昨日泣いて帰って、それから一晩中ずっと泣き通した。こんなにも辛いのに、俺は何故まだ謙也を好きでいようとするのだろう。
もう、いいんじゃないか。俺は今日までよく頑張った。この関係の中で救われることがないのなら、楽になることを選んでもいいんじゃないか。もうやめたい、もう逃げたいと何度も枕に声を埋めた。諦めるのは辛いかもしれないが、いつか痛みも、この恋も忘れられるだろう。結末が分かっているのに、わざわざ深手を負いにいくようなことをしなくてもいいんじゃないか。

俺は許されたかったのだ。
自ら始めた戦いを自ら放棄しようとする駄目な自分を。
俺は甘い言葉を望んでいたのだ。
疲れきった自分を労う、優しい言葉を。

その一方で、誰かに叱られたかった。
戦い抜けと応援されたかった。
だから屈託なく戦うことを選ぶであろう金ちゃんを話し相手に決めたのだ。

次の日の俺は一日中金ちゃんを探していた。泣きすぎて腫れてしまった重い目は誰にも見られたくなかったが、それでも金ちゃんにだけは会いたかった。しかし金ちゃんがとうとう見つからないまま、一日は終わろうとしている。諦めて帰ろうとしていたとき、話したいと思っていた相手が急に木の上から降ってきた。

「金ちゃん!?危ないなあ」

後ろから声を掛けたら、金ちゃんは振り返ってとても不思議な顔で「白石?」と疑った。

「金ちゃん、元部長の顔をもう忘れてしもたんか」

「いや、忘れてへんけども。白石ってこんな不細工やったかなと思ってん」

金ちゃんは遠慮より気遣いより、正直さや素直さを重視しているらしい。泣き腫らした目の俺を見て率直な感想を教えてくれた。

「ちょっと目が腫れとるだけやんか。酷いなぁ、金ちゃん」

「白石、堪忍なあ。
……でもホンマ、最初見たときソックリさんかと思ったわ」

「金ちゃん!」

ひえー、毒手は嫌やぁ!と手で防御の姿勢を取る金ちゃんを見て俺は笑った。部活を引退してしまったから、このやり取りも久々だ。
笑うと浮腫んだ目が重くて気になった。

「金ちゃん、今からたこ焼き食いに行かん?」

俺の唐突な誘いにも、金ちゃんは乗ってくれた。話がしたいと前もって断るほどではないので何も言わなかった。金ちゃんに悩みを相談したところで「話にならない」のは分かっていた。だけど俺は誰かに行き場のない感情をぶちまけてしまいたかったのだ。

「白石の奢り?よっしゃ、ほな早よ行こ〜!」

明るい声を上げて走り出した金ちゃんを慌てて追いかける。まだ寒いのに誰より薄着で、吐く息を白く染めながらキラキラ笑う金ちゃんを見ているとそれだけで少し胸の空く思いがした。

たこ焼き屋に着くと、金ちゃんは店の窓にへばりついて俺を待っていた。

「コラ、金ちゃんはしたないで」

「あー、白石!せやかて白石来るん遅いんやもん。引退して体力落ちとんのとちゃう?」

金ちゃんはカラカラ笑いながら、「ま、ええわ。早よ入ろ」と言って俺の手を引いた。まだ高鳴り続けている鼓動に更なる追い討ちだ。気恥ずかしくて赤くなる俺のことなんか御構い無しで、金ちゃんは一番多く入ったたこ焼きを買っていた。

本当に大好物なのだと思うほどの幸せな表情で金ちゃんはたこ焼きをバクバクと呑み込んでいった。食べ終えた金ちゃんはすぐさま走って行ってしまうかもしれなかったから、俺は金ちゃんが食べている最中に問いかける。

「なぁ、金ちゃん。逃げるんってどう思う?」

金ちゃんは唐突な質問自体に驚いたようで、幼い顔に怪訝な表情を見せた。

「白石、どないしたん?」

「俺には分からへんねん。戦わずに逃げることって駄目なことなんやろか?」

そんなんアカンわ、男が廃るでぇ!
いつものように明るく、そう答えてくれると思った。だけど金ちゃんは首を捻って、珍しく落ち着いた様子で口を開いた。

「……逃げても逃げ続けるわけにはいかへんやろ。地球ってまんまるやんか。一周逃げ回ったら結局同じとこに戻ってきてまうしなあ」

くるり、たこ焼きを突き刺した爪楊枝を回して金ちゃんはそう言った。
地球一周逃げ回れるのは金ちゃんくらいだし、そんな物理的な話でもないのだが、金ちゃんの言葉には妙な説得力があった。

「白石は、なんで戦わずに逃げたいん?」

「何故?」「どうして?」と大人の答えにくい質問ばかりする子供のように、金ちゃんは無邪気だった。核心を突かれた俺はしどろもどろになりながら、答えを探す。

「なんでって、そりゃ……、負けるのが怖いからやろ」

ふーん。
金ちゃんは何を見ているのか、どこか遠くに目を遣ったまま相槌を打った。金ちゃんがこんなにも大人しく俺の話に付き合ってくれるなんて珍しい。

「怖いんか。白石、ビビりやな」

金ちゃんはニシシ、と歯を見せて笑った。
そうだ、そう言って俺を馬鹿にして。弱気の俺に喝を入れてほしい。そう願ったのに、次に金ちゃんの口から出たのは思いがけない言葉だった。

「まぁワイもビビることはあるけどな。『あっ、こら無理やわ』と思ったこともあるし。
……でもワイは思うねん、どんな不利な戦局でも『絶対』のつく勝負なんてないやんか。そんなら戦わずに逃げることって、手に入るかもしれんかった『勝ち』さえも放棄するってことやで。勝利も要らんから下りるってのはなんか凄いと思わへん?」

そう言って金ちゃんは振り向いた。
「あれ?凄くなんかあらへん?あー、ワケわからんくなった!白石、ワイの言うとること分かる?」
自分の思うことを言葉にして伝えるのは難しい。頭を抱えながら、必死に何かを伝えようとしてくれることがありがたかった。誰よりも小柄なこの後輩が、今はとても大きく頼もしく見える。

「わかる、わかるよ。金ちゃん」

俺は頷いた。
金ちゃんが「ホンマ?なら良かったわ〜!」と笑った、その歯に青海苔が付いていることを指摘するか悩んだが、そこは食べ終えるまで放っておこう。
青海苔を付けたままの金ちゃんは「明日知恵熱出たらどないしよ!」と大袈裟に続けた。

話はそれだけで終わりかと思ったのに、金ちゃんはそのあとも俺を迷わせる言葉を口にした。

「それにな、自分が傷付かんように逃げるんも、ワイはええと思う」

俺は金ちゃんにただ一言、「選べ」「戦え」と言われたかっただけなのに、どんどん金ちゃんに許され始めて俺は本当にどうしたかったのか分からなくなり始めた。

「ワイは今までな、身体さえ傷付かんかったら大丈夫や〜思って生きとってん。でもな、夏の全国大会でな、立海の大将さんと勝負したことあったやろ。
あんとき初めて知ったんやけど、心が傷付いたら身体さえ言うこと聞かへんねん。
体は資本言うけど、ホンマはそれ以上に自分の心が大切なんやって気が付いた。逆に身体がどんだけ痛おても、心が元気やったらなんぼでも立ち上がれるもん」

金ちゃんの言葉が胸に染み込んで、響き渡った。そうか、逃げたいと思うのは心の警告だったのだ。自分が壊れないようにするために。心の痛みがキャパシティを越えないように発された、最終警告だったのだ。

「逃げれる勝負も逃げれん勝負もある。ワイはいつだって逃げたくないけど、世の中には『逃げるが勝ち』っていうんもあるんやろ?そういうことにしとけばええやん。

……で、もう一つ食ってもええ?」

感動を素早く打ち切って、金ちゃんは空になった皿をこちらに向けてきた。
しゃーないなあと小銭を渡せば、「おおきに!」と明るくレジに向かって行ってしまう。その後ろ姿は同じ夏を過ごした時よりも背が伸びているように感じられて、心がぎゅっと締め付けられた。成長していく。金ちゃんには無限の可能性がある。その証拠に、短絡的で一方的だった金ちゃんが、俺の弱気を許してくれるまでになった。金ちゃん、めっちゃモテるようになるんやろな。何の気なしにそう思って、俺は少しだけ寂しくなった。

「これ食い終わったらテニスしよーや!」

でも今はまだ、目の前にいてくれる。俺の子供っぽい後輩でいてくれる。だから俺は一度だけの今を大切にしていよう。

「俺はええけど、金ちゃんは食ったばっかやん」

「へーきへーき!白石と勝負するん久しぶりやー、めっちゃ楽しみ!たこ焼きパワーで白石をケチョンケチョンにしたろ!」

追加で頼んだたこ焼きもあっという間に金ちゃんの口に吸い込まれた。
「ゴチソウサマ!」
ニカッと笑った金ちゃんの歯から、もう青海苔は消えていた。

金ちゃんの笑顔には力がある。
無責任に強引に、他人のことを幸せにする笑顔だと思う。

「金ちゃん、おおきにな」

俺の言葉に金ちゃんは首を傾げながら、「白石が何に悩んどるんか知らんけど、悩んどるときこそ身体動かした方がええで!頭もスッキリするしな!」と教えてくれた。

何度でもありがとうがループして、収拾がつかなくなりそうだったから、俺は「ほな、いこか」と金ちゃんに笑いかけた。

逃げ出すことを許された俺は、どうしたらいいのだろう。


→金ちゃんだから、許してくれるのだろうか。金ちゃんは、俺だから許してくれたのか。それを知りたいと思うことを逃げだとは思いたくなかった。

→金ちゃんに逃げてもいいと言われたら、確かに許された気がした。でも、それを選ぶのはまだ早いかもしれない。あともう少し、俺は頑張れる。金ちゃんの笑顔が最後に俺の背中を押してくれた。








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