。
そして、思う。
この少女がどうしようもなく、愛しいのだと。
自分も黒銀に言えないくらい、魅蜻に心を惹かれているのだ。
しかし、自分に彼女を護る力が果たしてあるのか。
ずっとこのままというわけにはいくまい。
そんなことを思っている翡翠を現実に戻したのは、女の悲鳴だった。
はっと悲鳴の元を視線で辿ると、男三人に囲まれた女が彼らに腕を掴まれもがいているのが見えた。
所謂、軟派というやつだろう。しかし、
「やり方がフェアじゃないなあ」
翡翠が思ったことは、目の前にいた少女によって紡がれた。
女の腕を掴んでいる男の手首を小さな手で掴む。
あちゃー、と苦虫を噛み潰したような表情をしている黒銀が、視界の隅に見えた。
――先を越されましたね、黒銀。
「なんだぁ、お嬢ちゃん。おめぇも俺達と遊びてぇのかい?」
真っ赤な顔と、しっかりとしていない滑舌。おそらく、酔っているのだろう。
「おいあんちゃん、こいつ、奇妙だぜ」
「確かに銀髪たあ気味が悪ぃな。けどよ、この真っ白の着物を剥いちまえば、どの女でも変わりゃしねーだろうよ。それに、中々の上玉だぜえ」
下卑た笑みを浮かべる男達を見上げる白雪の瞳が冷ややかだ。
「ねえおにーさん達、わたしね、この刀買ったばかりで一度も使ってないの」
だから何だ、という男達の視線を受けながら、白雪はこの上なく愛らしく笑い、腰に下がったそれに手をかけた。
「だから、試し切り……させてね?」
ぞくり、と見ているこちらでさえ粟立つのだ。
軟派衆は顔を真っ青にして冷や汗をだらだらと流している。
「こ、の女……!」
しかし“あんちゃん”と呼ばれていた男は、勇気を振り絞って拳を構える。
――厄介ですねえ、こういうの。
元々彼女は相手を傷付ける意思はないはずだ。
そのまま逃げ去れば後を追うこともない。
「白雪……」
隣で魅蜻が心配そうに声を出す。
「大丈夫でしょう、白雪嬢なら」
「お、そっちにもいるじゃねーか、上玉。そいつを渡しやがれ!」
「……!」
火の粉がこちらにまで飛んできた。
あんちゃんが据えたのは、当然隣にいる魅蜻で。
ぴくり、と翡翠の眉が動いた。
「……魅蜻に手ぇ出したら」
「いけ次郎!三郎!」
女に言い負かされるのはプライドが許さないのか。
もはや意地になったあんちゃんは、突っ立っていた男二人に叫ぶ。
「行かせな……あっ」
「どうせ見せかけだろ!女が刀なんて扱えるわけねえ!
」
まさかあんちゃんが素手で掛かってくるとは思わなかったのだろう白雪が、一瞬遅れる。
その間に次郎と三郎が拳を振り上げてこちら目掛けて突進してくる。
「どけどけー!」
「っ、魅蜻さん……!」
立ち竦む魅蜻を引き寄せ、真っ直ぐに男達を睨む。
その静かな殺気に、男二人は息を呑み、足を止める。
「これ以上近付けば、タダじゃおきませんよ?」
にこり、と微笑む翡翠に、明らかに二人は動揺を見せる。が、あんちゃんに怒声を浴びせられると、二人は叫びながら向かってきた。
次郎のごつい拳が飛んできた。
「翡翠……っ!」
魅蜻が慌てたように悲鳴を挙げる。
が、その拳が翡翠の端麗な頬に当たる前に、男は吹っ飛んだ。
「……そいつァてめえらが触れていい男じゃねーんだよ」
地を這うような低い声が響き、翡翠は地面に転がり悶える男達から視線を上げ、目の前の男の横顔を見つめて小さく笑んだ。
「ありがとうございます、黒銀」
「礼などいらねえっていつも言ってんだろ」
礼を言うと、首裏を掻きながらこちらを振り返った黒銀が、照れたようにぶっきらぼうに口を開いた。
「あ、あんちゃん、こいつ強ぇよう。もう止めようよぅ」
情けない声を挙げた男達。
「く、くそっ、こっちも敵わねえ!小娘のくせに!」
弟分同様、地面に這いつくばることになったあんちゃんも、呻きながら悔しげに声を挙げた。
見れば白雪は刀など使わず、素手で倒してしまったようだ。
「どうすんだ、まだやるか?」
ばきばきと手を鳴らす黒銀に、男達はひっと悲鳴を漏らす。
「す、すまねえ!俺達が悪かった!!見逃して……」
そこで、一度足りとも抜かれなかった白雪の刀が閃き、目の前のあんちゃんは瞠目した。
翡翠め思わず息を呑む。
まさか、本当に始末するのか。
1.END.