また、同じように静まる部屋で瞳を閉じて乱れる心を鎮める。

自分は"生徒"として彼に会わなければいけない。"恋人"じゃない。

もう、何度自分にそう言い聞かせただろうか。
何度目かの言い聞かせた時、廊下を歩く二つの足音。

部屋の前で止まり、一つの足音は去り、一つは部屋の前。

す、と静かな音で襖が開く。
見えた彼の姿に息が止まるかと思った。
十年の月日は彼を変えていた。元々大人だったのが、もっと大人なった…なんて妙な表現だが。

彼が室内に入ってから、重苦しい沈黙が流れる。しかし、彼が自分を視線に入れれば、その視線に絡みとられて外す事が出来ずに合わせにくそうにだが、彼を見る。


「……10年の月日が経っちまったなー、っは、随分と大人びたじゃねえか」


沈黙を破った彼の言葉はどこか他人事のように聞こえた。どう返していいかわからずに押し黙るしかなかった。
言いたい事はあるのに彼のように口から言葉は紡げない。
彼が今、何を思い、何がしたくて今更自分に会いにきたのか。

横にただずむ彼の方はやはり気まずくて見れない。視界の端に映る彼はこちらを見ていた。


「……この場所はお前の弟から聞いた。十年の間、アイツも随分大人びたようで。」

「―今更離れていった理由を問う事なんてしねえよ。過去を引きずるようなうざったい男にはなりたくねえ」

「けどな、―…一つだけ許せないことはある」


"許せないこと"。その言葉には少しだけ体をびくりと強張らせた。離れていった理由じゃなければ一体彼は何が許せないのだろう。
緩く視線だけ彼の方を見る。

彼が、こちらへ近付いてくる。自然と恐怖はない。だけれど、近付かれてはいけない、駄目だ、と頭が警告をする。しかし、体は動かなく、動こうとしないのだ。頭でわかっていても体が、彼を求めている。

そして―…抱きしめられた。
腕の上から抱きしめられて、逃れる事は、できない。きつい力に僅かに表情を歪めるが、久しぶりの彼の腕の中。
懐かしい匂いよりも、きつく香る煙草の匂い。

―…本数増やした、?

それが頭の中に過ぎる。
自分があの、高校時代にうるさく言った時は、彼がたくさん吸うのは無くなったように思えていた。
煙草が嫌いなのもあったが、体に毒だから、という方が強かった。
そんな事で彼に倒れてほしくなかった。


「 俺の心掻っ攫ったまま、消えるな 」


思考の海に沈んでいた頃、彼の言葉が、響いた。

胸が苦しくなった。

彼はまだ―…想ってくれていたのだ。なのに、自分は結婚報告とかかと思ってたなんて。


"家のこととかなしに自分の気持ち、言えよ兄貴"


弟の言葉が蘇る。
自分の、気持ち、


「っ―…せん、せ…、れ、んと、さん、私は―……」


彼の腕の中で蚊の鳴くような声で、もう呼ぶまいと思っていた彼の名前を呼んで……

…そう言いかけた時、廊下を歩く音。

どくん。

心臓が嫌な音をたてた。この、気配は、間違いない…


「だ、旦那様、未来様は今お客様とお会いになって―…」

「こんな忙しい時に客か?―困ったな、今日は見合いの日だと言い聞かせたはずだが…。……今から行かないと先方を待たせる事になる、な…」

「高校時代の恩師、だそうで。」

「おお、そうか。なら、私からも礼を言わなくては!」


意気揚々とした父の言葉。自分で言おうとしていた"見合い"をこんな形で、彼に知られるなんて。
その言葉を聞いて、僅かに彼の腕に力が篭ったような、気がした。

「れん、と、さん、駄目です、離して…ください、父が…、」


お願いだから、離して。父に見つかれば、彼にも悪い事が起こる。父は、何をするかわからないから。

そう言っても彼は離してくれない。


そして―…


「未来、入るぞ、」


襖が、開いた。

この光景を見た父は、目を丸くした。明らかに、高校以来久しぶりに会い、再会を喜んでいるようには見えない。
現状を理解した父の入ってきた時とは正反対の、厳しい顔になる。
それは、刀を構える時のように鋭い、敵を見るような…瞳。

それが、彼に向けられていると思うと恐ろしくて。
彼は何を思ったか、離れると、父の方を―……



触れたい、抱きしめたい、伝えたい、でも―
(それは、叶わない夢でしょうか―…?)



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