真っ暗な闇の中に、魅蜻は立っていた。

──これは、夢……?

何となく、そう感じた。底知れぬ暗闇の中で、身体はふわふわと浮いているような、そんな不思議な感覚があるから。

「魅蜻」

不意に名前を呼ばれ顔を上げると、そこには大好きな人がいた。

「白雪……!」

白い彼女は優しく笑いながら、目の前に立っていた。

近付こうと足を踏み出したが、おかしいことに近づく程に白雪は離れていく。

「まって、白雪……」

憂いを含んだ優しい笑みを浮かべたまま、白雪は闇に溶けていく。

「白雪……っ!」





がばっ!

「……っ」

起き上がった魅蜻は、荒い息を整え、周りを見渡した。

──白雪。

少し離れた木に凭れ掛かり、白雪は眠っていた。

夢とはわかっていたが、知らずの内に安堵の息が漏れる。

結局昨日はろくに話さないまま寝てしまった。

元凶である黒銀は、いつの間にか白雪と普通に話しているし。

さっぱりとしている黒銀を恨めしく思う反面、羨ましかったりもする。──口が裂けても絶対に言ってやらないが。

そういえば、その元凶……と、翡翠もいない。

どこに行ったのだろうか。

翡翠を頭に浮かべた途端、そわりと落ち着かない気分になる。

いつの間にか、傍にいるのが当たり前になっている。

白雪が一番大好きだけど、それでも、翡翠にも隣にいて欲しいなんて思うのは、我が儘だろうか。

音を立てないように静かに立ち上がり、腕を組んで眠っている白雪に、自分が着ていた毛布をぱさりと掛けてやる。

いつも、白雪は人のことばかり。

自分だって寒いはずなのに、風邪引いたら大変だからと、己の分の毛布も魅蜻に掛ける。──それも、魅蜻が眠ってから、そっとだ。

よく眠っている白雪を見下ろして、心の中で「ごめん」と呟いてから、ふらりと森の中を進む。

もう辺りは薄明かるくなってきているので、迷ったりはしないだろう。

カサリ、と葉や草を踏みながらふらふらと歩いていると、視界の隅にきらりと何かが光った。

「あ……泉」

そういえば、昨日は水浴びが出来なかった。

ついでだし、浴びていこう。

と、綺麗な泉に近付いた。

木の傍でワンピースを脱ぎ、下着姿になる。

「ここ魚いるじゃん。食えんのか、これ」

「無駄な殺生はお止めなさいな黒銀。朝食なら補充したばかりでしょう」

びくり、と肩を竦めてしまう。

「けど多い方が……」

「白雪嬢に言い付けますよ」

「う。……わーってるよ」

聞きたくない黒銀と、くすりと上品に笑う翡翠の声。

なんでよりにもよってこの二人が──特に黒銀──泉にいるのだ。

魅蜻は眉を潜め、渋々と服を着ようとするが、するりて落としてしまう。

「あ……」

ばさ、と紫のワンピースは音を立てて地面に落ちる。

「──誰だ!」

慌てて拾う前に、黒銀の鋭い声が飛んできて、思わず固まってしまう。

ばしゃんと泉から上がり、草の生えた地面をがさがさと踏んで歩いてくる音に、逃げようとする。が、一歩遅かった。

気が付けば、首元にひんやりとしたものがあてがわれており、瞠目して硬直する。

それは勿論黒銀の刀で、彼は腰に布を巻いただけの格好でも、ひどく威圧感を感じた。

「な……魅、蜻。……悪ぃ」

こちらを認識した黒銀が、慌てて刀を下ろし、左手に持っていた鞘にそれを納める。

「つーか……えーと、悪ぃ」

もう一度謝った黒銀に、はっと我に返り、然り気無く目を逸らした彼に、ふと自分の姿を見下ろす。

……下着姿。

「────っ!」

かあっと顔に血が上るのがすぐにわかった。

「黒銀のっ、……馬鹿ぁ!」

「って」

足元に落ちていた松毬を咄嗟に黒銀目掛けて投げると、それはすこーんっと小気味の良い音を立てて彼の額に直撃した。

ばっと服を拾い上げ、ずぼりと頭から着て踵を返して走り出した。





地味に痛い額を擦りながら、黒銀は小さな溜め息をついた。

見たって言ったって、キャミソール姿。

──俺のが露出してるって。

どっちかっつーとこっちが被害者だろ、と思うが、やはり乙女心は複雑なものだ。

その点、白雪にはあまり乙女具合が無かったりする。

まああんな性格だ。と諦めている自分もどうかと思うが。

あの無防備さがつい放って置けなくなるのだ。

それにしても、

──最近は喜怒哀楽がはっきりしてきたじゃねえか、あいつ。

ふっと微笑み、肌寒いがもう一度泉で身体を清めようと踵を返して、固まる。

「黒銀君。」

艶がある金髪からぽたぽたと水を滴らせながら、木に凭れ、腕を組んで立っている翡翠。

いつもと変わらぬ口調なのに、浮かべているのは穏和そうな笑みなのに。

黒銀は嫌と言うほど知っている。

彼が「黒銀君」と呼ぶ時は、お説教が始まる合図なのだ。

「ちょっと待て!見てねえって!たかがキャミソールだろ!」

「たかが、ですか」

ほう、と目を細める翡翠がこの上なく怖い。

怒ると、本気で怖い。

取り敢えず、怖い。

「貴方は女性の身体を見慣れているかも知れませんが、彼女にとっては“たかが”じゃないでしょうね」

……朝からとんだ災難だ。

「聞いてるんですか、黒銀」

「聞いてる!」

──くそう。時間よ戻ってくれ。





──見られた。見られた。

全力で疾走しながら、羞恥と怒りで頭が混乱する。

しかも、見ちゃった。

男の人の裸体──といっても隠さなきゃならない部分は隠れていたが──を見たのは、まだ幼い頃、父と風呂に入ったっきりだ。

その父も、魅蜻がはっきりと物心ついた頃には、母と争う所しか見ていないが。

ずっと昔は、母と父と三人、笑い合っていたはずなのに。

いつからだろう。

いつから、私は笑えなくなったのだろう。

ざっと森の切り開いた場所に出ると、白雪が朝食の支度をしていた。

薪の火でチーズが挟まれたパンを炙っている白雪。

その後ろ姿に、昨日のことも忘れて思いきり突っ込む。

「うわ、わっ、わ!」

思わずパンを取り落としそうになった白雪だが、なんとかそれを清潔な布の上に置くと、振り返って魅蜻を覗き込んだ。

「魅蜻、どした……」

困ったような笑みが、ぎょっと驚いたようなものになる。

「な、なに泣いて……。どこか痛いのっ?それとも、」

慌てたような白雪に、ほっとすると同時に余計涙が溢れ出す。

「黒銀に……、……」

「黒銀に……?」

「下着姿、見られた……」

泣いているのは、家族を思い出して、白雪と出逢う前を思い出して堪らなく胸が痛くなったからなのだが、それでも黒銀への日頃の鬱憤とばかりに白雪にすがり付いた。

「下着姿を見られた……だと?」

ぴきり、と白雪が固まる。

「し、白雪……?」

「そう……可哀想に」

低くなった声音に恐る恐る名を呼ぶと、よしよしと子供をあやすような手付きで背中を撫でられた。

「わたしが天誅を与えないとね。」





ようやく翡翠の言葉責めが終わり、ぐったりとしながら二人で戻ってきた。

「ああ……飯」

こんがりと香ばしい匂いが漂っていて、ようやく安堵する。

「白雪が炙ってくれたのか。さんきゅ「黒銀。」

礼の言葉を白雪が遮る。

その抑揚のない声音に、嫌な予感がした。

ふと白雪に視線をやると、彼女は笑っていた。

そして、白雪の隣にいる魅蜻も、笑っていた。──ひっそりと。

──やべえ、死亡フラグが。

背筋に冷たいものが走る。

「魅蜻の下着姿を見たそうだね、黒銀。」

──核心!

口元が引き攣る。

「見たそうだね、黒銀。」

もう一度、同じ言葉が繰り返される。

これが嫉妬心だったらいいのに、と現実逃避したい気持ちで、こくりと頷く。

「だがあれは……」

きっと、大きな目がつり上がる。

「問答無用!!魅蜻の下着姿を見るなんて、万死に値する!」

その後、森に断末魔のような悲鳴が響き渡ったのは言うまでもなかった。

──白雪と、普通に話せて良かった。

「良くねーよ!!」

「黒銀朝食抜き!!」





END.

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あきゅろす。
リゼ