*3Z+金魂
*微々裏
きりりと胃の辺りに痛みを覚える。鋭いようでいて、鈍い痛み。あの時のだ、と瞬時に記憶を蘇らせる。新調したばかりのスーツの上から鋭いピンヒールで刺されそうになった数時間前のこと。
これでもかという程、あの女は己の腹部を蹴った。しかしながら、女への忌々しい感情と腹部に留まる苦痛に顔を歪めることは許されない男は、穏やかな笑みの下に顰め面を隠すしかなかった。口の中だけで舌打ちをしながら、自分の『ホスト』という職業を心の底から恨んでやりたくなる。
「ソウ君ってば、どうしたの。そんな怖い顔して」
営業スマイルという仮面の下にしまい込んだはずの表情を読み取られ、ぎくりとすると同時に自分の至らなさに嫌気がさす。グラスに半分程残された濁り気味の液体を一気に飲み干した後、自分の腕に絡み付いてくる女のふわふわした髪を弄ってやりながら答える。
「ちょっと考え事をしてただけでさァ」
「勿論貴方のことだけど」
沖田が最後に付け加えた言葉に満足したらしい女は彼の白い頬に思い切り唇を押し付けた。その薄い唇を頬から沖田の耳へと移動させると、そっと小さな声で呟く。
「今度来た時はプラチナ入れてあげるから」
その女の言葉に満面の笑みを浮かべた沖田は、テーブルからヘルプの男がいなくなったことを確認する素振りを見せてから女にそっと口付けを落とす。
そして、自分の口付け効果で恍惚とした状態にさせられた女が去っていく後ろ姿とパンプスのヒールが床に打ちつけられる音が、徐々に小さくなっていくのを待った後、シャツの袖で頬を強く拭った。
***
「お前、いつから色恋営業に転身したんだ」
隣のソファーから煙草の白い煙と共に上がる低い声。投げかけられた言葉に反応を示さないままでいると、一方的に相手が言葉を続けた。
「まァ太客を大事にするのは結構だけどよ、お前また揉め事起してくれたらしいな。例の奴等と」
予想通りの説教か。しかも、元々良くない感情を抱いている上司からの説教となれば聞く気など毛頭ない。けれど黙秘を続けていても、男の機嫌を逆撫でし逆に面倒くさい事態になることも目に見えている。
「同業回りに行っただけのつもりだったんですけどねェ。あんまり歓迎されなかったみたいでさァ」
「当たり前だろうが。唯でさえ俺達の店は新規の身分で他店の売り上げを横取りしたと思われてんだ。そこら辺頭に入れとけ」
「へー」
控え室へ移った二人は珍しく話があるというオーナーを待つ間、他にすることもなかったため部屋の隅に置かれているテレビの電源を入れた。そろそろ液晶テレビに乗り換えたいところだったが、そんな費用はないとオーナーに一蹴され、オンボロのアナログテレビで甘んじている日々だった。
売り上げ上々のはずなのに費用不足である理由が分からないと隣の上司に溢したら、オーナーはライバル店のナンバーワンホストに惚れていて相当貢いでいるらしい。あまりの馬鹿馬鹿しさに呆れ返ることもできなかった。
そして目の前の画質の粗い四角い画面に映し出されるのは、今まさに自分が働いている街。何かと事件の多い街でもあるから仕方のないことだし、日常茶飯事だろうと軽く聞き流すつもりだったがスピーカーから流れ出た2つ程の単語に視線を再び画面へと戻した。先程自分の腹に蹴りを入れていった女が、自分の頭の中で意地悪そうに笑った。
「歌舞伎町で、中国系マフィアと−−−反抗勢力が−−−で激しい衝突…。」
やっぱり液晶テレビに買い換えて貰えば良かった。ちらりと横に座る男を盗み見ると、やはり同じことを考えていたらしい。目を閉じて溜息と同時に白い煙を口から吐き出していた。
「土方さん、こりゃ明日が楽しみですねェ。血まみれで登校してくるアイツが拝めるかもしれやせんぜ」
「どーせあの女は今回も裏で仕切ってるだけだろ。それより俺は血まみれの教師が教壇に立つ方が嫌だけどな」
限界まで役目を果たした煙草を灰皿に擦り付ける土方を革の色が所々薄れているソファーに一人残したまま沖田は立ち上がり、そのままブラインドのかかった窓際へと歩いていく。
白くて冷たいブラインドを持ち上げて、ネオンが溢れる外の様子を伺った。黒の色彩よりも赤や黄色といったものの方が圧倒的な割合で街を塗っている。
この場所から見る限りでは、特に乱闘などの騒ぎは確認できなかった。どちらにしろ、明日になれば全てはっきりする。するりと手を引っ込めてやれば、窓枠に当たったブラインドの金属音が部屋に響き渡った。
***
「つまんねぇの」
「人の顔見るなり第一声がそれかヨ。失礼極まりない奴アル」
自分の淡い期待を見事に裏切られた沖田が思わず呟いてしまった一言に神楽は心底不快な表情をしてみせた。神楽の身体に何処か傷のようなものができていないか、と舐め回す様に上から下まで見てみるが結論は変わりそうにもない。
尤も、彼女はセーラー服にあずき色の長袖のジャージをセットで着込んでいたため露出している肌が極端に少なかったのだが。
予鈴のベルが校舎中に鳴り響いてからおよそ数分、出席簿を肩に担いだ殆ど白に近い銀髪頭の教師が引き戸をわざとらしく開けて入ってきた。彼にも特に変わった様子はない。変わったといえば、教壇のお見合い席で珍しく新八が突っ伏していることと、昨晩待ち続けた土方と沖田に姿を現さなかったという仕打ちを喰らわせたあやめが入ってきた担任に熱烈な視線を向けているということぐらいだった。
「オマエ、朝礼から早弁は勘弁しろィ。匂いキツイ」
「ごちゃごちゃ五月蝿い男アルな。酢昆布とタコ様ウィンナーの匂いくらい我慢しろヨ」
「いや、それ明らかに他の匂いっも混ざってるだろ。ケチャップの匂いがプンプンしまさァ」
「それマヨネーズの匂いアル。お前の隣の大串君が持ってるネ。今お好み焼きにトッピングしようとしてる奴」
「土方さん、公害臭撒き散らさないでくれやせんか。ってことで詫びて死んでくだせェ」
「いやマヨネーズもお好み焼きも持ってねェから」
身体にしては小さめの机に肘をつきながら呟く土方を早くも放置した沖田は神楽と再び話し始める。夜では上司という立場にいる隣の男も、彼にとって昼間の学校では同級生かそれ以下、或いは単なるイケ好かない野郎という存在らしい。
そして間も無く始められようとしている現代文の授業を真面目に受ける気など最初から全く無い沖田は、弁当の三分の二を食べ終わったばかり神楽を道連れにしてやろうと考えた。
「昼に焼きそばパンを奢ってやる」という魔法の言葉によって神楽を屋上に誘い出すことに成功した沖田は鼻歌まじりに階段を上り、その後ろを神楽が面倒くさそうに歩いていく。
どうやら一限目の授業が銀八による現代文であることをすっかり忘れていたらしく、沖田の誘いにうっかり乗ってしまったことを後悔しているようである。そんな神楽の様子が気に入らなかった沖田は屋上の扉を開けるなり神楽を放り込むようにして中に入れた。
「テメェ、レディーにこんな扱いして許されると思ってるアルか」
「残念ながら男の腹にピンヒールで蹴り入れるような奴を世の中は『レディー』とは言いやせん」
今朝、洗面所の鏡の前で腹筋辺りに青タンを見つけたからその復讐というわけではない。昨晩のような神楽との決闘は日常茶飯事であったし、もはや沖田にとって一種の会話手段となっていた。ただ、昼と夜でこんなにも変わる自分達の関係性や立場を楽しみたいだけなのである。
深いスリットのチャイナ服を脱ぎ捨て、赤と紺と白を基調とするセーラー服を着た目の前の女はホストクラブオーナー兼マフィアボスではない。怪力という点を除けばごく普通の少女。
その証拠に少し強めの力で彼女の腕を引いてやれば、容易く自分の胸の中に倒れ込む。昨晩は自分の腹をヒールで刺そうとしていた、女が。
「何のつもりネ」
「別に。昨日の騒ぎでお前が血流す面を見たかっただけでさァ」
沖田の言葉を最後まで聞くや否や神楽はふんと荒く鼻を鳴らした。けれど体勢を変えるつもりはないらしく、腕の中で大人しく抱かれたままでいる。
「昨日は結局乱闘にはならなかったアル。ダメガネが得意分野とする話し合いで何とか治めたネ」
朝の不思議な光景の理由が一つだけはっきりした。要するに姐さんの弟が一晩中コイツや銀八にパシられて疲労困憊だったわけだ。しかしながら沖田がはっきりと知りたいのは別の事である。
「じゃあ、あのニュースは」
「下っ端の連中が勝手にどんちゃん騒ぎ起したのかもしれないネ。リーダーに君臨する私がそんなこと知るわけないダロ」
自分の鎖骨にこつんと橙色の頭をぶつけながら、客の女が自慢げに薬指につけていた宝石と比べ物にならないくらい美しい青で見上げられれば思わず言葉に詰まってしまう。昨晩とは打って変わった神楽の態度に沖田は僅かながらもたじろいだ。
後に続ける言葉を沖田が捜している内に、神楽の細くて滑らかな指が学ランを着た沖田をゆるりと肌蹴させる。
「ごっさ青タンになってるネ。いい気味アル」
珍しく強引な彼女に少しばかり胸を躍らせた自分に沖田は嫌悪感を抱いた。傷を眺めるのが目的だったのか。空回りさせられたことに軽い苛立ちさえも覚えた沖田は、やんわりと冬の冷えたコンクリートに神楽の背をつけさせた。
驚いた様子も見られない蒼い瞳を確認し、それから唯一外気に晒されている彼女の首筋に舌を這わせた。夜には決して味わせて貰えない故、昼に堪能するしかない。
「もう一つ青タン増やされたいアルか」
「遠慮しときまさァ」
黒板に白い文字で刻まれていた昨日の化学用語が、ふと脳裏に浮かんだ。今の自分はまるで硝酸を舐めているようだと思った。酸化力が強くさまざまな金属を溶かす無色刺激臭の液体。この少女も硝酸も「危険」という点では何ら変わりない。
けれど彼女の唇や首筋や鎖骨を舌でなぞっても溶けやしない。そんな当たり前の事実だけで十分だったから、そのまま行為を続けることに決める。己の視線を女の胸元に戻す前、一瞬だけ仰いだ空は蒼すぎた。
硝酸に溺死した少年少女
お雪様に捧げるキリリク小説なのですが、まず遅れてしまって大変申し訳ありませんでした!その上、おっかぐをお雪様にプレゼントするつもりがリボンもかけられていない沖神です。
少しだけ補足させて頂きますと、昼は3Z・夜は金魂とハードな日々を送っている高校生達+教師という設定です。無理矢理すぎましたよね…。焼いて餅にする、凧にして空へ飛ばす等お雪様のお好きなようにしてやって下さい。素敵リクエスト有り難うございました!