私に、感情なんてもう無いと思ってた。
──そう、貴女に出逢うまでは。
何もかも嫌で、逃げた。
人が自分を蔑む冷たい眼。嘲笑う声。
怖くて、怖くて。
【あんた機械脳ね。】
【いつも同じ面で、気持ち悪ぃんだよ!笑えねえのかよ、お前。】
笑ウッテナニ?
村の友達にも、
【何でこんな子になってしまったのよ……。】
【お前の教育のせいだ!】
家でも。
表情がない私を気味悪がった。
居場所が、なかった。
だから私は夜中に村を飛び出した。
行く当てもなく、ただ走った。
「っ、はあ……はあっ」
無我夢中で走っていたせいか、気が付けば見知らぬ森。
田舎村から遠出したことがない私は、初めて見る夜の森に、急に怖くなった。
薄着で出てきたので、夜の肌寒さが恐怖心を強める。
小さな風が肌を撫でるのさえ、鼓動が早鐘を打つのには十分だった。
真っ暗な森。今にも何か出そうで……、
『ギャアギャア!』
「……──っ!?」
悲鳴のような声に、思わず耳に手を当てしゃがみ込んだ。が、それが鳥だとわかって溜め息をついた。
「──……最悪」
ぼそりと呟いた悪態は、静かな森に吸い込まれるように消えた。
ゆっくりと立ち上がり、重くなった足取りで行き先もわからぬまま、再びとぼとぼと歩き出した。
質素な靴が湿った地面を踏む度、溜め息を吐きそうになる。
追いかけて来て欲しい訳じゃない。
しかし、全く町の誰もが現れる気配がないのがわかると、やはり自分には居場所がないのだと感じる。
ふと空を見上げると、雲に隠れていた月があたりを照らしていた。──銀色に輝く、満月。
「き、れい……」
呟いた途端、ふらりと地面が動いた、気がした。が、実際は自分が地面に仰向けに転がっていた。
貧しい村ではろくな飯も食べられず、さらにはこうやって走って出てきた。
空腹と疲労で目が回っているのは言うまでもない。
動くことも億劫で、じっと月を見つめた。否、睨み付けた。
あれも自分を嘲笑っている。
みんな、みんな嫌い。
「──風邪、引くよ?」
静かな透き通った声音が上から降ってきた。と、同時に満月と同じ様な少女が自分を覗き込んでいた。
真っ白な肌。白っぽい、銀色の髪と瞳。真っ白な着物。
幼さが残ったあどけない顔が不思議そうに自分を見下ろしていた。
「……っ」
怖イ。
本能で身を固くした私に、少女は愛らしさが残る涼しげな瞳を瞬いて、苦笑した。
「君、迷子?」
「……ほっといて」
冷たい言葉がするりと口を突いて出てくる。
すると少女がしゃがみ込んで、私をゆっくりと起こした。
「帰らないの?」
「ほっといて……」
きっとこの子は温かい家族や友達がいて、幸せなんだ。
何となくそう思った。だって、可愛くて、綺麗で、満月のように周りを照らすような、そんな雰囲気が溢れ出ている。
自分とは真逆な……。
「──だったら、私と来ない?」
「……は?」
突拍子もない発言に、私は思わず間抜けな声を出して、髪と同じ色の瞳を瞬いた。
「独りで、結構退屈だったんだよね。一緒に来ない?」
涼しげな、心地好い声でそう言った。
「独り……?」
「うん、独り。私、家族も友達もいないから。ずっと独りで旅してるの」
“家族も友達もいないから。
ずっと独りで旅してるの。”
予想と違った少女に、私は口をぽかんと開けて月の少女を凝視した。
「君の名前は?」
「み、かげ……魅蜻」
つい、名前を口にしてしまった。
すると、自分は子供のようなあどけない笑みを浮かべた。
それは月明かりを受けて、きらきらと綺麗で、私は目を離せなくなった。
「私はね、白雪っていうんだ」
白雪。ああ、名前の通りなんだ。
「菫のような綺麗で可愛らしい、魅蜻。私と、来る?」
ゆっくりと白い手が差し出された手を、無意識に握った。
──眩しい。
そう思った。
そして、知りたいと思った。月の少女、白雪を。
だから頷いた。
「──行く」
そう答えた途端、白雪は目を丸くして私を見つめた。そしてふっと柔らかく笑って、
「なんだ、笑えるじゃん」
「……え?」
笑っ、た?
握った手が温かくて。心も温かくて。
これが、嬉しいって気持ち、なのかな。
「今宵は野宿だよ」
「のじゅく……」
「初めて?」
「うん」
「結構楽しいよ。今日は綺麗な満月だし、ね」
「……うん」
貴女となら、私は人間らしくいられる。
だから、これからもずっと貴女に着いていく。
貴女が満月なら、私は貴女をより綺麗に見せる夜空になろう。
だから、ずっと笑っててね?
END.