※捏造3Z設定バレンタイン
※前半銀妙←神/後半沖神微裏
※シリアスではないです。
一年に一度のバレンタインは女の女による女のための日である。女が男に想いを伝えるためのロマンチックな日なんかではない。という思考に切り替えたのは、ついさっきのことである。そしてそれと同時に今の自分がとてもつもなく甘いものを必要としているということを思い出した。
はたして本当に彼がチョコを貰えるのかさえ怪しいが、今時珍しく本命からは何も受け取らない主義(自称)を貫いているらしい担任の机に現国の問題集ノート達と透明のタッパーがぽつりと置かれているのを見つけたことが全ての始まりだった。一部が欠けている真っ黒な物体がブラウニーの成り果てと判断するまでに随分と時間を必要としてしまったものの、大体の状況は理解することができた。そして自分の意思とは関係なく、普段は全く使い物にならない脳みそか勝手に朝の出来事を再生し始める。
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意識的に欠伸をしてしまう。そもそも欠伸とは意識してするものではないが、今の自分は緊張を紛らわせるために欠伸をするという習性を持つ犬と同じだった。つまり緊張している。そしてその原因がスカートのポケットに感じる僅かな重みにあることもはっきりと分かっていた。
見渡す限り、朝礼前のざわついた教室は男子たちが不自然に落ち着いていないこと以外はいつもと何ら変わりなかった。一人一人の声はそれ程ボリュームがあるわけでもない。ただし何人ものクラスメイトが同時にそれぞれ会話を繰り広げるとなれば話は別だ。机一つしか隔てていない至近距離でも相手の声が聞き取れない。それなのに、大昔の偉人ばりの能力を発揮してしまうのは恋する乙女の底力以外の何ものでもないと思う。
「オイコラ、朝礼くらい起きろ。他の授業は寝ててもいいけど。」
まず教室の入り口に一番近い席で突っ伏していた沖田の茶色い頭を手加減せずに出席簿で叩いた。それでも体勢を変えようとしない生徒に銀八は軽い溜息を吐いた。
「最近バイト始めたんでさァ。勘弁してくだせィ。」
「甘ったれるんじゃありません。寝るなら家で寝ろ。先生がお前ぐらいの時はバイトのある日はちゃんと学校休んでました。」
「じゃあ明日から週休五日制で学校来やす。」
甚だ見当違いのことを言ってのける銀八に、同じくらいのレベルの言葉を返すと沖田は再び夢の世界へと旅立ったらしく、それ以後彼のくぐもり声は一切発せられなかった。そんなこんなで漸く教室の教壇に立とうとした銀八は何を思い出したのか急に身体の向きを変えると机と机の間の狭い通路をずるずると重い足取りで進み出した。そして銀八の足が止まった目の前には、泡を吹いて床に倒れている近藤と彼の胸板に捻じ込ませるようにして足をのせている妙がいた。
「志村ー。現国の問題集ノート集めたやつ朝礼終わったら職員室に運んでくんない。」
「朝礼後ですか。」
「うん。ゴリラにでも手伝わせれば運べる量だろ。」
「放課後でもいいですか。」
一瞬の沈黙の後、妙は銀八の白衣の胸元のポケット辺りに視線を泳がせながら答えた。
「放課後まで待っていた方が提出率も上がりますよ。それにゴリラは今再起不能なので。」
いまいち腑に落ちない表情を浮かべていた銀八だったが、彼の性格故それ以上追及するようなことはしなかった。二人の会話を最初から最後までしっかりと聞いていた自分は「放課後までなら私も出せるアル!」と底抜けに明るい声で叫んだ。
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あまりの鮮明な映像と音声はいつもの記憶力の悪さが嘘のようだった。姐御が何をしようとしていたのか、何故あの時答えに詰まり、彼の目を見ていなかったのか、そして彼の机に置かれていたタッパーとその中身、食べかけだったということが何を意味するのか、今全てが綺麗に繋がった。早弁をした後に必ず歯に挟まるほうれん草が3時間目の授業中にとれた時と似たような気持ちになった。
自分の好きな人の好きな人は自分ではない。それはあまりにもシンプルで単純なことだった。
「あーあ。ロクなもんじゃないネ。バレンタインなんて。」
何も知らずに二人の会話に飛び入り参加し、能天気に叫んだ自分が恥ずかしい。皴と折り目だらけの週番日誌をわざわざ職員室に届けなければよかったとか、そもそも届けに行ったのは彼の顔を一目見てポケットの中に眠る2つのチロルチョコ(もしかしたら溶けているかもしれない)を渡したかったからだという健気な乙女心から生まれたものだったと冷静に考えれば考える程、自分が哀れだった。
そんな居た堪れない気持ちに身体はすぐに反応してくれて、気が付いた時には自分の口の中にはチョコ特有の甘い味に加え、きな粉と餅の食感が広がっていた。
しかし、それだけでは足りないとそれらを紛らわすために出向いたはずの街は全く逆の効果を自分に齎してくれたということに気付いた時には遅かった。本屋の店頭をチョコや菓子絡みのレシピ本が占有し、コンビニのレジ前には手ごろな価格で買うことのできる既製品が並び、スーパーの出入り口付近には手作り菓子のキットがワゴンに山積みになり、デパートの特設会場には有名菓子店がブースを連ねる。
ハート、ピンク、チョコ、クッキー、そしてまたハート、ピンク、チョコ。あらゆるものがそんな規則性に則られていた。勿論、いつもの酢昆布を調達するために出向いた生鮮食品が安くて有名な近所のスーパーもその例外ではなかった。
調味料と菓子コーナーの間にある棚の前で神楽は呆然と立ち尽くしていた。愛しの酢昆布との距離は腕一本分だったが、一向に縮まる様子はない。そして気がつく。既に自分が吐いてしまいそうなくらい酸っぱい気持ちになっていたこと、その原因が人生最大の失恋にあることまで頭はちゃんと理解していた。
そういうわけだったから、スーパーのレジの横を手ぶらで通過した神楽は何食わぬ顔で再び街の中へと足を向けた。そして商店街の店の連なりも終わりに差し掛かる頃、セーラー服のスカートの足の付け根辺りに依然として消えることのない違和感を覚えた。
丈を短くするため2回程折られたスカートのひどく狭まったポケットの入り口から手を突っ込み人差し指と中指を泳がせる。チロルの紙屑を残して漸く無事に救出された小さな黄色の紙は先日バイトを3つも掛け持ちしているクラスメイトから貰ったドリンクの無料券だった。
紙の端に書かれているのは彼のバイト先の名前だろう。確かショートのくせに割高だとか、カフェラテなのにミルクが少ないとかであまり評判の宜しくない店だ。気は進まないが、これ以上無邪気に散らかるハート模様を視界に入れたくないという感情の方が強かった。
しかし既に外より夜を先取りするかのように薄暗くされている店内に足を踏み入れた瞬間、おとなしく直帰すればよかったと後悔するような出来事が起きた。否、光景がそこにあった。
「「「げっ」」」
綺麗に3人の高い音域と低い音域の声が重なった。そして三人共の表情も皆似たようなものだった。
「何でお前等が此処にいるアルか。」
「そのセリフそのままバットで打ち返すぜィ。」
有り得ない。そして再び脳内の再生ビデオの出番がやってきた。朝礼前の思い出したくない部分はカットし、必要な場面だけを切り取る。すると予想通り短時間で検索ヒットしてくれた。
「…お前のバイト先って此処だったアルか。マダオだけかと思ってたネ。それだけならまだマシと思って来たのに、何でマヨとゴリとザキまでいるアルか。」
「此処でバイトしてるからに決まってんだろ。」
カウンターを緑色の布巾で丹念に拭う土方は仏頂面を保ったまま答える。はっきり言って絶対にこの男は接客業に向いていない。それなのに何で裏方に回らないのかと疑問が浮かぶも、店内にやたらと香水の匂いが漂っていることや女性客の黄色い声が飛び交うことがあっという間にそれらを解決してしまった。
「うげぇぇぇ。最悪ネ。教室とまるで変わらない光景アル。吐いていい?」
「いい度胸してんじゃねーか。」
「やーめた。帰るアル。」
布巾を裏返しにして今度は別のテーブルを拭い始めた土方の凄んだ声に神楽が怯むわけもない。ふしろ彼女の不快指数を上昇させただけのようだった。
「あれ神楽ちゃん帰るの?せっかく来たんなら紅茶でも飲んでけばいいのに。」
ただでさえ薄暗い店内にもかかわらずサングラスを掛けて厨房からひょっこりと顔を出したエプロンが無駄に似合っている男。自分にバイト先のクーポン券を渡してきた張本人の長谷川に神楽は膨れっ面で答える。
「マダオだけなら居座るつもりでいたネ。でもコイツ等がいるなら別「チャイナさん危ない!」
何処からか叫び声が聞こえてきた。誰の声だっけ。ええっと確か今日も会話したような。というか店内に足を踏み入れた時ちらりと視界の端を掠めたジミーじゃないか。しかし声の主が判明した時には全てが手遅れだった。
前髪の毛先からは水滴が途切れることなく床を目指していき、自分の周りが騒然とした空気に包まれているのが分かった。そして頭から鎖骨辺りまでかけて感じる冷気は、店内の暖房の風によってアイスティーが冷やされているせいだった。