現実に還ったのかと思いきや、視界に広がりゆく世界は何もなく真っ白で、初めてその時に恐怖を感じた。

「……ノ、ア……?」

 本当に真っ白だった。彼方此方を手で触れようとしても、己の両手は虚しくも空白の宙を擦り抜けるだけで何も無かったのだ。此処には家具も食物も無い。ひたすら彼方此方が真っ白な闇に染められ、頭の中も真っ白だ。
 感じるだけの恐怖は己の身体をがくがくと震わせ、此処から出ると云う確信や此処に閉じ込められた認識すら出来ず、震える身体を抱き締める事しか出来ない。背中の羽根も――震える身体を包もうとしおらしくなってしまう。

「ノア……っ、何処だノア。ノアっ、ノアぁ……」

 存在する事の無い名前を探し、この真っ白い闇から解放される事を願いながら天に向かって呼び続ける。しかし存在する事の無い名前は皮肉にも返答してくれず、押し寄せる恐怖が更に侵食していく。
 怖かった。孤独に居るのが、誰かに置いて行かれるのが。

「ノア……止めろ、私を独りにするなっ……ノア……! 寂しいんだ、私を独りにするなッ――!!」

 独りになるのが怖いんだ。



「――――ルキウス!」

 夢の中で真っ白だった世界から不意に闇に引き摺り込まれ、思わず意識を引き上げられる様に私の名前を呼ぶ声に目を覚ます。突然の事態に肩胛骨から生えた翼を一度ばさつかせてしまい、一人で肩を跳ねさせる。ただ無意識に起きた所為や今まで見ていた夢の所為でもあってか、身体中が汗だくで呼吸を繰り返さずには居られなかった。
 真っ白な世界から闇に引き摺り込まれ――おそらく闇とは声の主であるノアによって夢から目を覚ましたのだと気付く。
 額を流れる汗を慌てて拭い、はっとして横を向けば、あの胡散臭い黒装束のノアが手に本を持ち此方に驚いた様に見据えていた。

「……ノ……ノア、か?」
 息を飲んでおそる、と問いかける。
「だ、大丈夫かいルキウス。何やら先程から苦しそうに呻いていたんだが……発作かい?」
「……違う。発作では無いが、あれだ。その――変な夢を見た」
「夢? ……何の夢を見たのかね」
「いや、話す程でも無い。ただ――」


 対してそう人に話して楽しむ様な夢では無いし、ましてかただ話しをしただけ特別な夢では無い事は確かだ。しかしついさっき見た夢は脳裏に焼け付く様に鮮明で。
 真っ白な世界。
 ただ真ん中に突っ立ってるだけの自分。

「……私一人が、誰も存在しない真っ白な世界で彷徨っていた。どんなに歩いても、感覚や感触など伝わって来ないんだ」
「ほう、無地の世界と云ったところか」
「……だが、その時だけ……何故かっ、その時だけっ……」

 そうだ。――怖かったんだ。
 何も無い世界に閉じ込められたと云う心理的な恐怖に身体がすくみ、どうする事も出来ず情けなくもひたすら名前を呼び続けていた。
 孤独でありながら誰かに置いていかれるのが信じられず、今でも夢の事を思い出せば微かに身体が震えてくる。夢の中に居た時と同じ様に、震えてきた自分の身体を落ち着かせようと抱き締めた。
 名前を呼んでも、呼んでも、名前は返事を返さなかった――


「ルキウス!」

 ノアが私の名前を呼んだ瞬間、何事もなく身体の震えが一瞬にして止んだ。
 ノアの暖かい人肌の体温を含んだ手がそっと肩に触れ、無意識に自分の目元から泪が零れた。
 ――なんだ、こ、れ。
 望んでもいない泪は哀しくも苦しくも無いのに対して、ぼろぼろと熱い頬を伝い落ちるだけ。

「ノ……ノア、どうにかして、くれっ……」
「ルキウス、そんな夢で泣くとはだらしが無いよ。何が悲しいんだね?」
「悲しく、ない。……怖いんだ、独りになるのがっ……ノアに置いて、行かれるのが――!」
「……何だって?」
「おねっ……お願ッ――私を、独りにしないでくれ、ノア……」

 泣いている自分が恥ずかしい。真っ白な世界に居ただけでこんなになるのは予想外だ。それならばノアに馬鹿にされた方がマシであるのに、今の自分は見なくとも分かるくらい情けだった。
 ノアも急な事態に流石に困惑しているのか、口元がへの字に歪んでいる。それもそうか。こんな事で泣く自分など今時珍しいから。
 自らノアの腕を無理に引っ張り、「のわっ」と驚いたように声を漏らすノアの事など気にせず黒装束の身体に腕を回した。
 彼はそんな私を見てくつくつ、と胡散臭い声で笑う。

「全く……ルキウス。君らしくないねぇ。何時もの強い威勢は何処行ったんだか」



彼方此方、全てが 白 。
(孤独にしないで欲しいと、涙ながら懇願するのは駄目ですか)



end.






あきゅろす。