あてなき旅は続く──。



雲一つない青い空は晴れ晴れとしていて、清々しい気持ちにさせる。

そんな空の下、一同は一本道を歩いていた。

「あのーう」

むっつりとした表情の魅蜻に白雪は控え目に声をかけた。

何があったか知らないが、今朝魅蜻は今までに見たことがないくらい憤怒を露にしていた。──多分原因は黒銀だろう。

起きるなり顔を洗えだ唇は一番よく洗えだ、しまいには風呂に入れられた。何が何だかさっぱりだ。

そして町を出て一刻歩いているのが未だこの状態。

あからさま不機嫌な様子の魅蜻は先頭を歩きながらいつもに増して無言だ。

一体何なのだ、と首を傾げる白雪は、隣でくすくす笑う男、翡翠を恨めしそうに睨みあげた。

「──なに?」

むっとした声音で聞くと、翡翠は整った顔に笑みを浮かべながら首を振った。

「いえ、あまりにも──いいえ、何もありません」

何かを言いかけただろう翡翠はしかし口をつぐみ、さっさと魅蜻の元まで歩いていってしまった。

あまりにも──鈍感すぎる。

なんて、言葉にしたら命の保証はないので、翡翠は胸に留めておいた。

「意味わかんない」

口を曲げるもこの際元凶に聞くのが一番だと、殿を務める黒銀を振り返った。

「ね、黒が……」

漆黒の瞳と目があったのは一瞬──すぐに逸らされた。

こちらも朝からずっとこんな風によそよそしい。話しかけても「ああ」とか「そうだな」とか生返事しか返ってこない。しかもまともに目すら合わせてくれない始末。

何なんだ一体!

さすがにもう話しかけようとは思わなかったが、白雪の胸には小さな不安が渦巻いた。





──わかっている。悪いのは白雪じゃないと。悪いのは、黒銀だ。

それでも、一緒に寝てたことも悔しくて。

勿論一緒に寝たことはある。けれど、魅蜻が先に寝なければ白雪は寝てくれなかったし、朝だって気が付けばとっくに白雪は起きていた。ましてやあんな風に抱き合って寝たことなどない。

「…………」

それでもやはり接吻していたのが一番腹が立つ。寝惚けていたとはいえ、深い沼に沈めてやりたいくらいだ。

「魅蜻さん」

翡翠が隣から呼び掛けてきた。しかめっ面でちらりと翡翠を見上げると、彼は苦笑していた。

「白雪嬢が困っていますよ」

「う……」

それを言われれば唸るしかないのだが、少しくらい困っちゃえという思いも頭を過った。

「…………」

無言になり俯いた魅蜻の頭を、翡翠は優しく撫でた。

その優しさに一瞬胸が高鳴り、魅蜻は不思議そうに首を傾げた。──何だったのだろう、今のは。





一同は無言で歩いていた。歩くことに集中していたため、日が傾いたことにもしばらく気がつかなかった。


「……今日は野宿ですねえ」

翡翠がぽつりと呟き、ようやく一同は顔を上げた。

「確かに、この辺には村すらないな。……仕方ねえ。もう少し進めば泉つきの森があったはずだ。そこで野宿だ」

黒銀の提案に、同意するように翡翠が頷いている。

(詳しいんだなあ……)

なんて、今や一番後ろでぼんやりとそれらを見ながら、白雪は空を見上げた。

夕陽も沈みかけた空は、ほぼ藍色で、雲ひとつなく晴れ晴れとしている。

そんな空とは対照的な心に内心苦笑を漏らしてしまう。

「さあ、着きましたよ」

ぼんやりとしながら歩いていたので、いつの間にか森の中に着いていたらしい。

森は割りと静かで、白雪は小さく眉を潜めた。

──静かすぎやしないか。

虫すら鳴いていない。

嫌な予感だなあ……。

辺りを見回しているうちにも黒銀は手早く火を焚いたりと、旅で慣れた者の行動をしていた。

「白雪嬢。ご飯、食べますよ」

「あ、はーい」

もう既に他の三人は火を囲むように座っていて、手にはパンやチーズを持っている。

白雪もそちらに加わるべく返事をしたが、刹那、ぞくりと嫌な感覚が背中を駆け抜けた。

「と、その前に水浴びてくるね。黒銀、泉はこの奥でいいんだよね?」

「あ、ああ……」

「ありがとう。パン、残しといてね」

そう言うなり踵を返して森の奥に駆け出す。

ざっざっと草を踏む音だけがやけに響く。

そして、一面に広がる泉を前にぴたりと足を止めた。

水面も、静かだった。風一つなく、魚さえ沈黙している。

「──姿、現したら?お国のワンちゃん」

白雪は小さな冷笑を浮かべながら言い放った。すると直後、首筋にひんやりとしたものが当てられ、耳元で低い声がした。

「侮れないなあ。だが僕は国の駒じゃあないぞ」

ぞくりとするほど冷たい笑みが含まれた男の声に、白雪の眉は僅かに上げられた。

「お前と同じ化け物だよ」

「……──ッ!」

刹那、ぐにゃりと視界が歪み、ぐらりと身体が傾いていた。

気付けば、地面に押し倒されていた。

銀色の半月が雲間から覗き、月明かりが照らしていく。

銀色の瞳に移ったのは、闇より深い漆黒。

「な……」

「こんばんは、満月のようなお嬢さん」

癖毛の艶やかな肩下までの黒髪を左に一つに纏め、月明かりの下こちらを見下ろす瞳は深紅。幼さが含まれた、整った顔には冷たい笑みが浮かべられている。

「だ、れ……」

何も、反応出来なかった。いつ背中をとられたのかも、わからなかった。

────強い。

直感が確信を持ってそう伝えていた。

「僕?だから、言っただろう?僕もお前と同じ“化け物”だって。お前の仲間だよ、満月のお嬢さん」

色のない瞳がこちらをじっと見下ろす。冷たく、楽しそうに。

「き、み……は」

「僕の能力は、相手の気を吸い取ること。気は精神の源。精神は気の源。つまり、それを取られると力が抜けちゃうわけ。お前ならわかるだろう?気がどんなものか」

白雪は目を瞠った。それは恐怖からでも、能力からでもなく、“自分と同じ存在”がいたからなのだ。

「……君も、国に追われる身?」

「まあね。でも、退屈はしないよ?血は何より楽しいからね」

つつ……と刀で頬を薄く切られ、僅かに走る痛みに目を細めた。

ゆっくりと流れる血を男はぺろりと温かい舌で舐めとった。

「美味しい」

ぞくり、と背中が冷たくなった。知らずの内、身体が強張る。

「その顔、そそるねえ」

「な……」

「おっと、怒った顔も素敵だね。……動かないでね?同志を見付けたんだ、傷付けたくはないから、ね?」

耳元で囁かれる度、身の毛がよだつ。自分が猫なら全身の毛が逆立っているだろう。

「同志……?わたしと君とが?」

「そう、国に飼われ国に殺される……そんな国を滅ぼす同志さ」

「……──は、一緒にしないでくれるかな。確かに国はわたしを殺そうとする。だけど、国に飼われる気もなければ、国を滅ぼすつもりも、毛頭もないね」

鼻で笑った白雪をまじまじと見下ろした男は、その紅い瞳に興味深そうな色を見せた。

「へえ……そうやって、誤魔化すんだ。でも、お前は国を憎んでいる」

「……も、いい加減にしてよ。退いてくれるかな」

薄ら笑いを浮かべる男に底知れぬ恐怖を覚え、白雪は男を睨み上げた。

すると男はくつくつと喉を鳴らして、ゆっくりと離れた。かと思いきや、白雪の白い首筋に噛み付いた。

「────ッ、な……」

ちくり、と僅かな痛みに顔を歪めた白雪から今度こそ退き、くすくすと楽しそうに笑みを漏らした男は瞠目している少女を見下ろした。

「僕のものっていう印。今日は噂の純白の巫女姫を見に来ただけだからね、この辺でお暇するさ。──僕は隻影-セキエイ-。満月の夜にまた会いに来るね、白雪」

次の瞬間には、もういなかった。ただ、ざわざわと風が草木を撫で回していた。

「……隻、影」

小さく呟き、顔をしかめてからゆっくりと起き上がった。

「……同じ、化け物」

風が止み、しんとした空間に少女の小さな声が響き、消えた。

「…………どうせだし、水浴びしてから戻ろ」

水を浴びてくると言って来たのだから、水浴びしていなければおかしいだろう。

白雪は純白の打掛、着物を脱いで、襦袢や身に付けているもの全てを脱ぎ、髪を下ろしてからひんやりとした泉に入っていく。

「つめた……」

冷たいのに、噛まれた首筋がじんわりと熱を持っている。

そこを、そっと押さえて溜め息を溢した。





「なあ、白雪遅くないか?」

もう白雪が水浴びに行ってから、大分経つ。

焚き火も徐々に小さくなり始めていて、辺りも真っ暗だ。

腕を組みながらとんとんと自身の腕を指で叩く黒銀に、翡翠は苦笑した。

「女性は綺麗好きなのですよ」

「……そうだとしても、遅すぎやしないか?」

口を曲げて翡翠を見る黒銀の眉間には皺が寄っている。

「…………遅い」

ぼそりと呟いた魅蜻に、黒銀がほらと言わんばかりに翡翠を睨んだ時だった。

「ただいまー」

髪を下ろした純白の少女がようやく戻ってきて、何事もなかったように小さくなった焚き火の前にしゃがみ込む。

「夜は寒いねー」

自分の肩を擦る白雪に、三人は小さく息をついた。

「遅かったじゃないか」

「ああ……泉が綺麗で、つい」

普通に話しかけてきた黒銀におや、と眉を上げるも白雪は笑顔で答えた。

「……そう、か」

僅かに顔を曇らせた黒銀に首を傾げていると、魅蜻がパンとチーズを手渡してきた。

「ん」

「あ、……ありがと。いただきます」

こちらはまだ機嫌が直っていないのかな、と思いながらも黙って食べ始めた。





【満月の夜にまた会いに来るね、白雪。】

漆黒と静寂が辺りを包み、半月だけがほんのりと地上を照らしている。

白雪は星が散らばる空に浮かんだ半月を見ながら、隻影の去り際の言葉を思い出し、ん?と呟いた。

「……もう会いに来なくていいんだけど」

小さく呟いて、目を閉じた。瞼の裏に映るのは深く紅い瞳を持った、自分と同じだと言う青年。

「隻影……」

白雪の呟きは瞬く間に森に吸い込まれて、消えていった。

きっとまた会わなければならない、そう確信をして、白雪はゆっくりと眠りについた。



End.

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