光闇(+従者)




 せめて、幸せだと感じるものが必要だった。しかしそんな我が儘を願う事より、今はその大切な感情を忘れたくなかっただけであり、幸福と感じるものを無くしたくなくて、望んで壊れたくなかったのだ。

「メルヒェン様」

 優しく笑顔で話掛けてくれる、彼が居るだけで今までの罪悪感や復讐をしなくて平和になれると思って居たのに。
 彼が居るだけで良かった。ただ彼と共に居るだけで生きていけると思って居たのに。

「探しましたよメルヒェン様。急に居なくなられたのですから、テレーゼ様と心配していたのですよ?」
「ああ……すまない。だが、わざわざ私を探しにきてくれたのだろう……?」
「勿論。俺は、愛する貴方の――」
「……?」
「――――さぁ、屋敷へ参りましょうか。テレーゼ様がお待ちです」

 その言葉を告げた彼は、少しおかしかった。

 不意に、ぞくりと寒気が背筋を奔る。

 ――そっと、冷たく青白い頬を触れる彼の暖かい体温は瞬時に冷たくなって腐り果ててしまう。忠実な笑顔の裏に潜む別の闇が、彼を奪いさっていく。彼の名前を言い掛けたところで、 感じていた幸福は衝動の闇に葬 られた。

 そのはず、なにが起きたのさえ全く判らなかった。何故、幸福の一時に不幸の奈落へと堕ちてしまったのか。
 答えは知っていた。
 突然、彼は全身が真っ赤に染まってその場に倒れたから、だ。

「――――ア……」

 辺りが紅く飛び散った。生ぬるい紅い液が身体にまとわり、一気に駆け巡る罪悪感と恐怖。発狂寸前。自殺衝動。ごろりと転がる紅い果実。真っ赤なソースに絡まる林檎の様。流れ込んでくる絶望、苦悶、恐怖、殺戮の嘆き、戦慄。その全てが身体の全体を浸食していき、やがてせき止められぬ狂気となる。

 壊れたくない。壊れたくない、今だけは、今だけは。

 せめて、永遠の幸福を手に入れてみせるまでは――

「あ、あ……あ、ぁあ、ああ、あぁあぁ、あ………!」

 ――壊れたくない。壊れたくない。壊れたくない。壊れたくない、壊れたくない、壊れたくない壊れたくない壊れたくない壊れたくない壊れたくない壊れたく、ない、壊れ、たくない、壊、れた、くない壊れたくない壊れたくない壊れたくない壊れたくな――――……ッ!!

「何笑ってるの?」

 光を装った悪魔がやってくる。罪を犯された衝動を殺そうとしている。狂った微笑みを浮かべ、目を見開いて此方に見据える表情さえも恐ろしい。何をした? 一体何をしたと云うんだ?

「――メルヒェン?」

 止めてくれ

 止めてくれ……

「ゔぐ、あ゙、あぁ、ああ、あぁあああぁぁああぁああぁッ!!!!」

 もう、壊れたくないんだ……



*


 ごりィ、と鈍い音が響いた瞬間、メルヒェンは恐怖に戦慄した。
 決して悲鳴など上げてなるものか。と、歯を食い縛るヴァルターが名も知らぬ男二人に拷問されている様を何時間も見せられて、足が竦んでしまっているのか、一掴み出来そうながくがくと細い身体は全身に震えが止 まない。
 寒さには慣れていた。だが、幾ら此処が“拷問部屋”とは云え、その寒さは異常だった。しかしそれは単にメルヒェンの思い込みかも知れない。
 そんなモノよりも、メルヒェンには彼が恐ろしく思えた。同じ拷問部屋に居る、名も知らぬ男達と拷問されているヴァルターや、嬉しそうな笑顔を浮かべている――かつての自分、メルツ。
 今見ている光景はメルヒェンにとってまさしく精神的な拷問と同じ。がくがくと震える身体だけが、唯一その場の雰囲気を物語っていた。

「はッ、ぐ、がぁ、あ……あ――」

 ヴァルターの身体は既に壊れた玩具の様にぼろぼろで、意識も朦朧としていた。

「くひひッ、おらもっと呻け!」
「坊っちゃん、どうしますか? このまま殴り殺してやりましょーか」

「――いいね。メルヒェンの泣き声も聞きたいし、ヴァルターなんかもう用無しだから楽に殺しちゃっていいよ」

 笑顔でメルツはヴァルターの頭を強く踏み潰した。「ぐ うっ」とヴァルターは更に顔を歪め眉を潜める。
 歪な音は止む事を知らず、何時までも鳴り続けているもので、メルヒェンは耳が壊れそうだった。何時になったらこの恐怖は終わってくれるのか、何時か何時かと待ち侘びても幸福は訪れてこないと知っているのに。
 ずっとヴァルターを見据えているメルヒェンに、ヴァルターは微かな声で囁く。
 今にも息絶えそうなヴァルターに対し、嬉しげで寧ろ楽しそうに眺めるメルツが怖くて堪らない。そんな中でも恐怖に脅えるメルヒェンに、ヴァルターはただメルヒェンを見つめていた。

“ 早く、逃げて、下さい”――と。

「……ねぇ、メルヒェン」

 低い声でメルツは問う。

「ヴァルターって……今メルヒェンがとってもだぁい好きな恋人なんだよね……」

 どくん、と身体の中で鼓動が跳ねる。――嫌な予感が脳裏を何度も過ぎるのだ。

「じゃあ、ヴァルターを殺しちゃえばメルヒェンも喜ぶよね?」

 その言葉を理解するのにさも時間など掛からなかった。単刀直入に告げられた言葉だけでメルヒェンの恐怖感を煽り、ただ愛した恋人を殺される絶望と恐怖で全てを奪われていく。

 壊れたくない。

 壊れたくない。

「ッ!! や、止めっ、止めてくれ、止めて、止めてくれ、止めてくれ!!」
 壊れたくない。
「何故? 止めたらつまんないじゃないか。だから……」
 壊れたくない。
「止めッ――止めてくれ、止めてくれ! 嫌だ、嫌だ、ヴァルターだけは、ヴァルターだけはッ!!」
 もう、壊れたくない。

「ハンス、トゥーンス。殺しちゃっていいよ」
「「Ich verstehe.」」

 ――ぐしゃり、と拷問部屋に肉が潰れた音が響いた。

「嫌……嫌ッ、嫌だ、嫌だ! 嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ!! ヴァルッ……私のッ、私の……!!」

 壊れたくない。

「ゔ……ぐ、あ゙、あぁ、ああ、あぁあああぁぁああぁあぁッ――――!!」

 止めてくれ。

 ―――もう二度と、私を壊さないで……



end.


以前日記にて載せた従者ヴァルター(捏造)とメルヒェンとメルツの話。

しかしメルツが非道い。





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