「おい」

「ん?」

呼ばれて振り向いて……チャウは飛び上がった。



【君は天敵】



小さな耳、長い尻尾、薄茶の毛。チャウは立派なネズミだった。今日も今日とて、田中ケイタ氏が住む家の屋根裏部屋をコソコソと走り回る。

田中氏はよく食べ物を床に落とすので、チャウが食で困ることはほとんどなかった。ただ困ることと言えば……、

「にゃぁ〜ん」

「ゴロ〜」

ゴロとかいうドラネコ(オス)を飼ってしまったことだった。つい昨日飼いはじめたようで、最近やっと、天国のようなこの家を見つけたチャウにしては思いがけないことだった。

屋根裏の穴からゴロとケイタ氏のたわむれを見たチャウは、ゲッソリとため息をつく。

「出て行くしか、ないのかなぁ」

仲間のいないこの空間で、答えてくれる声はない。


**


ゴロに見つからない内に出ていこう。

それがチャウの結論だった。ネコに見つかったネズミの末路なんて決まっている。いくらケイタ氏の家が楽園でも、そこに敵がいるのなら本末転倒だ。

「……最後にチーズが落ちていないか確認しよう」

出ていく餞別にチーズを貰おうと、チャウは夜中、台所に向かった。

勝手知ったるケイタ氏の台所。真っ暗闇の中、カサカサと走り回り──

「ぶぎゃっ」

「ん?」

ランランと瞳を輝かせたドラネコにぶつかった。

長い長い毛の生えた太い尻尾。ずっと屋根裏から観察していたその姿は、実際に見たら自分の5倍はありそうだった。

「ひぃぃぃっ」

逃げだそうとすると、長い爪のついた手で押さえ付けられた。ちょうど爪が当たらないようになっているが、チャウからしたらそんなことは関係ない。

ゴロが殺そうと思った時にチャウは死ぬのだ。餞別なんてもらおうとせずに、さっさと逃げておけばよかった。

震えるチャウに、ぬっと何かが近づいてくる。身体を強張らせたチャウにかかる温かい息。

覚悟を決めて目を閉じると、チャウはゴロに柔らかくくわえられた。

そのままゴロはゆったりと歩き、カーテンのついていない窓の前に下ろされる。

「あ、ああああのっ、さよなら!…ぎゃっ」

逃げだそうとし、再び捕まるチャウ。

「まあ待て。今のネコはネズミなんざ食わねえよ」

イマイチ信じられなかったが、とりあえずチャウは頷いた。

「光栄です」

「今はキャットフードとかあるしなぁ」

「マウスフードはないですけど」

「そら、ネズミはなんでも食うだろ」

チャウにとっては心外だ。……が、事実でもあった。黙っていると、ゴロはチャウから手を離した。チャウも今度は逃げなかった。

「お前がいるってこたぁ、ここはネズミ共の住家か」

「ううん。ここに済んでんのは、私だけ。私も明日には出ていくから」

「え?なんで?」

なんで?って。

チャウは苦笑した。君がいるから、とは言えない。

「あ、俺がいるから?」

「うん。──あ、いや……うん」

まあ、その通りなんですけど。

もごもごと答えると、ゴロは低い声で笑う。

「別に、お前みたいな貧相なネズミ襲わねぇよ」

「はは…そうですか」

少しも信じられない。

チャウが信じていないことを了承済みで、ゴロも何も言わない。

「……むがっ」

再びくわえられ、ブランケットの上に置かれた。さらにゴロがのしかかってくる。

まさか圧死!?とチャウか、暴れていると、ゴロは身体を丸め、ちょうどチャウの頭が出るようにしてくれた。

「俺は寝る」

「ええ?」

「………そういえばさ、お前、名前とかあんの?」

「ありますよ。チャウです」

チャウと言う名は、チャウ自身でつけた。別に気に入ってるわけでも、気に入ってないわけでもない。

「兄弟は?」

夜中の静寂を、ネコとネズミの鳴き声が破る。

「12匹です」

「多いな。俺は4匹だったぞ」

「ネズミですから」

ゴロの毛は温かかった。

「お前さ、出てくのやめなよ」

「え?」

「お前あったかいからさ。夜中にこうして湯たんぽになってくれたら襲わないでおいてやるよ」

「ゆ、湯たんぽ……。明日からも一緒に寝ろってことですか?」

ゴロはさっと頬を赤くした。暗闇で、それに加えてゴロはチャウに顔を向けていなかったので、チャウがそれに気づくことはなかった。

「ああ。うん。そう」

「そ、そんな……」

「そしたら、たまに食い物やるからさ」

「うう……は、はい……」

頷くチャウにゴロは再び顔を近づけて、ベロンと舐めた。

「ひぃっ」

「あ、味見とかじゃないからな」

「は、はい……」

ゴロはチャウを湯たんぽと言ったが、どちらかと言えば、ゴロのほうが温かい。長い毛に絡めとられているような気がして、チャウは目を閉じた。

「お休み、チャウ」

「……はい。お休みなさい」

いつのまにか、チャウも寝息を立てていた。


***


「よお」

「うあっ!」

それから、ゴロはたびたび声をかけてくる。




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