「貴方のお父さんやお母さんはね、海賊なのよ。」
物心付いた頃から私には両親がいなかった。
私を産んで暫くしてから航海に出たらしく、病弱だが穏やかな叔母に預けられた。
「かいぞく?」
幼かった頃は海賊なんてたまに耳にする程度で、世間知らずで無知だった私には意味はわからなかった。
「ええ、海賊は恐ろしい人達ばかりだけど…
貴方のご両親は、自由を愛する優しい海賊なの」
「へえ…」
叔母さんは良く、私の髪をとかしたり、服の裾を直したり、身形を整えてくれた時に両親の事を教えてくれた。
優しい人だった。
ある日、叔母さんが入院した。
元々患っていた病気が悪化してしまったらしく、すぐ入院しなければいけない、との事だった。
私の事を心配してか、彼女は入院を拒んだが
私は身体を大事にした欲しい、 と気遣い断った。
その様子に口を噤んだ彼女は入院し、私一人だけの生活が始まった。
元々叔母さん以外親しい人も、頼りになる人も居らず、住んでいた港町で私は、浮いた存在だった。
そして、叔母さんが病死してしまった後、それは更に度を越した。
「海賊だー!!!!!海賊が来たぞーー!!!!!」
静かな港町の全てを塗り替えたのは大声。
突然響いたのは轟音と聞いた事のないサイレン。
人々の逃げ惑う足音と金切り声や喚き声。
慌てて家の外に出ると港に強引に海賊船が付けられ、海賊達が強奪と殺人の限りを尽くしていた。
恐ろしい光景に必死に目を逸らす様に、逃げ続け、なんとかその場は生き延びた。
初めて目にした"海賊"は、叔母さんから聞く話とは全く違った恐ろしい物だった。
目尻が熱くなり、涙が溢れる。
叔母さんは違うと言っていたが、
私の両親も、こんな恐ろしい人なんでは
なかろうか。嫌だ。
耳を塞ぎ、目を瞑ってその日は外で一夜を過ごした。
後日、海軍が応援に来て
海軍達を討伐。海軍達は去っていった。
荒れた町に吹く潮風。
舞うのは煙と土埃で、町の人達の表情は以前の様に明るくはなかった。
「お前の親、海賊なんだって?」
事の始まりはその一言だった。
突然家に押しかけて来た大人数人が
私の腕を掴み、問いを投げかけて来た。
「……ぁ」
そうだ。とは言えなかった。
強い力で引っ張られ、いくつもの鋭い眼光に睨まれて怯んで声が出なかった。
家から追い出され、何処かに拘束されそこからは思い出したくも無い。
傷心し荒みきった人々の抑えようの無い怒りは
"海賊の娘"と言う理由で私に向けられた。
違う。私じゃない。
あの海賊達は私の家族じゃない。違う。
いくら泣いても叫んでも彼等の耳には届かなかった。
同い年くらいだろうか、子供達にも罵声や、暴力を奮われる日々。
『ファータの髪は綺麗な青ね』
叔母さんが櫛を持って微笑んでくれた時の事を思い出す。
伸ばしていた髪は、ボロボロに刻まれて煤や土で汚れきっていた。
数日経った時だった。
毎日毎日飽きもせず泣き続けていたせいか
涙は枯れて出てこなかった。
水や食べ物も何も与えてもらえず喉が乾ききって声が出ない。
唇も切れて、動かせば血が垂れてくる。
縛られた腕や足は鬱血して感覚が無い。
ふと、鼻をくすぐられる様な感覚がして目を向ける。ヒラヒラと自由に空を舞う蝶がパタパタと
飛んでいた。
(綺麗だなァ……。)
純粋にその蝶に触れてみたい、と手を伸ばそうとする。
すると、自分の腕の自由を奪っていた縄が千切れ、腕が自由になった。
驚いて、目を見開く。
恐らく元から古い縄だったのだろう。
腐って少しの衝撃で、簡単に千切れてしまった。
慌てて足の縄を解き外の様子を見てその場から走り去る。
「あいつ逃げやがった!!!!!!」
「探せ!!!!まだ遠くへは
行ってないはずだ!!!!!!!!!!」
「見つけたら今度は……!!!!!」
恐ろしい怒鳴り声があちこちから聞こえて、また耳を塞ぎそうになる。
次捕まったらどんな酷い事をされるのだろう、と全身の血の気が引いていく。
必死に逃げて港町から外れた林に着いた。
無我夢中で逃げていたから気がつかなかったが、空腹と喉の痛みが酷く、もう走る力も残っていない。
日も暮れだし、もっと遠くへ逃げなければ、と焦る心とは別に言う事を聞かなくなりだす身体。
苦しい腹を抑えて、ふらふら周辺を彷徨っていると、海が見えて来た。
海の方に歩いていくと、波際、まだ浅そうなところに岩に囲まれた洞を見つけ、そこに一先ず駆け込んだ。
「………」
もう太陽の光が差し込まない今、中はどれ程暗いのだろうか、と思っていた洞窟の中は淡い蒼い光で満たされ明るかった。
移動が困難な水の中を進んでいると、陸地を見つけた。
「……やった……」
その陸地に突き進み、地に足をつける。
苔や草が生えてて、心地が良かった。
「………っ」
地面に倒れ込んで呼吸をする。
衰弱しきって、今限界に達したんだろう。
力が少しも入らない。
それになんだか急に猛烈な眠気が襲って来た。
重い瞼を、ゆっくりと閉じようとする。
『』
が、また何かがくすぐってくる様な感覚がして、閉じようとした目を開く。
「………」
力が抜けたはずの身体を起こして辺りを見渡した。
美しい、無数もの蝶が華麗に私の周りを飛び回っていた。
「待って」
1匹の蝶が数回私の周りを回る様に飛んだ後、洞の奥へと飛んで行く。
それに手を伸ばして私は蝶の後を追った。
「………?」
恐らく最奥だろう。
一層強い光が差し込み、蝶が数匹飛び回っている。
強い光の先に、何やら果実の様な物がある。
だが私が一度も見た事無い果実だった。
喉が乾ききって腹も減っていた私は
その果実を手に取って口に運ぶ。ただただもう水分を取って腹を満たしたかったから
味わって食べる暇などなくその実を完食した。
「ふぅ………」
少し生き返った様な気分になった私は、一息着く。
腰を休めていると、何処からともなく、誰かの声が聞こえた気がした。
「!!!」
追っ手が来たのか、と心臓が跳ねる。
もうここは行き止まりだ、
見つかったらもうどうしようもない。
身構えているとクスクス笑う様な声が響いて来た。
『どうしたの』
『怯えないで』
『怖くない、もう大丈夫』
無数の優しい声が、囁く様に耳を撫でる。
声の主が分からずキョロキョロ周りを見ていると、
『前だよ、前』と一言。
目の前には、青緑の美しい羽をはためかせた、蝶が1匹飛んでいる。
「………?」
まさかな。と首を傾げる。
『君の、名前は』
「……!」
いや、やはりそうだ。
声の主は、今目の前にいる蝶…洞を飛び回る蝶達だった。
「何で……」
『君が食べたのは、悪魔の実。』
「あくまの…み…?」
『そう、海に嫌われてしまう事を代償に強力な力を手に入られる、不思議な実。』
『君が口にしたのは、ムシムシの実。モデルコクーン』
「こく…ぅん」
『君は蛹だよ。』
さあ。と言わんばかりに
蝶は羽を広げ、鱗粉が輝きながら落ちる。
『君の、名前は』
「……ファータ。」
「クリサリス・ファータ」
*****
「オメェ本当に好きだよな」
若干呆れた様な顔をして、ベラミーが指差す。
えっ?と一瞬ドキッとしたが、指差す方向は虫カゴの中にいる蛹だった。
「あ、あぁ
見つけるとつい蝶になるまで育てたくなってしまうんだ。つい」
カゴを抱えるとベラミーがフン、と鼻を鳴らす。確かに自分でも妙な癖だと思う。
だが…
「仕方の、ない事だ」
半分、その蛹に言う様に言葉を吐いた。
「私にとって…蝶は、恩人の様な物だから…」
と蛹を見つめ目を細まる。
あの時、死にかけだった私の目を覚まさせてくれたのは紛れもない、蝶だった。
「幼虫のままだと、
醜い、と罵られ嫌われ者になってしまうがー…」
「蛹になって、一度中で完全に溶けきって、生まれ変われるんだ。」
「あんなに綺麗に、あんなに自由に、
飛び回れる羽を持って」
虫カゴに映る自分が、目に入る。
「……蛹から孵れば蝶は皆自由に飛べるんだ。」
カゴを元の場所へと置き、ベラミーに微笑む。
「……そうか」
何だかバツが悪そうな顔をしてベラミーは立ち上がり
「ほら、店予約してんだろ。行くぞ」
と部屋を出る。
この後二人で喫茶店でお茶をする約束だった。
「あ、あぁ!」
私も慌てて扉に手を掛ける。
振り返って虫カゴの中の蛹を何となく見つめる。
微かだが、蛹が動いた気がして自然と口が緩む。
「もう少しだな」
滲むような喜びを胸にしまいこんで呟いた後、扉を閉めた。