新選組には【鬼】がいる。
何時の頃からか、そんな噂を耳にするようになった。
人間ごときが鬼を名乗るなど身の程知らずも甚だしい。常ならば憎悪と蔑みの視線を投げ付け、ともすれば切り捨ててやる事さえあったが……
垣間見たその【鬼】は、長い黒髪を艶やかに流し、華奢な肢体に浅葱を纏った、およそ鬼とは形容し難い姿形。
しかし、その眼差しは氷のように冷たく、まるで追い詰められた獣が決死で敵を見据えているような、危うい煌めきを放っていた。
(あれが、新選組の鬼か……面白い。)
自ずと憎悪は興味へと替わり
誇り高き鬼は、紛いの【鬼】に囚われた。
「…何考えてやがる。」
物思いに沈んでいた思考がふいに引き戻される。瞼を上げると宵闇に艶を増した鬼がこちらを伺っていた。
「…さあな」
此の所、頻繁に思い出す。お前に囚われた、あの日のことを。これは、あの不吉な予感のせいなのか。
「なぁ、風間。」
襟首に顔を埋めた土方が、甘い声を耳に注ぐ。
「俺が羅刹になったらよ…」
「……」
「お前、どうする?」
「……」
先程思い巡らせていた「予感」を現実へと誘うその言葉に、答えを見出だせずに口を閉ざしていると、回される腕に一層力が込められた。
背中に腕を絡め身を寄せながら囁くには似つかわしく無いその言葉。けれど、いつに無く縋るような仕草を見せる土方にも、思う所があるのだろう。
「なぁ、もし狂っちまったら、俺を、お前の手で……」
「………良かろう。」
実現せぬよう望んだ予感は、やはり当たってしまいそうだ。
理想を求めて、力を求めて、或いは隊士を羅刹に至らしめた罪の為に、土方は変若水を飲むのだろう。
奴が羅刹となったとき、俺達の行く道は決定的に違える。
「風間、お前は強いな。お前のそういうとこ、好きだぜ。」
悲しげに微笑する土方。お前は俺が平気だとでも思っているのか。
俺とて、別れを平然と受け入れられるほど、強くは無い。
奴の長い髪を撫でながらそっと囁いた。
「お前の、漆黒の髪が、紫紺の瞳が、愛おしい。」
はっと顔を上げた土方の瞳が揺らいでいる。
強がる鬼の精一杯の抵抗は、届いたのだろうか。
羅刹になどならずに、黒は黒のまま、紫は紫のまま、変わらず共に過ごせたら、どんなに良いか。
「…悪いな、風間。」
今にも泣き出しそうなその顔を見ていられず、激情のままに抱きしめた。
初めて目にしたあの日から
俺はこんなにも囚われている。
新選組の、紛いの【鬼】に。
桜のように散り急ぐ、艶やかな漆黒の鬼に。
(終)