※嘔吐表現アリ。
冥王×冬






“――冥府へヨゥコソ!”

 其れは存在してはならぬ存在であり、決して闇の声に従ってはならない恐怖だった。その存在はある新月の晩に必ず姿を現し、僕を宵闇の世界から暗黙の世界へ引きずりに来るのだ。
 願ってもいない強引な命令であり、どうせ抵抗したとしても抗えぬ衝動を強制的に突き動かされる。何度も何度も同じ事を繰り返し、錯誤の上で成り立つ死と生はどちらに傾くか交差していた。
 ああ、今日もだ。
 今日も恐怖に引きずり込まれてしまう。

「嫌だ……止め、止めてくれ……タナトス……僕はもう、死に傾きたくない……!」

 身の毛もよだつ様な静寂の闇から、目に見えぬ謎のモノ。其れは逃がさんとばかりに僕の身体に巻き付いてくる。幾ら解こうと身を捩らせたとしても、しつこく絡みついて、其れは喪失するまで逃がさないのだ。
 おぞましい恐怖が僕の思考を侵していく。不自然にも身体の芯から黒い衝動が沸き上がり、今にも掻き毟って吐き出したい。出来るものなら、一刻も早くこの闇から助けられたいのだ。
 恐怖の闇から不意に冷たく骨張った蒼白の手が頬を撫でる。感覚もないその手はまるで幻影の様だ。
 己の生と死を司る瞳に映し出される死の紋章。其れが何なのかは考えなくとも一瞬にして解った。

「――冥府ヘヨゥコソ……冬ノ天秤、ソシテ愚カナ神ノ子羊ヨ」

 冥府の支配者にして、亡者達ノ王。

「タ……ナト……ス」

 その恐怖が存在すれば、確信を突いた時に本当の恐怖を見せられる。
 其れは何度も繰り返し行なってきた。止む事を知らぬ永劫の輪廻を巡り続けた全てを、僕は壊れてしまう程に脳に焼きつけられる。それは現実では無く恐怖が見せる死の幻想であるのだ。
 抗えぬ恐怖が死の幻想を映し出す。恐怖――冥府の王は、僕の頬に当てた冷たく蒼白の手をそのまま円をなぞる様にして胸元へと滑り落ちる。僕はこれから起こる物事が凄く恐かった。肉体的なものではなく精神的に侵すような幻覚、冥府の王は不敵な笑みを浮かべ、ぐっと力を込めた。

「あ……あ゙ッ――ぐう、ぁ! があ……あ、あ゙あぁ、あ、ああ゙……!!」
「冬ノ子ヨ……ォ前ガ今マデ観テキタ物語ヲ、我ガ食ラィ尽クシテヤロウ」
「がっ、は……あ、あ……あ゙……」
「ソゥ恐ガラナクテモ良ィ。何度モコノ苦痛ヲ味ワッテキタノダカラ、ヤガテ快楽ヘト変ワル」

 ――本当に焼けるような地獄の苦痛。まるで罪人が贖罪を償う様な裁きであり、断罪でもあった。
 めりめりと、僕の心臓へ生身のまま侵入していく骨張った恐怖の手は、気に掛ける事も無く容易く僕の心臓を鷲掴む。その反動で無意識に身体が大きく仰け反り、腹の中に溜まっていた嘔吐感が一気に押し寄せて上半身が前のめりになる。冥府の王は、僕が苦しむ様子を見てさも嬉しそうに微笑んだ。

「ククク……苦シィカ? 苦シィノカ、イヴェール?」
「ぐぶッ――…う、え゙っ、ぐ、がはっ……ゔぉ゙、げえぇっ……!!」

 口端から止めなくあふれ出る唾液。吐き出そうとしても腹の中に溜まっていたモノが出せず、嘔吐感だけが脳内に染まる。
 気持ち悪さと罪悪感に、為す術もなく侵された。

「吐キ出ソゥトスルトハ情ケナィ。ォ前ハソレデモ生ト死ヲ司ル天秤ナノカ?」
「お゙っう、ぶ、え゙ぇ……!! うげっ……苦しい……ぐ、ふッ……苦しい、苦しい苦しい、苦しいっ、苦しい苦しい苦しい……!!」

 助けて――――

「愚カナ。コンナモノデ気絶スルナドサセハシナィ。何セ、イヴェールニハ永遠ト同ジ苦シミヲ味ワゥノダ……最高ダロゥ? ナァ、イヴェール……」

 誰か、僕に永久の安息をお与えください――――

 永遠に繰り返す恐怖は、永劫の輪廻と共に駆け巡り、死ぬ事こそ人間が生きる定めと云う不毛な矛盾を背負い、存在していく。
 裁かれる事の断罪を、人間は死ぬ事を通して贖罪を伴い、存在していた意義を思考し、自分自身を観測(みつ)めながら弔うのだ。

 死の恐怖から逃げるなど、何をしたって無駄なのだ。
 全ては殺戮の世界に、錯誤の上で成り立つ人間達の罪が断罪なのだから。





end.






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