※沖神祭提出作品
※タイトルは『約30の嘘』様より
※3Z
窓枠に納まりきらなかった風景の一部を切り取って…分かり難い文学的表現。ただ単に視界に入らなかった、それだけのことじゃないのか。発音は似ているくせに意味が全く違う単語のオンパレードである古典も嫌だが、まどろっこしい表現を多発する現代文もあまり好きじゃない。たとえ教壇に背筋を伸ばさないで立ち、口に細くて白い先から煙の出る棒を咥えている男に一時期憧れていたという淡い時期があったとしても。尤も、勉学全般において好きな科目は何一つないが。
鉛筆や消しゴムのカスや折れたシャーペンの短い芯が何処にも挟まっておらず、ページの折り目も全くついていない美しい教科書をぱたりと閉じた神楽はそのまま視線を自分のスカートのプリーツ部分に移した。入学当初に比べて随分と短くなった丈をじっと見つめる。
それはもはや太股の半分あたりまでしか肌を覆っていなかった。教室の開け放たれた窓からカーテンを揺らして侵入してくる風に靡く自分の髪の色もちらりと視界の端に映る。勉強の方はとっくに諦めていたが、どうやら以前の自分にとっては勉強よりもくだらないと見下していた部分には力が入り始めているようだった。そんな自分に苦笑するしかない。唇が擦れる。かさかさしていた。
「姐御―。おすすめのリップクリーム教えて欲しいアル」
「あら。どうしたの急に?」
教科書を一通り棒読みし終えた担任が後は各自で自習するようにと言い残して教室を去るなり神楽は席を立って友人である妙のところまで移動した。妙にとっては藪から棒の質問だったらしく、暫しきょとんとした表情で神楽の言葉を頭の中で反芻する。クラスメイトでありストーカーであり大型動物でもあるゴリラを対処する時の顔つきとは全く異なっていて、それは魅力的であどけなかった。
「ステッィクタイプとチューブタイプだったらどっちがいいと思うアルか」
「私はチューブ派よ」
そう言いながら妙は机の横にかけられていた自分の鞄から半円型の可愛らしい薄紫色をしたポーチを取り出す。さらにその中からリップクリームと思われるチューブが姿を現した。なるほど、姐御はこれを使っているからいつもゴリラがキス顔をして迫ってくるのかもしれない。これならふっくら、ぷくりの魅惑の唇になれるのかもしれない。ゴリラは御免だけども。
「げ。チャイナの奴がまた色気づいてる。気色悪ィ」
「うるさいアル。お前には微塵も関係ないネ」
どこの化粧品会社なのか、その名称を調べようとリップクリームを持ちあげてまじまじと見つめようとするなり自分を罵る言葉が聞こえてきたので素早く反応した。顔を上げなくとも声の主は言うまでもない。視界の上の方にちらつく蜂蜜色に心が上ずる一方で面倒臭いことになりそうだという憂鬱の気持ちも拭えなかった。
「大アリなんだよ。日本の伝統的制度の名前順って奴のせいでお前と二人で日直をするはめになった俺は必然的にお前と顔を合わせなきゃならない=お前のニヤついた不快極まりない表情を「だー!もうやかましいアル!黙るヨロシ!ついでに死ネ」
「お前が死ね。ついでに土方も消えろ」
「沖田消えろ。できるだけ長い失踪でよろしく」
「失踪してそのまま逮捕されろ土方」
妙に絡んでくる厄介な男を黙らせるために言い返したつもりが、王道の展開でそのまま風紀委員の恒例の口喧嘩へと発展していった。もうこれは収拾がつかない。妙にしか気がつかれないよう細くて長い溜息を一人そろそろと吐いた。
「沖田さんも悔しいのよ」
「何がアルか」
「どんどん神楽ちゃんが女の子になっちゃって。男の子ってまだまだ子供の時期が続くもの。置いて行かれた気分なんじゃないかしら」
40個の蜜柑が入っていた段ボール箱にぽつりと一匹置いて捨てられた子犬のイメージが瞼に浮かぶ。ゴリラといい、死んだ魚といい、犬といい、全くこのクラスはまるで動物園だ。その上、教室は常に爆弾が落ちたような喧騒に包まれている。もう動物園の何ものでもない。それ以上でもそれ以下でもない。そんな檻の中で一人似非乙女になりきろうとするのは相当無茶なことなのかもしれないなと神楽は頬杖をつきながら考えた。
下地を塗らなくともすべすべである唯一自慢の肌に爪が食い込んだ。伸びきった白い硬い元は皮膚だったもので、それは自分の最近の意気込みの行く末をまるで暗示しているかのようだった。こんな中途半端な思いを弾くことができないのなら、いっそのこと切り離してしまえばいい。マニキュアで華やかに飾りつけてしまうのもいいかもしれないなんて甘かった。
「姐御―。爪磨き持ってたら貸して欲しいアル」
「俺が研いでやってもいいけど。刀で」
にやりと奴が笑った。
やっぱり思いっきり弾いてやろうか。
爪先で弾け