柔らかな木漏れ日に、青年はうとうとしていた。

金髪に日があたり、きらきらと輝いている。

膝に乗せたままの本は珍しくページが進んでおらず、男の割りには細い背中を木造ベンチの背凭れに預けた。

ここまで暖かいと眠たくなりますね、なんて暢気に思いながらもすぐに眠りに落ちた。

─────
───


ふにふにと頬を柔らかな指で突っつかれ、軽く身じろぎしてからゆっくり目を覚ます。

すると碧の瞳には真っ先に紫の少女が映った。思わず考えるよりも先にその小さくて愛らしい顔に触れていた。

「……翡翠?珍しい、居眠りなんて」

少し驚いた顔をするも、心配そうに自分を見つめる魅蜻に目を細めて、手を退かした。

「木漏れ日が心地好くて……隣いかがですか?」

ふっと微笑んで隣をぽんぽんと叩いてやると、魅蜻は遠慮気味にすとんと座った。

「どうしたんですか?私はてっきり白雪嬢といるかと思いましたよ。……まあこちらとしては嬉しいですが」

今日は白雪と宿屋で存分にいちゃついているはず、と思っていた翡翠がそう言った途端、整った魅蜻の顔付きが渋いものに変わった。

「……黒銀、白雪連れてった」

「あー……」

そのたどたどしい言葉に成る程と理解した。

こちらに気を利かしているのか、はたまた自分の欲望か──後者だろうが結果オーライということにしよう。

「どこに向かったんです?」

「わからないけど、賞金稼ぎって言ってた」

賞金稼ぎ。この広い町で賞金稼ぎと言えば──、

──闘技場、ですか。

闘技場とは、金を賭けて武術で争い、勝った者が相手の賭けた金を貰えるという、まさに賞金を稼ぐに相応しい場所だ。

しかし出るからにはそうとうな手練れの荒くれ者ばかりで、実力を試したいからといった理由で参加する者は少ない。

ましてや闘技場の客席以外で女を見かけたことはなかった。

しかしあの白雪なら飄々として相手を潰していってるだろう。

御愁傷様、などと顔を見ぬ戦い相手に思っていると、魅蜻が服の袖をくいと引っ張ってきた。

「…………暇」

そりゃそうだ。

一緒に旅をして彼女を見てきて、意外にもずっとじっとしているということが苦手なのだとわかった。

好奇心は人一倍なのだろう。

「では、今日も散策してみますか」

そう提案すると、案の定魅蜻は瞳を輝かせて頷いた。

それに微笑を漏らせば、魅蜻の手を取り立ち上がる。

「わ……」

「行きましょう」

繋がれた手をまじまじと見る魅蜻に穏やかな笑みを向け、頷いたのを確認すると二人で歩き出した。





「どこ、行くの?」

あてなくゆったり歩いていると、隣で魅蜻が首を傾げて聞いてきた。

「そうですねえ。行きたいところ、ありますか?」

そう聞くと、魅蜻は目を瞬かせて周りを見渡した。

「あれ」

あろうことか、指を指したのは、──闘技場ではないか。

「えーと魅蜻さん?あそこは少々暑苦しいですが……」

「あそこ、闘技場?」

「……まあ」

「行く。行きたい」

顔には表れないが目は口ほどにものを言う。

ごねるように頼む魅蜻にしばし考えていた翡翠だが、結局は折れた。折れざるを得ない。

「わかりました──少しだけですからね」

本当に少しだけ、と念を押すよう言うと、こくりと素直に頷いた魅蜻を見て苦笑しながらその小さな手を引いて中に入った。

重々しい扉を開くなり、むわっとした汗臭い臭いに隣の少女が顔をしかめたのが傍目に見えて、密かに苦笑した。

それでも引き返す気はないのか、こちらをじっと見上げる魅蜻に肩を竦め、堪忍したように手を引いて奥へ進んだ。

その間にも魅蜻はきょろきょろと躊躇いがちに周りを見渡しながら、興奮気味に叫ぶ厳つい男達を眺めていた。

──あまり目に良いものとは思えませんね。寧ろ毒というか。

片手で紫の瞳を覆ってしまいたくなるのを必死に堪えながら、地下のフィールドがよく見下ろせるように前まで来た。

手すりに凭れて息を吐き出した直後、心臓を跳ねあげるようなゴングの音とそれに負けないくらい大きな歓声が耳をつんざいた。

相変わらずの騒がしさに片目を瞑り溜め息をついて、ちらりと魅蜻を見ると案の定目を見開いて固まっていた。

まあ、当たり前だろう。闘技場は女のくる所じゃない。──白雪は例外だ。

「それにしても一段と騒がしいですねえ……ああ、成る程」

フィールドを見下ろしてみて納得。フィールドの中心にはむさ苦しい男とは駆け離れた、小柄だが神々しい少女がいた。勿論、白雪。

そして白雪の背後には彼女と対照的な漆黒の青年、黒銀がぴったりと張り付いていた。

黒銀の足元には巨体の男が二人倒れていた。あれは遠目でも気絶しているとわかる。

それをした張本人、黒銀に白雪が不服そうな目を向けていた。

「わたしの獲物取らないでよ。第一、護って貰うほどか弱くないし」

「馬鹿言え、お前女なんだからもっと体を大事にしやがれ。大体、その綺麗な肌に傷でもついたらどうするんだ……。そもそもお前はな」

あ、黒銀必殺説教が始まりました。──白雪は聞く耳持たぬといった様子だが。

それを遮るようにゴングが鳴らされ、再び歓声が飛び交う。

『最終戦!まさかのペアが勝ち残りました!──といっても美形な彼が一人で敵を薙ぎ倒してるけど。まあそれはさておき、最後の敵はチャンピオンと称えられる、斧使いの巨人兄弟!!』

気絶した巨漢を係りの者が数人で引きずって行くのと入れ替わりに、さらに素晴らしい巨漢が二人現れた。

これでもかという程筋肉隆々、馬鹿でかい斧を肩に担いでやって来たのは見るものを圧倒されるほど厳つい顔をした男二人。

「あ、あれと戦うの……?」

横で上擦った声音で聞いてきた魅蜻に、躊躇いながらもこくりと頷くと、白い肌からサーッと血の気が引いていくのが伺えた。

「し、死んじゃう……」

「……大丈夫、なはずですよ。あれでも黒銀は手練れです。そう簡単にくたばるはずがありません」

「……でも、白雪が」

「白雪嬢の番犬よろしく黒銀に任せたら大丈夫でしょう。死んでも護りますよ」

「……ん」

こくりと頷いた魅蜻の頭をそっと撫でてやると、魅蜻は手すりから少しだけ身を乗り出し、真剣にそれらを見始めた。

そして、ゴングが鳴らされる。

さすがに張り詰めた空気の中歓声を挙げる者はいなかった。

「白雪、こいつらは今までとは格段に違う。絶対に手を出すなよ」

「今までだって手を出さしてくれなかったじゃん。わたしだって参加したからには戦う義務がある」

「これは、二人一組だし……第一白雪が出るってごねるから、戦わないこと条件に出場したんじゃねーか」

「わたしは戦わないなんて一言も言ってないんだけどな」

「減らず口め……!」

いよいよ口喧嘩が始まりそうになった頃、耐え兼ねた兄弟の兄……か弟かはわからないが、男の一人が口を挟んだ。

「痴話喧嘩は犬も猫も俺達だって食わねーなあ。そろそろいいかい、お嬢ちゃん達。早くぶっ飛ばしたくてたまんねーんだよ」

兄弟二人揃ってガチャリと斧を構えた。

黒銀は刀を構え、白雪は先程観客に借りた木刀を構える。

「木刀たあなめられたもんだなあ。俺はあのガキを殺るからお前は男を殺れ」

「へい兄者」

どうやら右利きの方が兄で左利きの方が弟らしい。

頷きあった二人は、地を蹴ってそれぞれの獲物に向かう。

「殺るって言っちゃってるし……」

ぼそりと呟いた白雪は意外にも素早く向かってくる兄に肩を竦めた。

「白雪……っ」

それに気付き庇おうとするがすかさず弟に阻まれた。重い斧を振り下ろされ間一髪飛び退いた黒銀は舌打ちしたくなった。

「黒銀、わたしは大丈夫だって。たまには運動もしなきゃ体が鈍っちゃうでしょ」

相変わらず間延びした言葉に黒銀は顔をしかめた。──どこまで飄々としているんだか。

「無駄口叩くとは随分余裕があるんだ、なあっ!」

ぶぉんぶぉんっと鈍い音を立てながら振り下ろされる斧をひょいひょいと小さく飛び退きながら避ける白雪に、兄の額に青筋が浮かぶ。

「この、すばしっこいガキが!」

「お褒めに預かり光栄だよ」

どうしていちいちそう相手の精神を逆なでするのか、と呆れながら見ていた翡翠だったが、壁まで追い込まれた白雪に不味いですねと眉をしかめた。

荒い息の男と息一つ切れてない少女。──まるで美女と野獣だ。なんて思っていると、兄は斧を振り上げた。

「だ、だめ……!」

「え?」

隣から切羽詰まった叫びが聞こえた、と思うと同時に視界の隅にたしかに紫色の少女が映った。

それは身を乗り出しすぎてぐらりと体が傾き……、

「魅蜻さん……!?」

慌てて手を伸ばしたが時既に遅し。少女はそのまま落下していった。

どごっと鈍い音を立てて前のめりになった兄の背中に落ちた。

「魅蜻っ?」

さすがに予想していなかった少女の登場に白雪は頓狂な声を挙げた。

それを傍目で見ていた黒銀も驚いたが、弟に邪魔されていて中々動けない。

「いってえな……この糞餓鬼……!」

さすがに倒れはしなかった兄が背中を擦りながら、地面に尻餅をついて硬直している魅蜻を振り返り睨みつけた。そして振り上げた斧を振り下ろした。

「魅蜻さん──!!」

翡翠は躊躇いもなくフィールドに飛び降りた。地面に足がつくと衝撃で体に電気が走り顔をしかめた。

そして目に入ったのは振り下ろされたはずの斧が吹き飛ばされくるくると宙を舞って──ザンッ!

「……っ?」

翡翠の足元に突き刺さった。これには心臓が止まるかと思った。

ばくばくと騒ぐ心臓を押さえながら何があったのだと顔を上げると、青い顔をした兄と、魅蜻を片腕で抱き木刀を構えた白雪。

「ふーん──そんなに死にたいわけ」

呟いた白雪の声に全身の毛がぞわりと逆立つ感覚を覚え、背筋がひやりと凍り付いた。

「翡翠、魅蜻お願い」

白雪は未だ硬直しているを翡翠に押しやり、木刀をくるくると指で回した。

「もう少し遊ぼうかなって思ってたけどやめた。──どうやらわたしは機嫌が悪いらしい」

不敵で冷徹な笑みを浮かべてそう言った白雪が、兄を気絶させるまでそう時間は掛からなかった。





「──魅蜻、もうあまり無茶はしないでくれるかな」

宿に戻った一同。白雪は正座して縮こまる魅蜻を前に説教をしていた。

「あれこそ心臓に悪くて死んじゃうよ」

口調は柔らかいが有無を言わせぬ迫力はさすがだと翡翠も黒銀も思った。

(貴女が飛ばした斧にも心臓が止まるかと思いましたがね)

なんて密かに思いながらも、いつまで続くかわからない説教を止めようと割り入った。

「まあまあ白雪さん……いえ、白雪嬢、そこまでにしてあげて下さい。──元はと言えばしっかりと見ていなかった私が悪いのです。この前だってそうです。最近は注意力に欠けている──すみませんでした」

深々と頭を下げる翡翠に白雪は困惑したように眉を下げる。

「ちょ、翡翠……」

「翡翠は悪くない!私が悪い……!だから、ごめんね、白雪」

更に魅蜻まで頭を下げる。これには白雪もお手上げだ。

「はあ……もういいから、頭を上げて二人とも」

ゆっくりと顔を上げた二人は視線を交わし、ふっと笑った。

それを見て白雪は少し寂しさを感じたが、魅蜻のその柔らかい笑みにほっとした。

「寂しいか?」

ぽん、と白い頭に手を乗せた黒銀に白雪は苦笑してみせた。

「まあね」

「じゃあ俺が慰めてやるよ」

「丁重にお断りするよ」

「なんだとっ」





いつもに増して賑やかな四人は、忍び寄る闇にはまだ気が付いてはいなかった。

しかし着実に、闇は忍び寄ってきている。

END.

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