トントン
 2009.12.07 Mon
こんな記事(対談)を読みました。

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◇幸福とは、人は信じられると信じられること 消費が覆い隠したもの

 清水 学生たちと話していて危ういなあと思うのは、イベントと消費に振り回されていて、それがなかったら日常なんて空っぽだと考えている人が多いことです。

 福岡 子供時代に一番幸福を感じた思い出を聞いたら、どこかに連れていってもらったことか、何か買ってもらったことしか出なかったそうですね。

 清水 ええ。それを昔話の語り手の藤田浩子さんに話したら、聞き方が悪いと言われて。「何かを買ってもらったこととどこかに連れていってもらったことは除いて、一番幸福な思い出は?と聞かなきゃ」って。それでそうしてみたら……。

 福岡 出てきた?

 清水 100人いれば、100の物語ができるくらいに。お母さんが靴下を履かせてくれた後で、履き終わった足をくるっとなでてくれたとか。自転車乗りの練習で後ろを握ってくれていると思っていたお父さんが実は手を放していたんだけど、見守っているその顔が何だか自分とつながっているように感じたとか。入院したおばあさんの見舞いにおじいさんと行く時、電車に乗っている間中、おじいさんが自分のひざをトントントントンたたいてくれたとか。

 福岡 すごいな。

 清水 それを言葉にしてみて初めて、実は自分はこれに支えられていたのかもしれないと気がつくんです。ひざトントンの話をしてくれた学生は放課後に研究室を訪ねてきて「今日話してみて分かったんですけど、もしかしたらずっと今まであのトントンに支えられてきたのかも」って。

 福岡 分かるんだ。

 清水 こんなにちゃんと受け止めているじゃないかと思いました。そういう力があるんです、みんな。それが消費とイベントで覆い隠されちゃっているもんだから、自分がほんとのところ何を欲しているのか分からなくなっているんです。だから、ちょっと風を入れてあげれば、それは復活させられる。

 福岡 心の基礎体力はまだあるんですね。

 清水 あります。日常の小さなことって語るに値しないと思いこまされているんだけれど、そこにこそキラキラした豊かさがある。語るに値しないものなんてないと思います。

 福岡 「アンナ・カレーニナ」の冒頭、トルストイが「幸福な家庭はみな似たりよったりのものであるが、不幸な家庭はみなそれぞれに不幸である」と書いていますが、「ゲド戦記」の作者であるル=グウィンがかみついていましたね。幸福がいかに莫大(ばくだい)な代償を払って維持された、複雑でこみいったものか、と。ほんとにそう思いますね。つかめたかもしれないチャンスを互いにどれだけ見送って、みんな家庭の平穏を守ってきたか。そうやって一つ一つの幸福は支えられているのに、似たりよったりなんて一言で片づけられてたまるか、と。

 清水 幸福ってそんなに薄っぺらなものじゃない。私は学生たちに人生を肯定してほしいし、そのために幸福な瞬間をたくさん持ってほしい。彼女たちがどういう時にそれを感じるかというと、人間が信じられるという確信を少しでも得た時なんです。小さかったり、弱かったりいろいろするけれど、でもやっぱり人間っていいな、と思えるようなものを用意してやりたい。それをそれぞれが自分の持ち場でやっていけば、何とか持ちこたえることができるかもしれないと思うんです。絶望すれば、戦争はすぐそこだから。

 福岡 戦争ほど巨大な消費であり、巨大なイベントはないですからね。

 清水 その魅力に目をくらまされないためにも、日常の中の幸福を一つ一つ積み重ねて心に刻んでいくことが、何より大事だと思います。
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破片が散りばめられた万華鏡みたいに、その微かなふるえが、ほんの少しの無償の愛が、思いもよらなかったようなすばらしい変化を世界と人生に呼び招くーーぼくはそう信じています。


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