手を翳して空を仰ぐ。
秋の空は一段と高くなり地上との距離を遠くしていた。
そこに浮かぶ太陽は南から僅かに西に傾いている。
薄いブルーに向かって息を吐き出してやれば、白い煙が上へ昇っていった。
「制服で喫煙って不自然アル。」
いつの間にか隣に立って自分の顔を覗き込んでいる女の気配が全く感じられなかったことが僅かにプライドに障る。
自分は五感が他人よりも優れている、という自負があったからかもしれない。
「どうやってココに入った?」
校舎の天辺に君臨する広大なコンクリートと空の間に位置する空間。
合い鍵を持つ自分は別として、一般生徒は容易く侵入することはできないはずだ。
「あんなドア、段ボールと同じアル。」
ふふんと得意そうな表情をしてみせる神楽を視界の端で捉え高杉は首を後ろへ回し、ひん曲がっているドアノブを発見した。
「それより、ソレ!」
好奇を隠しきれず、瞳の蒼を一層輝かせて神楽が指した先にあったものは 高杉が口に銜えていた煙草だった。
「何で吸ってるアルか?若気のイタチ?」
「若気の至り、な。」
高杉は長い息を神楽の顔に吐き出した。諸に煙を顔面に満遍なく浴びせられた神楽は顔を歪ませる。
「美味しい?」
「すっげー美味い。」
再び、今度は少女に見せ付けてやるように口から煙を出した。
高杉は神楽が何を考えているのかなんて最初から分かりきっていたのだが、敢えて焦らしてみたのだ。
「吸ってみるか?」
「うん!!」
間髪入れずに神楽は答えた。余程試してみたいらしく催促の手を高杉の前へ突き出している。
「ほら。」
そう言って高杉は自分のくわえていた煙草を神楽の唇の開いている隙間に差し込んでやった。
何をすれば良いのか皆目見当がつかないらしく、神楽の表情が必死そうで思わず笑みを湛えてしまいそうになる。
「そのまま息吸って吐き出すだけだ。」
抽象的でアバウトな高杉の指示通りにしてみるも、煙草を抜き取って息を思い切り吐き出そうとした神楽は肺に煙が僅かに入り込んだらしく激しく噎せた。
眉を下げ、苦しそうな表情を浮かべながら神楽は手に持っていた煙草を再び持ち主の口に銜えさせ元に戻した。
「まっず…。」
「だろうな。コレ相当キツイ奴だから。」
「皆そんなの何で吸いたいアルか?マヨも前に吸ってたネ。」
段々と長さが削られていく白の細い円柱を横目で見ながら神楽が心底不思議そうに尋ねた。
「さァな。でもお前は吸うな。」
「心配しなくても、そんな不味い食べ物いらないアル。」
「食べ物じゃねェし。」
ついにコンクリートへと破棄された煙草は、高杉の足によって平たく変形された。
立体感をなくした其を名残惜しそうに見るわけでもなく、高杉は新たな白い棒一本をポケットの中に入っている箱から取り出す。
「そんなに一杯吸って大丈夫アルか?」
「…。まァいつか肺癌とかに侵されるかもな。」
「それヤバクネ?」
「その時はその時だろ。」
特に気にする風でもなく、煙を吐き続ける高杉。その灰色の煙が、将来身体を蝕むことになるかもしれないと分かっていても止められないことは十分に自覚していた。
けれど、自分のために本気でそのことを心配してくれる奴が現れたら
止めて自分が生きざる得ない程、守らなければいけない大切な誰かが現れるのなら…
何かが変わるかもしれない。
「チャ−イナ。」
らしくないことを頭の片隅で考えていた高杉と、空を仰ぎながら今にも眠りの世界へ旅立つ準備態勢に入っている神楽の作業を中断する一声。
重たい瞼を必死に開き、細くて白い指で擦りながら神楽は声の主の方へと視線を移した。
再起不能となったドアノブがぶら下がっているペンキの剥げかかった扉の目の前に立つ男は、自慢の整ったベビーフェイス中に笑みを浮かべるのに加えて、自慢の蜂蜜色の髪を緩やかな風に靡かせて立っていた。
「サドッ。お前、いつから来てたアルか!?」
「人の女に煙吹きかけてマーキングのつもりですかィ?」
神楽の問いかけには答えず、そのまま高杉の座り込んでいる方へと足を進めながら沖田は低い声で言う。
「成る程なァ、見てたってワケか。」
「間接ちゅーもしてやしたねェ。」
「しかも最初からかよ。タチ悪い。」
「それほどでもありやせんぜィ。ちょっとしたスリルも味わえられたし満足でさァ。」
不敵な笑みを浮かべながら、下で胡座を掻く高杉を見下ろす沖田の表情は何とも表現し難いが、妖艶な雰囲気を漂わせていた。
どうやら伊達に女子から騒がれる顔の持ち主ではないらしい。
「チャイナ。」
首を僅かに出口の方へ向け、此処から退散することを沖田は意図した。そのジャスチャーを一瞬にして理解した神楽は直ぐに首を縦に振った。
恋人同士になって早一年を迎える彼等にとっては、自然なコミュニケーションだった。
「ほーい。じゃあナ、高杉。」
去り際の余裕綽々の沖田の表情が気に食わなかったが、二人の後ろ姿を振り返って見ることもせずに黙って見送った。
最後に勢い良く口から飛び出した煙が、弱弱しく空に上っていくのを見て苦笑する。
するとコンクリートの上に無造作に置かれていた自分の携帯が振動を始めた。機械的な操作で届いたメールを確認すると、それは騒がしい後輩からだった。
FROM:来島また子
Sub:先輩へ
−−−−−−−−−−
先輩−。何処にいるんすか?
授業終わったら、
一緒にお昼食べましょうよ。
焼きそばパン買ったっす!
----end------
「五月蝿い方がマシかもなァ。」
ポツリと呟いた一言は、先程煙が消えていった空と同じ方向を目指して屋上の空間に溶け込んでいった。
一人きりで過ごしていた屋上も悪くはなかったが、と密かに思っている心の内は曝け出さないよう高杉はメールの返信をするためにキーを冷たくなった指先で押し始めた。
一面に広がる上空の世界に煙が溜まるという馬鹿げた出来事は起きるはずもないが、今なら目一杯溜めてやれる、そんな気がして空を仰ぐ。
***
屋上から2階分の階段を下り、薄暗い廊下の突き当たりの部屋。
高杉のように屋上の合鍵は持っていないものの、とある筋から入手した国語科研究室の合鍵なら沖田と神楽は持っていた。
スムーズに開かないドアを静かに開けると、目の前に広がるのは相変わらずの光景。
「やっぱり汚いアル。」
「しょうがねェだろィ、ここの責任者銀八なんだし。」
沖田に言われて神楽がドアの上に目をやると、壁に貼り付けられている白いプレートには『坂田銀八』と刻まれていた。
床に錯乱している数枚の書類を踏みつけ、部屋の奥に鎮座する、あちこち破れかかって中から綿が飛び出しているソファーに沖田は座る。
ぽんぽんと膝を叩いてみせる沖田の目の前に立つ神楽は、男が何を意図しているのか分かったが最初は躊躇した。
躊躇う神楽に業を煮やしたのか、沖田は腕を伸ばしてそのまま引っ張ると神楽を自分の膝に跨がせた。
「何か甘えてる…?」
「………。」
「あっ。もしかしてヤキモチ焼いてるアルか?」
思いついたように神楽が尋ねるが、沖田は質問に答える代わりに顔を俯かせた。
そして再び顔を上げ、逆に尋ねる。
「高杉の煙草美味しかった?」
「ううん。不味かったアル。」
そう言いながら、先程の煙草の不味さを思い出したのか不快そうに顔を顰めて神楽は桃色の舌を出しながら答えた。
すかさず、その桃色の舌に絡みつく赤い舌。二つの戯れが暫く続き、漸く終わった頃には二人とも息を切らしていた。
「サドは煙草禁止ネ。」
息を少しだけ整え終わった神楽が、前触れもなしに命令口調で呟いた。
「何ででさァ。」
「煙草は病気の元アル。お前が病気に死ぬくらいなら、私がお前を殺してやるネ。」
「そりゃどーも。」
自分の膝に跨りながら、得意そうに微笑む目の前の女が愛しくてしょうがない。
そんな幸福感に浸っていた自分をいとも容易く現実に引き戻すのは、いつだって彼女だ。
「銀ちゃんにも煙草は駄目って言わなきゃいけないアル。」
「アイツのはレロレロキャンディーだからいいんでィ。」
そう言ってやれば、途端に不機嫌な顔つきをした沖田とは対照的に安心しきった表情を浮かべる神楽。
付き合って一年経つので随分と慣れては来たが、それでも担任に異常な程懐く神楽に何度不満を抱いたことか。
軽く溜息を吐きながら、今回は我慢することにした沖田はポーカーフェイスを保つ。
それでも部屋の小窓から差し込む太陽の白い光が、高杉の煙草の煙を彷彿させて再び沖田は不快な気持ちになった。
それを紛らわすかのように、神楽の頬に自分の息をそっと吐く。
その行為が恥ずかしかったのか、頬を赤く染める神楽を近距離で見つめた沖田は、得体の知れない優越感を感じながら埃が舞う宙の先にある白い天井を仰いだ。
ルテシイア
キットアイシテナイ。
そう思い込めば
キットキズツカナイ。
<あとがき>
姫時様へ相互記念小説。
申し訳ありません!見事に撃沈致しました。タイタニック号の如く。
しかも書き上げた直後にデータを全消ししてしまい、半泣きしながら書き直したので、所々文が変かもしれません…。馬鹿ですみません。ペペッと唾を吐きかけるなり、スルーするなりして下さいませ!
改めて相互有難うございました!