※3Zもどき沖神
一人暮らし同士の節約同盟により、同じ南瓜の煮つけを箸でつつき合うことがある。同じ部屋で寝て、ベッドから奴を蹴り落とすことがある。赤点をとった次の日には、一緒にノートを広げて結局そのまま白紙で終わらせることもある。他の誰よりも近くにいて、それでいて遠くにいる時もある。共に過ごす時間が長ければ長いほど、共に過ごしていない時の素顔を気にしてしまう。
自分達は一体何がしたいんだろう。このまま永遠に一歩を踏み出せないまま、いつか大人になって少しずつ離れて、そして思い出を忘れていく。互いの結婚式の二次会でそういえばこんなこともあったねと笑い合うか、妙に余所余所しく会釈をするか。それとも地元の駅前でばったりと再会を果たしてドラマチックな恋を始めるか。どれでもあり得る未来で、どれでもアリな未来だ。でも当たり前だが今はどの未来を選ぶことになるのか全く分からない。
それが堪らなく不安だった。曖昧であるのが嫌だった。
ページを捲る指先が少しずつ乾いてくる。視界に飛び込んでくるのは、美少年の猫目と己の魅力に気が付いていない少女の曇りない瞳だった。やがてその二つは距離を縮めていく。白黒の世界で繰り広げられていくロマンスを真剣に読んでいる自分は、後になって冷静に考えてみると何て馬鹿馬鹿しいのだろうと思う。けれど、やめられないのも事実だった。
「ありえねー」
「何が」
6畳間の空間にいたのは自分だけではなかったということを忘れていた。それは相手が気配を殺していたからというわけでもなく、ただ単に手元にある束ねられた紙の世界に自分が夢中だったからだ。しかしそれを認めるのも何となく悔しい気がして、代わりに大きな溜息を吐くことしかできない。
「漫画?しかも少女?何らしくないモン読んでるんでさァ」
これを読んでいるなんて知られたら馬鹿にされる。それは地球が月より大きいことくらい明らかなことだと分かっていた。だから見られないような角度で持っていたはずなのに、奴が急に体勢を変えたものだからばっちりと私の手におさまっているモノを見られた。苦しすぎる言い訳も藁の代わりにくらいはなるだろう。半ば溺れかけている状態の神楽はぼそりと呟く。
「うるさいネ。教養を身につけることは大事アル」
「じゃあ俺にも読ませろ」
「嫌だ」
冗談じゃない。コイツとの関係を模索中のために少女漫画を読んでいたなんて勘付かれたりしたらどうなることか。くだらないことに無駄に鋭さを発揮する奴はあなどれない。ベッドの端に向かって分厚いそれを放り投げると、僅かにバウンドしてフローリングの床を目指し始めた。先客だった瓶底眼鏡と数回しかまだ開かれたことのない古典の教科書の上にどさりと落ちるのを目の端で見届けた。
「あっ、そうだ。ケーキでも食べるか」
信じられないような沖田の提案に暫く神楽は思考を停止せざるえなかった。ベッドの下で小山が幾つも出来上がっているのをぼんやりと見つめたまま、口をぽかんと開いたままだった。そんな神楽の様子に気が付いたらしい沖田は呆れたように言う。
「何アホ面晒してるんでィ。こっちにまで馬鹿がうつりまさァ」
柔らかそうなブランケットの上で放心状態を保ったままの神楽の手首を掴み、そのまま引っ張ってずるずるとキッチンにまで連行する。床がフローリングであったのと神楽のセーラー服のスカートの相乗効果で動きは非常に滑らかなものだった。神楽のスカートが埃まみれになろうが沖田には知ったことではない。
「姉上が買ってきてくれたやつ。モンブランと桃のタルトがあるけど俺はタルト食いたいからチャイナはモンブランな」
人の家の冷蔵庫を勝手に開けるなり奥の方から白い長方形の箱を取り出した沖田は神楽に小皿を出すように言った。決定権を与えられなかったことに文句を言わなければというところまで頭が回らなかった神楽は命令通り、食器戸棚から小皿とフォークを二人分出す。あの漫画のせいなのか、それとも梅雨独特の空気のせいなのか、原因は分からないが神楽の頭は空っぽにされていた。
「何か元気なくね?」
「お前の不気味すぎる行動がそうさせてんだヨ」
「不気味すぎる行動って何でさァ」
「ケーキくれるところとか」
神楽はふっと視線をキッチンの宙に泳がせた。ケーキの箱を抱えているはずの沖田の姿はそこにはない。気がつけば自分の目の前にいた。本当はとても驚いたが声を上げるよりも先に蒼い目を思いっきり見開いた。
「今日のチャイナ、変」
「へんなのは…お前アル」
自分の鼻の先に沖田の鼻がある。そのことがたまらなく恥ずかしいと思う自分は沖田の言う通り絶対におかしい。この胸に込み上げる何かの正体が知りたいと思った。どんどん胸に溶け込んでいく甘ったるい何かはモンブランでも桃のタルトでもない。焦点を何処に合わせればいいのかも分からないまま、神楽は瞳をとろんとさせた。
「襲ってほしいのか誘ってほしいのかどっちでさァ」
「どっちも一緒ネ」
要冷蔵という黒い文字が白い箱に刻まれているというのに、小皿にケーキ二つを出しっぱなしにしたまま二人の間には暫く沈黙が続いた。やがて何もかも考えることさえ面倒くさくなった神楽は瞼をゆっくりと閉じた。それは全てを放棄したというサインでもあり、奴の言葉に対する肯定の返事の代わりでもあった。
神楽を自分の方に抱き寄せた沖田は当たり前のようにキスをする。唇が自分がこのまま溶けてしまえばいいのに。神楽は瞼の力を抜きながら身体を沖田に預ける。手をまわされた腰までもがとろとろに溶けてしまいそうだった。
今こんなにも心臓を破裂させてしまいそうな自分に未来なんて気にしていられる余裕などない。喧嘩友達でも恋人同士でも曖昧な関係だろうと何だっていい。合わさった唇の生温かい体温だけが確かだったらそれだけで充分じゃないか。沖田の強い腕の力による自分の腰を締め付けるような圧迫感が確かなのであればそれだけで満たされる気がした。
溶けて、モンブラン