魅蜻の下着姿事件から半日、夕方には賑やかな町に着いた。
「貴様、何者だ」
門をくぐろうとしたら、左右から槍が伸びてきて、通行止めされた。
白雪は目の前でバツを描いた槍を見てから、ちらりと左右の門番を一瞥した。
甲冑に身を包んだ男二人は、不審げにこちらを見つめている。
──ああ。
容姿のせいだろう。
もう数も覚えていないくらい幾度となく同じ経験をしてきたので、さして驚きさえしなけりゃ、またか、なんて他人事みたいに思ってしまう。
「何者かって聞かれてもなあ。ただの流浪人?」
首を傾げて言うと、余計怪しむ様子を見せた。
「怪しい奴め。取り敢えず、来てもらおうか」
「えー……やだ。」
「貴様!」
槍が突き付けられた。が、それも一瞬。
「てめえら門番は丸腰のか弱い少女に武器振り回すのが仕事なのか?ああ?」
ドスの利いた声。
槍の柄を意図も簡単に押し退け、目を細めて門番二人を一瞥する。
ひ、と男達は小さな悲鳴を漏らした。
「俺は今かなり機嫌が悪い。これ以上いちゃもんつける気なら……」
かちゃり、と左親指で鍔を軽く持ち上げ威嚇する。
「た、大変失礼しました!どうぞお通りください!!」
殺気が漂った空気に耐えられなくなったのか、門番は槍を引きビシッと敬礼をする。
青い顔にはうっすらと冷や汗が浮かんでいて、可哀想だなあなんて思ってもいないことを、白雪は呟いた。
「わかりゃいいんだよ」
鍔から手を退かし、さっさと中に入っていく黒銀。
「……いい加減機嫌直せばいいのですが」
ぼそり、と困ったように笑いながら、後ろの翡翠が呟く。
──ちょっとやり過ぎちゃったかなあ。
まあ、結果オーライってことで。
呆気ないほど簡潔に答えを出し、白雪も町に足を踏み入れた。
「おお……」
これまた賑やかで、活気付いた町だ。
確か、キリリアの町。
思わず感嘆すると、ちょいちょいと着物の袖を引っ張られた。
「ん?」
振り返ると、魅蜻。
「……白雪、あれ、何?」
すっと繊細な指先を向けた魅蜻の視線を追うと、何やら人だかりが出来ている。
「なんだろうねえ」
何せここからでは見えない。
白雪は魅蜻の手をとり、その人だかりに足を進める。
「……見えない。」
「……うん。」
人の頭が邪魔をして、何が起こっているのかわからない。だが、人々はわっと盛り上がっている。
「手品、ですか」
隣に来た翡翠が、なるほどと呟いた。
「翡翠……見えるの?」
「ええ、まあ。これでも男ですので」
黒銀と並ぶとそう見えないが、確かに華奢だが、背はそこそこ高めの翡翠。
「見に行きますか?」
「ん……」
手を差し出した翡翠に、魅蜻は躊躇いなく頷く。
──ああ。
白雪はそっと手を離し、じゃあと声を挙げる。
「じゃあわたし、先に宿とっとくね」
ごゆっくり、とひらひら手を振りながら踵を返す。
振り返り様に視界の隅に映った、二人が手を取り合った姿に、内心ひっそりと苦笑してしまう。
大事な子供を取られたような気分だ。
──なんて、子供生んだことないけど。
だけど、確かに残る喪失感。
魅蜻が自分以外に心を開いたことは喜ばしいと思う反面、ちょっぴり寂しかったり。
──でもま、翡翠だからいっか。
彼は信頼を裏切ることはない。誠実な人間だ。
それはこの短い期間だが、一緒に旅をしてきたわかった。
「さあて、どうやって時間を潰すかな」
取り敢えず宿をとってから、ぶらぶらと町を観光することに始めた。
「いらっしゃい!出来立て熱々のチーズサンドはいかが!」
屋台から香ばしい匂いと共に活気のある呼び込み。
「もう、遅かったじゃない」
「はは、悪い悪い。さあ行こうか」
時計台の下で待ち合わせをしている恋人。
「ママー、あれ買ってー」
「駄目よ、ぬいぐるみこの前買ったばかりでしょ」
「ええー、あれも欲ーしーいー」
「よーし、パパが買ってやろう」
「わあーい、パパ大好きー!」
「もう、あなたったら……」
仲良さげな、家族。
ゆっくりと動いていた足が、いつの間にか止まる。
幸せそうな少女の横顔に、思わず釘付けになる。
──家族、か。
不意に、脳裏に色のない記憶が溢れ出す。
【いやぁああ!!こ、来ないでよぉお!!!!】
【こ、殺してしまえ!!】
【これは、失敗作だ】
【化け物……】
【棄てるには惜しい。これは兵器になる】
【逃げたぞ!追え!!】
「……────っ」
足元から力が抜け、思わずしゃがみ込んでしまった。
【こんな危険なモノ、はやく殺してしまいましょうよ。これではまるで──化け物だ】
「──っ、は、うるさいなぁ」
わかってるよ、そんなの。
自分でちゃんとわかってるから、だから、
──黙ってよ。
どくどくと煩く波打つ脈動に、慌てて身体を見下ろす。
じんわりと、腕に浮き出た謎の赤い模様。
──まずい!
弾かれたように立ち上がり、町の隅の木達の後ろに隠れる。
そっと腕や手を見下ろして、溜め息が漏れた。
紋章なのかなんなのか、血のような色をしたそれは、気味が悪い他ない。
何度か深呼吸を繰り返しているうちに、それはすっと消えていく。
「はああ……なんなのかなあ、もう……」
ずるり、と木に凭れかかりしゃがむと、酷い脱力感に見舞われた。
と、ふと影が差した。
顔を上げると、黒曜石のような瞳と目があった。
「……黒、銀」
「大丈夫か、白雪」
さっき様子がおかしいとこ見て、と言う彼の瞳には、心配そうな色が浮かんでいた。
先程まで機嫌悪かったのに、そんなことも忘れて駆け付けてくれる黒銀は、本当にお人好しだと思った。
「大丈夫、お腹空いただけだし」
昼も食べてないから、と言って、へらりと笑う白雪に、一瞬複雑な顔を見せた黒銀だが、そっかと呟いた。
白雪は何事もなかったように立ち上がり、彼を見上げる。
「魅蜻とられちゃって暇だから、相手してよ」
と、子供のようににやりと笑って言うと、彼はふっと苦笑し頷いた。
「いいぜ。取り敢えず、腹ごしらえか」
「うん」
そうして、二人はてきとうに歩き始めた。
苺とカスタードがたっぷり入ったクレープを買って貰い、白雪はそれをかじりながら、黒銀と町を観光し始めた。
隣にいる少女は、クレープを頬張りながら、きょろきょろと建物を眺めている。
こうしていると、周りからはまるで恋仲のように見られるだろうか。
「ねえ黒銀」
「ん?」
ふと少女の目を見ると、彼女はクリームを口元につけながら、ある建物を指差した。
「武器屋、寄っていい?」
なんというか、クレープを美味しそうに食べている年頃の娘の口から出る言葉ではないと思うが、これが白雪なのだ。
「ああ」
短く頷いて見せ、たまらなく愛らしい少女の口元についたクリームを、指で拭いとって口に含んだ。
「わ」
驚いたようにこちらをみた白雪は、ようやく自分が幼子のような姿を晒していたことを理解し、照れたように苦笑した。
それがまたいちいちいとおしくて、この場で奪ってしまえたら、なんて考えてしまう。
──そろこそ、魅蜻に殺されちまうな、俺。
そんな想像がやけにリアルに浮かんで、ひっそりと笑ってしまう。
「んじゃ、行こーぜ」
少女の空いている小さな手を強引に取り、武器屋に向かった。
「んじゃ、行こーぜ」
そう言って白雪の手を取って歩き出した黒銀の背中をちらりと見上げた。
大きくて、広くて。
つい繋がれた手を見下ろした。
よくわからないけど、地面に足がついていないような、ふわふわと浮かんでいるような、そんな心地になる。
でも不思議と嫌な気はしない。
クレープを平らげた頃に、武器屋に着いた。
中に入ると、割りと綺麗で広かった。
いらっしゃい、と野太い声で言った髭の厳つめの店主は、一瞬白雪を見て怪訝げな顔をしたが、さすが商売人と言ったところか、好きに見てってくれよと言ってくれた。
そこには色んな武器があった。
槍、苦無、小太刀、斧、剣、矢、その他諸々。
だが白雪が真っ先に目をやったのは、
「やっぱり刀か」
後ろに立っている黒銀を振り返りもせず、手にとった刀を見下ろしながら頷いた。
「刀は使ったことがあるからね」
スラ、と少しに抜いてみると、刃が鈍く光った。
「──こんなのどうだ?」
と、鞘に納めた刀を置いた白雪に、黒銀はある刀を白雪に差し出した。
「これ……」
それは柄、鍔、鞘が全部純白の刀だった。しかも、とても軽い。
「白雪にぴったりすぎだろう」
確かにそれは、自分とよく似ているかもしれない。
しかし、
「おじさん、これいくら?」
「そりゃあウチの目玉じゃねーか。そいつァ金五枚だ」
「ほらやっぱり。まあ確かに、これだけ繊細なら……」
刃零れ一つ無い、真新しい刀は、多分作られてから一度も何かを斬ってはいないのだろう。
そっと元の位置に置き、代わりに同じものが何本も雑に立てられた、いたって普通の──いや、店で一番安そうな──刀を一刀手に取った。
「わたしにはこれで充分。元々、人を殺すために振るう訳じゃないからね」
そう言うと、店の主人は太い眉を少し上げた。
「刀は──いいや、刀だけじゃねえ。武器は人を殺すためにあるモンさ」
「それは否定しないけど、同時に人を護るものでもあるって、わたしは思います」
いくらですか、と小さな巾着を取り出しながら聞くと、店主は呆気に取られていた顔をはっと戻し、銅五枚でいいと言った。
「ほんとにいいのか?この間の闘技場の賞金で買えないこともないが……」
「そんなことをしたら美味しいもの魅蜻に食べさせてあげられないでしょ」
いいの、と言って金を払う。
毎度ありという声を背に、二人は店を出た。
早速帯に、艶さえない黒い鞘に入った刀を帯刀し、大きく伸びをした。
「さて、どこ行こっか」
「そうだな、俺はどこでも……」
と黒銀が言い切る前に、ぶわっと風が吹き上げ、白雪の長い銀髪を舞い上げる。
その時、こちらを見ていた黒銀が、目を見開いて固まった。
「……黒銀?」
「なあ、白雪。これ……どうしたんだ」
そう言って白雪の首筋をそっと触る黒銀に、首を傾げそうになったが、ふと脳裏に泉で逢った男が映った。
確か、隻影と言ったか。
奴に噛み付かれたのを思い出し、顔をしかめる。
それを見逃すことなく捉えた黒銀が、苦い顔付きでもう一度問うた。
「これ……どうしたんだ」
「…………」
だけど、答えなかった。否、答えられなかった。
あの男との決着は、自分一人でいい。関係あるのは白雪だけなのだから。
余計な心配かけたくないし、絶対に巻き込みたくない。
奴は強い。
だから、尚更だ。
強い瞳に射竦められ、白雪はそれから逃れるようににこりと笑って見せた。
「ぶつけたのかなあ。あ、でも痛みとかないし大丈夫だよ」
出来るだけ普段通りを装い、ゆっくりと歩き出す。
──そう、わたしは元々こんなだから。
仮面をつけて、自分を否定する世界で澄ました顔で生きてきた。
こちらが口を割らなければ、何とかなる。
だから、
「黒銀ー、行くよー」
お願い。
おままごとと言われてもいいから……。
この楽しい旅に終焉なんて迎えないで。
END.