言った。
俺、今、好きって。
時が止まったようだ。
長く薄く吹いていた風も止んだ。
謙也の表情だけが、少し動いた。
言ってしまった安堵と達成感とで今にも放心しそうなほどなのに、緊張も最高潮で、耳の中が煩くて外の音が聴こえない。
謙也の顔がまた僅かに歪む。
なあ、それってどんな顔?どんな意味の顔?
目の前にいるのは、今まで見たことのない謙也だ。
ドクドクと脈打つ音が頭の中にこだまする。静寂なのにうるさい。耳が変になって声を聞き逃すかもしれなかったから、謙也の口をじっと見つめた。
謙也は俺から目を逸らしたまま、口を開いた。
「白石、あんな、」
良かった、謙也の声が聴こえた。
耳に届いた彼の声は震えていた。
「俺アホやろ?あとからバレて気まずくなるんイヤやから、先正直に言うとくわ」
告白の返事ではない言葉がいくつか紡ぎ出された。俺は黙ったまま謙也の言葉を聞いた。
「俺な、今さっき財前に告白してん」
頭にガツンと衝撃がきた。
結果に対する疑問より先に、遅れてきた理由はこれかと合点がいく。人が告白しようとしているのに、それを分かっているくせに、そんなことをするなんて。ホンマ、ずるい奴。
……憎らしく思っても、好きな気持ちまでは覆らなかった。
「そんでまあ、……フラれた。キッパリ断られてん。大体わかっとったけどな」
謙也は空を仰いだ。
俺はその答えを聞いても、良かったとは思えなかった。ただ謙也のことが一層分からなくなった。
フラれて辛いはずなのに、謙也は何故来たのだろう。
泣く暇もなく、何故走って俺のところに来たのだろう。
「こんなこと別に聞きとうなかったやろ。……堪忍な」
謙也が俺に笑みを向けてくる。
分からない。
何故笑う?
泣きたいはずなのに、何故そうしない?
俺が一方に押し付けた約束なんて、破ってしまえばよかったのに。
でも謙也はそうせずに、俺に何かを伝えるためにここに来た。――来てくれた。
「……こんなこと言うん、だいぶ恥ずかしいんやけどな」
謙也は頬を掻いて、幾分か声のトーンを落として言った。謙也にしては珍しく、呟くように喋るから聞き取りづらい。踏み出して一歩だけ謙也に近付いた。
「……白石が俺のこと好きなんは気付いとったよ。俺みたいなアホのどこがええんかずっと訊きたかった」
謙也は自分の言葉に照れて笑った。
どこがええって、そんなん、全部やわ。
謙也の言葉が終わりの気配を湛えているから悲しくなってくる。俺は何も言えないまま、ただ謙也の口許を見つめて次の言葉を待つ。
「今やっと言えるわ。
俺のこと好きになってくれてありがとな」
もうええわ。それ以上、何も言わんで。
何度もその言葉が喉元までせり上がった。
どうせ俺を振るのなら、気を持たせるような言葉は要らない。
感謝なんか今更だ。
結果だけ早く聞かせてほしい。
謙也はまだ笑っている。
どうして。
その笑顔に何度も問いかけた。
次の言葉を聴きたくなくて、ただ怖くて、耳を塞いでしまいたかった。
「……なぁ白石、俺が『付き合いたい』って言ったら幻滅する?」
謙也の言葉は確かに聴こえていたのに、暫く意味が理解されなかった。
俺が付き合いたいって言ったら。
それは、俺と、謙也が?
喜ぶべき返事と謎の「幻滅」という言葉がちぐはぐな感慨を引き起こす。
「……なんで?」
「『乗り換えも速いんか』って馬鹿にしたりせぇへん?」
さして身長の変わらない謙也の視線が、今だけは上目遣いのように感じられた。
好きだと思った。
初めて見る表情も、笑って誤魔化す言葉も、そこに隠された繊細な感情も。
「……そんなん、せんわ。ていうか出来るわけないやん。俺、今、めっちゃ嬉しいもん」
今、自分に起こっていることが信じられなかった。何がどうしてそうなるのか、不思議でしょうがなくて、俺はただ謙也を見つめていた。
「じゃあ。
白石、俺と付き合ってください」
謙也は勢いよく頭を下げて、それからゆっくり顔を上げた。照れ笑いの、ヘニャリとした顔が愛しくて、心の奥がぎゅっと苦しくなる。
「うん。こちらこそ、よろしくお願いします」
俺もペコリと頭を下げる。そうしたら笑い返してやろうと思っていたのに、顔を上げて謙也と目があった途端に涙が零れた。
足元のコンクリートに黒い染みが出来て、それから立て続けにポタポタと。
「えっ、何?何なん白石、なんで泣くん!?」
慌てて謙也が近付いてきて、それでも俺の前でおろおろすることしか出来なくて。そんな姿が愛しくて、俺は今とても幸せで。
「……アカン。嬉しすぎて涙出てきた」
「なんや、嬉し泣きかいな。いきなり泣くからビビったやないか」
謙也は困ったように笑った。
俺が泣いて良かったのだろうか?
さっきまで、本当に泣きたいのは謙也だったはずなのに。
「なあ、謙也。一つだけ教えてくれる?」
謙也、俺は今ので十分嬉しかった。
やから、これから訊く質問には正直に答えてな。
もし気持ちがまだ向こうにあるなら、無理せんでええんやで。
謙也のその選択は、本物?
「……なんで俺を選んでくれたん?」
謙也の選択が今ここで覆っても、俺は何も恨まない。怒りもしない。
だから正直に答えてほしい。いつでも裏表のない、明るい謙也が好きだから。
俺を選ぶより財前を選ぶ方が謙也にとって幸せなら、迷わず幸せを選んでほしい。
謙也は「うーん」と眉を寄せて困った顔を作ったけれど、またすぐに優しく笑ってくれた。どうして謙也はいつも笑っているのだろう。
「……フラれてな、『ひどい!傷付いた!!』ってめっちゃ思ってん。覚悟しとったのになあ。それでもやっぱ辛かったわ。
そしたらそのあと、何でかなあ。なんか白石にはそないな気持ち味わわせとうないなって思たんや」
ホンマ、どうしてやろな。
知らんうちに白石のことも好きになっとったんかなあ。
謙也がポツリと呟いた。
少しだけ春の気配がする、柔らかい風が吹き抜ける。
「……俺のせいで、って思わんかったん?俺のこと嫌いとちゃうの?」
本当なら俺は謙也に恨まれても仕方ない位置にいるのに。財前にフラれたばかりの謙也にのうのうと告白して、泣いて喜ぶなんて、嫌われても仕方のないことをしているのに。
「んー、別に。好きになることって理屈とちゃうやろ。誰のせいとかあらへんよ。
大丈夫、好きな人の好きな人やったんやから、お墨付きやん」
謙也は何にも気にしていない素振りで笑った。その明るさに救われるようで、でも微かな不安は残っていて。
「俺、財前に勧められた音楽とかゲームとか、わりとハマるねん。趣味似とるんかな。やからたぶん、白石のこともめっちゃ好きになるわ」
大好きな謙也の、大好きな笑顔。
謙也がそう言うのなら、俺はそれを信じるしかない。謙也が無理してそう言っているとしても、謙也が無理をする意味さえ受け入れてしまうほかないのだ。
俺はもう何も言わなかった。謙也の真意はきっと、これからもずっと、謙也にしか分からない。だから俺は目に見える結果だけを信じて歩いていく。
「……ほんなら、めっちゃ惚れさせてみせるわ。
好きになりすぎて、俺を選んだこと後悔したくなっても知らんからな」
皆フラれる可能性もあった。
それを食い止めて、独りにさせまいとしてくれた。
受け入れる優しさに救われた。
冗談に混ぜた俺の本音に、謙也は力強く頷いてくれる。
「凄い自信やなあ。
ま、そんなとこも嫌いやないけど」
大好きなあなたが笑って、俺も笑った。
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