※幕末未来おっかぐ
※メリクリ文らしい
ホワイトクリスマスなんて幻想だ。雪が降るから何か変わるのか。何か幸せなことが起きるのか。気温が下がって寒くなるだけなんじゃないのか。まるでマカロンを食べたことのない人が味を想像してとろけてしまいそうになるのと同じだ。でも実際、その外の固さと対照的な柔らかい中のクリームを口にすればとろけてしまうのだけれど。そしてこんなふうに考えてしまうのは自分が今ハッピーじゃないからだってこともわかっている。
クリスマスイブに雪が冬という奇跡は今年も江戸には起きなかった。江戸でクリスマスイブを迎えるのは今年で4回目だった。去年は気味の悪い怪物を退治するために遠い星の宿で一人寂しく世界中が賑わう祝日を過ごした。
あの時、寝る前に飲んだ大きいマグカップに注がれた温かいココアとそれに添えられていたマシュマロは神様からの贈り物だと思える程の味がした。できれば来年は同じ想いはしたくないなと思いながら、冬にはふさわしくない薄めのブランケットに身をくるんで眠るについたのを覚えている。あの夜はとんでもなく寒くて長かった。
それなのに。ぐるぐると鳴るお腹を同時にきりきりとした痛みが襲う。可哀想に。やはり銀ちゃんがパチンコで大当たりを出して奮発したデリバリー寿司四人前と姐御が気前良く分けてくれたハーゲンダッシュのトリュフチョコとエイリアンハンターの出張先でその星の名物だからと勧められて大量に買い込んでしまったマカロンの相性はあまりよくなかったようだ。
消化に手間取っているのかもしれない。久しぶりに満腹感を得られたというのに胃が悲鳴を上げているなんてあんまりだった。江戸に来たばかりの時は信じられなかった腹八分目という言葉を今なら少しだけ理解できそうな気がする。
「痛い…」
誰にも聞かれないであろう真っ暗な押入れの中でぼそりと呟く。「あの日」の痛みの方がまだマシじゃないか。だってあれは痛くて当然のものだから。久しぶりに得ることのできた満腹感はあっという間に消えてしまった。
世界中が浮かれている幸せな日に何で自分は胃の痛みに苦しめられているんだろう。自分だって幸せになる権利があるはずなのに。本当ならこんなつまらないことでうじうじする自分じゃないのに。いろんな感情がごちゃごちゃと入り混じってわけがわからなくなる。
「あのドエスバカ」
クリスマスイブに彼女を放っておくなんて、いくらサディストでもいい加減にしてほしい。悪臭を放ちながらどこが目と鼻と口なんだかわからない怪物を相手にする日々ばかりが続き、心の支えを江戸から通販で送られてくる酢昆布と甘いものだけで済ますのがいよいよ難しくなってきた。それだからいつもは抱かない感情を少しだけ心の隅にあたためておいて江戸に帰って来たのに見事に裏切られたのだ。
いやでもクリスマスイブなんてよくわからないイベントだし、いつもと変わらない味の肉が3割増しくらいで売られてるし、街は人で溢れかえっているし、いいことなんて何一つない。自分にそう言い聞かせようとすればするほど上手くいかなかった。真っ暗な視界に浮かんでくるのは帰って来る途中に見かけたイルミネーションの残像で、それはきらきらと美しく光っている。生温かい液体が頬を流れ落ちるのも時間の問題かもしれないと観念したところで、襖が横に滑る音が耳元でした。うっすらと目を開ければ、黄色の平行四辺形の面積が徐々に広がっていくのがわかる。
「いつまでもメソメソしてんじゃねーよ」
さっきまでソファーに寝っ転がってテレビの画面から目を離そうとしなかった男が立っていた。数時間前まではとても懐かしかった声も今はむしろあまり聞きたくないものになっていた。緩みかけた涙腺を再び引き締めるまでに時間がかかる。
「ノックもなしに乙女の部屋に入って来るなんてデリカシーがないアル」
「残念でした。押入れは部屋とは言いません」
「銀ちゃんが貧乏だから私の住処が押入れしかないことに気がつけヨ」
売り言葉に買い言葉で言い返す。実際は押入れでも全く問題がない。身長は伸びたもののまだ頭と足が壁にぶつかるということもないし、狭いところの方が安心できた。
「神楽のために今日ご馳走奮発したのになー銀さん泣きそう」
「アラサーのくせに泣くなんて恥ずかしい男ネ」
「お前ちょっと片仮名言葉使えるからってかっこつけんなよ」
「じゃあ三十路」
「それも却下です」
「じゃあバカ」
「バカっていう方がバカ」
くだらない無限に続いてしまいそうな言い合いに自分の張りつめていた気持ちが少しずつ緩んでいくのがわかった。銀ちゃんは不思議だ。魔法使いみたいに自分の感情を落ちつかせて和らげてくれる。ずっと反対側にむけていた顔を枕に押しつけて思わずこぼれそうになった笑みを隠そうとした時に自分達二人ではない低い声がした。飛び上がりそうになる。
「めりーくりすます」
枕に顔を押しつけたまま黙っていた。昨日洗濯したばかりなのか優しい洗剤の香りがする。鼻が押しつぶされているせいで上手く呼吸ができずだんだん苦しくなってくるが意地でも顔をあげたくなかった。瞼をずっと閉じておきたかった。帰ってこなければよかった。一年ぶりに聞く声にこんなにも気持ちを揺り動かされてしまう自分が情けなくて女々しくて嫌だった。
「今更なにアルか」
「ですよね」
低いけれど乱暴じゃないどこか柔らかいトーンの声で申し訳なさそうに男は呟いた。枕に押しつけていた顔を少しだけ浮かせると、相手に聞こえるように神楽はわざと深い溜息を吐きだした。
「ごめん」
「言葉が足りなさすぎて意味がわからないアル」
「可愛い恋人に一年も会えなくて」
「棒読み上等」
暫くの間お互いに何も言わなかった。その沈黙をどうにかしようとも思わなかったが、とりあえず閉じていた瞼を持ちあげてみる。いつの間にか銀ちゃんは姿を消していた。自分の目の前にいたのは、一年前から関係が変わっていなければ「恋人」にあたる男だった。相変わらず美味しそうな蜂蜜色の髪が部屋の明かりに照らされている。
「次いつ江戸出るの」
「明後日」
「早ェな」
「うん」
会話を続かせようとする意志がお互いにあるのかないのか分からない。神楽は黙りこくったまま再び枕に顔を突っ込もうとする。しかしそれは沖田によって阻まれた。顔を枕に埋めなくても視界が真っ黒に染まる。懐かしい香りが嫌でも自分の体内に忍び込んできた。
「ごめん」
「うん」
「今日はずっと一緒にいる」
「今日はあとニ時間しかないアル」
「じゃあ明日も」
溢れ出したのが涙だけじゃなくてよかった。誤魔化すことのできない感情が蓋が外れた瞬間に次々と流れだす。そして柔らかいのは彼の髪だけじゃなかった。乾いていてすっかり冷たくなっていたけれど相変わらず唇も柔らかくて気持ちよかった。背中と首の後ろに手が痛いくらいに巻きついてくる。女をこんな力で抱きしめるなんて信じられない。馬鹿。サディスト。そう呟いたら耳たぶを齧られた。
覗いた噛んだ甘苦い。