小鳥の囀りが聞こえてくるわけではないが、カーテンの隙間から差し込む冬の朝日が部屋の奥まで届くおかげで眩しい朝の到来を感じた。

瞼を閉じたまま上半身だけを起すと、頭の奥で何かが鳴る様な痛み。完全なる二日酔いだった。



「いってェ。」


指先が床に触れ、そのまま一気に冷たさが身体中を襲う。いつまでも毛布に包まっていたいという願望は叶わない。社会人である自分は学生の時のような我儘を持ち出すことは許されていないのだ。


時間が余りないため、朝食は後回しにすることにして先に洗面所へと向かう。鏡に映る疲れきった自分を見る暇もなく歯磨き・洗顔を済ませ、髪も寝癖だけは丁寧に直した。


猶も瞼が重い自分を奮い立たせ、身を切るような空気が漂っていた空間から日差しを全面的に受け止めているリビングに入るとソファーで眠りこけている橙色が目に入った。


「オイ、風邪引く。」


一枚しかないブランケットの中で身体を縮ませている義妹の肩を優しく叩く。溢れんばかりの日光にも屈せず、一向に目を覚ます気配を見せないということは余程疲れているのだろうか。肩を叩く手の力を僅かに強めたと同時に小さな声がした。


「う…あにき…。」



呻くように呟いた直後、鼻かかった声で二言三言謎の言語を発し、細い指で瞼を擦る愛しい義妹に抱く思いが何なのか。本能的に深く考えないようにする。


彼女の長い睫毛とか、耳たぶの厚さや肌のキメ細かさまで全てが自分を魅了していることに気が付いていないわけがない。頭の痛みに、また別の痛みが追加された気がした。



















***



「もうヤれば。」


昨晩と午前の疲れを癒す麗らかな午後の休憩時間、思わず飲んでいた無糖の缶コーヒーを吹き出すところだった。

問題発言をした当の本人は飄々とした顔をしている。額から変な液体を流しながら総悟は深い溜息を吐く。



「それができねェから溜まってるって言ってるんでさァ。」


「でも血は繋がってないなら全く問題ないじゃねーか。良かったな、ドロドロ展開にならなくて。」


「オイ、マヨ方さん。人事だと思って楽しんでないですかィ。」


マヨネーズの形をしたライターを大事そうに胸ポケットに入れながら、同時に白い煙を吐き出す男を軽く睨みつけて言った。

そんな気味悪い形をした物をよく使えるな、と尊敬し、買う時に生まれる羞恥心なんてものはないのだろうかと疑問にも思った。人間は愛しすぎると盲目になるということか。だったら自分も人のことは言えない。


「ヤってもいいのかな。」


ポツリと呟いた総悟の一言に、煙草を吸いながら窓の向こうの景色を眺めていた土方は何も言わなかった。


日々の歯磨きのように、もはや習慣化した自分に対する姑息な嫌がらせを仕掛けてくる横の男が唯一頭を抱えること、それは義妹のことだった。随分と前から恋心を抱いているらしく、高校生の時からありとあらゆるストレスをぶちまけられている。




義妹が冷たい、義妹に男が寄りつく纏わりつく、義妹が冷たい、義妹に彼氏らしき人物がいる、義妹が先生らしき男と仲が良い、義妹が冷たい、などという具合だ。逆に義妹とデートした、義妹とおやすみのちゅーをしたなどという日の翌日は不気味な程機嫌が良く、交通課の婦人警官全員を悩殺するような笑顔を顔に貼り付けていたりする。



体内の90パーセントの構成成分が「ドS」でできているようなこの男が自分にも相談を持ちかけるという始末。

余程、相手を愛してるんだろうと察しがつく。話に寄れば、直接の血の繋がりはないということらしいので問題はないんじゃないかと思うが、一方でそんなに単純な話でもないのだろうとも思う。


そんなことを本人に言うわけでもなく、ただ無糖コーヒーを飲みたいという突然の衝動に駆られた土方は小銭をポケットから取り出すと自動販売機へと向かうために総悟を一人窓際に置き去りにしたままその場を立ち去った。



ポケットに両手を突っ込んだまま自動販売機へと向かって歩く土方の後ろ姿を見つめていた総悟は、先月辺りに丁度塗り替えられたばかりの真っ白い壁に背中を預け、寄りかかる体勢で腕を組んでいた。



そのまま土方が転倒して床との顔面衝突事故を起してくれればいいのに、なんてことを考えていたら目の前を通った交通課の女子に話しかけられた。同期ということもあり、割りと仲が良かった。



「沖田さん、お久しぶりですね。」

「どーも。」



確かに久しぶりだった。交通課は何かと忙しい、というのは警察に入りたての時は自分も配属されていたので記憶に残っている。

あの頃は一刻も早く他の課に移りたくてしょうがなかったが、今では良い経験だったと思う。この子に会うと、その頃の思い出が蘇ってきていつも懐かしい気持ちになる。



「今度パーッと何処か行きましょうよ。安くて穴場な居酒屋があるんですよ。お好み焼きがすごく美味しくて。」

「へェ、そりゃいいですねェ。」

「是非、土方さんも誘って。女子の方も綺麗な子集めとくんで。」



子供のような悪戯っぽい笑みを浮かべて言う彼女は本庁の男性職員から結構な支持を集めていたりする。えくぼが特徴的で、密かに狙っているという友人の話も聞いたことがあった。



「お好み焼きだったら土方さんのマヨネーズが大活躍でさァ。」

「確かに、アレは初めての人はドン引きしちゃうかも。」




こんなふうに魅力的な女性が職場には沢山いるのに、微塵も興味を持つことができない。数え切れない程、合コンやらデートやらに誘われたこともある。けれどいつだって自分の心を支配する女は変わらなかった。


その後、適当に近況報告を互いにして切り上げた。デスクに戻る途中、不機嫌そうな表情を浮かべながら微糖コーヒーを空き缶入れに投げ入れていた土方を見つけた総悟は機嫌が良くなった。無糖コーヒーを自分が買った後、ボタンに赤い文字で『売り切れ』と表示されたことをしっかりと覚えていた。















***


風呂上りで髪を半乾き状態のままリビングに入るなり、「もう駄目かもしれない。」と悲痛そうな声を上げる兄に神楽はぎょっとした。ソファーに座りながら頭を抱え込む総悟は何だか弱弱しかった。


髪の先から下へと零れていく水滴を気にすることなく、総悟の隣に座った神楽はソファーの下にあった新聞を拾い上げるとテレビ欄をチェックし始める。



「今日のロードショー面白そうアル。撮っとこうヨ。」

「……。」



神楽と総悟の映画の趣味は昔から合った。互いにアクション系やSF系などが好きだった。テレビ欄で紹介されている本日のロードショーもそういう系統の人気映画だったため、神楽はてっきり総悟から肯定の返事が貰えると思っていた。



「兄貴?見たくないアルか。」

「……。」


以前として無言のまま顔を下に向けたままの総悟に、気の短い神楽は耐え切れなかった。


相手の意見を待つことなく、リモコンで次々と操作をし液晶画面に『予約完了』の文字が表示されるのを確認すると満足そうに微笑んだ。これで明日の講義は全滅だろうが、仕方ない。どうせ子守唄と称される教授の講義だ。寝て過ごす方が時間の有効活用ってもんだと一人納得し、立ち上がろうとしたら腕を引かれた。


濡れた髪によって水浸しになったパジャマの背中部分が急に冷たく感じて、一刻も早くドライヤーで乾かしたかった。洗面所の台に横たわっているであろうドライヤーを想像しながら相手の次の行動を待つことにする。


「なァ。」

「何アルか。」

「大学楽しい?」

「うん。それなりに。」


何故こんなことを今更聞いてくるのだろうか。自分が大学に入学してから少なくとも半年以上は経っている。


サークルを通じて友達も倍へと膨れ上がったし、講義は最高に退屈だがキャンパスライフは楽しい、ということは入学して一ヶ月くらいの時に久しぶりに一緒に食べた夕食の席で報告済みだった。

怪訝そうな顔をしている神楽の横で突然顔を上げた総悟は「その映画にラブシーンってあるかな。」と呟いた。兄の発言の意図がよく掴めなかった神楽は、首を僅かに傾げ、一瞬考え込んだ後「何で」と尋ねた。


「ラブシーンがあったら確実に抑えられないから。」


先程とは打って変わって怪しい笑みを浮かべた総悟はいつもの彼だった。その澄んだ瞳には好からぬ光が宿っている。


そんな兄の様子に気が付くことなく新聞を折りたたみ、テーブルの上へ戻しながら「多分あると思うヨ。」と答えた神楽はこの後に起こる出来事を夢にも思っていない。「最近の映画ってチャラついてるのが多くて嫌アルな。」と溜息を吐く神楽。



2時間後にセットされた録画タイマーだけが彼女に残された貞操の時間を示していた。






よっ☆冬嬢



(さようなら処女娘)

(何か嫌アル)









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