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(intro/main/clap)
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「わかった、アレじゃね?テストやばかったとか」
「え?」
「元気出せって。追試クリアすれば全然問題ねえじゃん。落ち込むほどのことじゃねえって」
(…あ、やっぱり心配してくれてるんだ。でも……テストじゃないんだよね)
…ありがとう(-1)
違う(+1)
「ありがとう」
「おう。それに、俺でわかれば教えるしさ」
「うん、ふふ、じゃあお願いしちゃおうかな」
「任せろ。……で?」
「うん?」
「他には?」
「……他、って。やだ、何もないよ」
「本当に?」
「うん。なんもないよ」
「そっか」
何気ない会話なのに、妙に気疲れする。
恐らく、私が常に神経を尖らせているせいだろう。
「ありがと。でも違うの。テストじゃないんだ」
「…違う?」
「うん、……でも、くだらな」
「じゃあ、何?」
鋭く遮られる。
瞳があった。
ギクリと身がすくむ。
「……歩美?」
「あ、う、ううん。なんでもないよ。本当、くだらないことだから。ありがとね」
俯いて目をそらす。
首をかしげる徹志が視界の端にうつった。
(……私、ほんと疲れてる)
彼の、あの瞳の奥に、一瞬青い炎を見た気がした。
そして、それがどうしてかとても恐ろしいものに見えたのだ。
私は小さく笑った。
酷い幻覚だ。精神崩壊の兆しだろうか。
やはり自分は狂いはじめているのだろうかと思う。
目をこすっても瞬きしても、何回寝ても赤い糸は消えない。
昨日も今日も、きっと明日も私に絶望を見せつける。
(ずっと、繋がらない。私達の糸)
そして、自分のことでいっぱいだった私は気づかなかった。
彼がその静かな瞳で、じっと私を見つめていたことに。
ただ、じっと。
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AM2:00
静まり返った寝室。
いつもは愛しい彼の腕の中で安眠できるのに。
不安が精神を苛み、うまく寝つけない。
(……気持ち悪い)
額ににじむ汗が不快だ。
私は腰にまわる彼の腕を持ち上げると、ベッドから抜け出した。
ぺたり。ぺたり。
薄ぼんやりとした部屋の中を、記憶だけを頼りに進んでいく。
空気がぬるい。耳鳴りがやまない。
鉛を呑まされたかのように身体が重い。
まるで悪い夢の中を彷徨い歩いているようだった。
(……頭が痛い)
洗面台の前に立つ。
のろのろと顔を洗うと、ぬぐうこともせず鏡に手をついた。
何か憑いているんじゃないかと思うほど、顔色の悪い女がこちらを見ている。
ぽたり。
冷えた水滴が頬を滑り落ちた。
※鏡の前
と、ふいに空気が冷える。
細く続いた耳鳴りは、少女のすすり泣きへと音を変えた。
(……?)
夜桜の清廉な匂い。傍らの存在。
一瞬、脳が錯覚を起こす。
再び、あの夜へと帰ってきたのかと。
(違う、これは過去の記憶だ)
2年前のあの夜の。
あの夜も、鏡を見ていた。
私は鏡の前に座り込んでいた。そして隣にはミヤが。
ミヤは泣いていた。
ミヤは鏡にうつる自分の身体を見て泣いていた。
服も髪もボロボロで、血まみれの小指を強く握り締めていた。
私も泣いていた。
無力な自分が呪わしく、ただただ、悔しくて涙が止まらなかった。
唇を噛み締めて、その傷ついた体を抱きしめていた。
それは、月明かりもなければ言葉もない。
すすり泣きだけが、重たく響く一夜だった。
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(なんだか疲れた…、もう寝よう)
だるい体を引きずるように、彼がいるベッドへと戻る。
廊下は暗い。居間も外も暗いが、足元の影はより暗い。
私は、ベッドまであと数歩というところでピタリと立ち止まった。
穏やかに上下する彼の胸元を眺める。
(いつか離れるのに…別れるのに、どうして今苦しい思いをしてまで彼の傍にいるんだろう)
これ以上傷痕が深くなる前に、いつかこの胸をえぐるであろう銃弾が威力を増す前に、トリガーをひくべきではないのか。
私の、この手で。
「あゆみ」
「……ッ!」
心臓が跳ねる。
起こしてしまっただろうか?
私は不安になって、ベットを見た。
「ごめん、起こしちゃった?徹、………………志?」
月明かりに浮かび上がる、ベッドに横たわった彼。
その瞳は閉じていた。
寝息も聞こえる。
ああ、なんだ寝言だったのか。そう思うのが自然なはずだった。
でも。
「……な、に?」
眠っているはずの彼の手が。左手が不自然な形をもって、そこにあった。
肘から先が天井に向かって垂直に折れ曲がり、手首はあらぬほうを向いている。
まるで、出来の悪いオブジェだ。
空気がずっしりと重くなった。
じわり、脂汗がにじむ。
(どこか…指さしてる?)
私はぎくしゃくと固い動きで首を動かす。おそるおそるそちらを見た。
部屋の隅。
暗がりに、見慣れた背丈の低い棚がある。
しかしそれだけだ。
(…棚?)
「……棚が…なに?」
好奇心がほんの僅か、恐怖心に勝った。
私は思わず、彼であるはずのものに問いかける。
何を伝えたいのだろう?
ただ、答えを待つ私がそこにいた。
「……」
沈黙が落ちる。
私は彼の左手を見続けた。
一分。二分。三分。
しかし結局、返事はかえってこなかった。
一寸たりとも動かなかった手は、やがてパタリと落ちた。
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店内に流れる軽やかなBGM、空調のきいた涼しい空気が私を迎える。
喫茶店に入り、あたりを見回す。
目的の人物はすぐに見つかった。
「あゆちん、こっち!」
席に座ると同時に、オーダーを頼む。
「はぁ、暑いねえ」
「ねー。もう外出たくないー」
彼女は、私の大学での貴重な女友達の一人だ。
いつも徹志と一緒にいるせいで、私は非常に女友達が少ない。
「にしてもよくあの彼氏撒けたね」
「べ、別に撒いてきたわけじゃないよ……、まあ、特に何も言わずに出てきちゃったけど」
「え!何も言わずきちゃったの!?」
「うん。なんでそんな驚くかな」
「そりゃ驚くよー。悪いことしちゃったかな。わー、私今日から夜道には気をつけないと」
「?最近、変質者多いもんね」
「あはは、可愛いなああゆちんは」
「え、えぇー、なぜ?」
「いつまでも、そのままのあゆちんでいておくれー」
「え?えー?」
「あー、まあそれはおいといて……」
「……うん」
「もしかしなくても、彼氏のことだったりする?相談」
「……うん」
「やっぱりねー。というか、24時間一緒なんだから発生する悩みなんて彼氏関連しかないっか」
「う…。まあ、そうなんだよね」
悩み事はもうひとつ、最近身の回りで起こる不可思議な現象のこともあったが、私はとりあえず彼のことを口にした。
「浮気、されてるんじゃないかって思って」
「……へ?」
ぽろり、とひよちゃんの口からベーグルの欠片が落ちる。
私は居心地の悪さを誤魔化すように、ストローでグラスをかき混ぜた。
「……」
「な、ないないないない!それだけはないよあゆちん!」
「でも、たまにバイト行くって言って別のところに行ってるみたい…なんだよね」
「どぉーせ、こっそりあゆちんの誕生日プレゼントでも選びに行ってんじゃないのお?もうすぐでしょ?」
「まさか…それはないよ。それについ最近始まったことじゃないし」
「うーん。あの彼氏があゆちん以外に目を向けるのは考えられないから、やっぱり一周年記念プレゼントとか、可愛い歩美を旅行に連れて行くためにこっそり別のバイトを……とか、そんなんだと思うなぁ」
「そ、それはないって……なんか、そんな感じじゃないんだよ」
「そんな感じじゃない?」
「…うん。たまに、私に対して後ろめたい雰囲気を感じるっていうか、負い目があるみたいな…」
「負い目かあ…。なんだろうね…」
「………やっぱり浮気、なんじゃないかな」
「うーん、それだけはないと思うな」
「…どうして?」
「だって、愛されてるじゃん。あゆちんはさ」
「……そんなことないよ」
(愛されてなんかない。赤い糸もつながってない。だからこんなに不安なのに)
「そんなことあるってー。……どしたの?あゆちん」
「え?」
「まるで、なんか別にも根拠があるみたいな感じ……」
「…ううん、特にないよ」
「そう?ならいいんだけど」
私はろくに口をつけていなかった飲み物に手をつける。
ふと、ひよちゃんが神妙な顔になった。
そして、ポツリと呟く。
「……ねえ、あゆちんは愛されてるよ」「だって……」
〜♪
どことなく重くなった空気を、明るい着信音が引き裂いた。
ひよちゃんの携帯だ。
「あっちゃー、もう着いちゃったか」
そのセリフに、そういえばひよちゃんの待ち人が到着するまでの間相談にのってもらう約束だったのを思い出す。
思ったよりも早く到着したみたいだ。
「彼氏?」
「ぶっ!…違う違う!あの人はそんなんじゃないってー」
「えー、まったまたあ」
違う違うと否定を繰り返すひよちゃんの顔はトマトのように真っ赤だ。
深刻な話をしていたのも忘れて、思わずにやついてしまう。
「とりあえず、出ようか。待たせちゃ悪いしね」
「え?でもまだあゆちんの相談が…」
「……じゃあ、また今度聞いてもらおうかな?今日はおしまい」
「うぅ…ありがとーあゆちーん!絶対近いうちに埋め合わせするから!」
「うん、待ってまーす」
二人で喫茶店を出る。
目の前の広場中央の時計下。
一人の青年が腕を組みながらこちらを見ていた。
ひよちゃんの彼氏だ。
(本人はいつも幼馴染のような存在って言ってるけど)
でも、私はそれを嘘だと思っている。
なぜなら。
「またね、あゆちん!」
輝く赤が、しっかりと二人を結んでいたからだ。
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「ただいまー」
「おかえり」
「歩美」
「んー?」
「どこ行ってたんだ?」
ひよちゃんとお茶(+1)
友達とお茶(-1)
「ひよちゃんとお茶してきた」
「そっか」
「友達とお茶してた」
「……、そっか」
「うん」
「……バイト行ってくる」
「あ、……いってらっしゃい」
(……頭が痛い)