※大学生パロ
ショーウィンドウにうっすらと映る疲れ切った自分の姿をこれ以上見ていたくなかったので、隣りを歩く友人との位置をさりげなく変えた。解けかかったトレンチコートのリボンを結び直そうとすると、寂しそうにしている自分の薬指が目に入った。可愛らしいダイヤがきらりと光るものや、丸い小さなパール、小粒のハートがモチーフのものまで、目が回るくらいの種類の指輪達がガラスケースの中で待っているのは、少なくとも自分ではないことだけは確かだ。自分のすぐ横を歩いているような友人或いは彼女の恋人に買ってもらうために、大人しく飾られている。
「今日の合コンやっぱりつまらなかったかしら?」
遠慮がちに尋ねてくる友人に申し訳ない気持ちで一杯になる。無駄に高まる周囲のテンションに置いていかれたことが嫌だったわけではないが、確かにとても退屈だった。けれど、神楽は首をゆるゆると横に振った。そんな神楽の表情が意味するものを読み取った妙は一瞬黙った後、肩を落として深く長い溜息を吐き出した。
「私に嘘ついてもお見通しよ。もう誘わないから安心して。ただ神楽ちゃん男の子受けがいいから一回くらいどうかしらと思ったの」
「姐御はちゃんと恋人いるのに合コンなんか行ってもいいアルか」
「自分の方が外見的に勝っていると判断した女しか連れて行かない」という彼女が合コンにおいて貫き通している主義のことは極力思い出さないようにして、力なく答えた。神楽の言う通り、妙の薬指にはまるで結婚指輪のようにシンプルなシルバーリングが光沢を放っていた。
「人生は出会いが全てよ。これからもっと素敵な出会いがあるかもしれないじゃない。可能性がある限り出会いを求め続けなきゃ」
「姐御の彼氏サンが気の毒アル」
「別に浮気はしてないから問題ないじゃない。そもそも私のバイトを黙認するくらいの男なんだから合コンくらい大丈夫よ」
妙の言葉に神楽は納得をせざる得なかった。なぜなら妙の恋人はキャバクラで働いていると彼女が思い切って告白した時も顔色一つ変えなかったらしい。それくらい器の大きい男性なら、恋人が合コンに参加したことを咎めることもしないだろう。何て素晴らしい恋人なんだろう。やっぱり彼氏は優しくて紳士的で器が大きくて年上の方がいい…と妄想が広がる前に神楽はぷつりと思考を断ち切った。これ以上は自分が惨めになるだけのような気がした。
人の流れが交差する駅の改札前で妙と神楽は別れた。黒いスーツに紛れて消えていく妙の姿が完全に見えなくなるまで神楽はその場を動けずにいた。頭のどこかで、彼女のことが羨ましいと思っていたのかもしれない。あまりにも馬鹿げた感情だと自分に言い聞かせることもできず、すかすかした薬指と中指の間を誤魔化すように二本の指を擦りつけてホームへと向かった。
***
「『神楽ちゃんは彼氏いないの?』って聞かれる程ウザいものはないアル。空気読め。むしろ嫁入りさせてくれヨ」
「何わけわかんねーこと言ってるんでさァ」
春という新学期故に、食堂に溢れかえる学生達の数も半端なかった。賑やかな声が飛び交う中、四人掛けのテーブルを親友…どちらかと言えば悪友の女と二人で占領してカツカレーを貪った。周りの冷ややかな視線は気にしない。ゴールデンウィークの連休さえ過ぎれば、その数も激減する。五月病になることは間違いないけれど、早く五月になればいいのに。そんなことを思っていると、箸からラーメンの麺が滑り落ちて汁が飛び散りそうになったので慌てて丼に戻した。
「だーかーらーもう恋人とか彼氏とかじゃなくて早く結婚したいって言ってるアル」
「結婚?何馬鹿なこと言ってるでさァ。そんなの退屈すぎて死にやすぜ。恋愛は質より数だから」
「それはお前のモットーに過ぎないネ。私は違うアル。最高の恋が一回できればそれで十分幸せアル」
残ったカレーのルーとご飯が上手い具合に半々になったため、神楽は気分が良くなった。普段は滅多に明かさない恋愛の理想論について喧騒に包まれた食堂に真ん中で語る神楽を沖田は少々不思議そうな表情を浮かべて見つめていた。自分の記憶が正しければ、彼女は恋愛経験が皆無のはずである。寄って来る男は多いというのに尽く断っているらしい。何て贅沢な。これこそ馬の耳に念仏というやつだ。
「試しに付き合ってみるとか。案外ソイツが運命の奴かもしれないし」
「だからそういうチャラついた恋愛には興味ないって言ってんダロ。お前ちゃんと人の話聞いてるアルか」
「聞いてる聞いてる」
「もういいアル。こんな話、お前みたいな馬鹿にしたのは間違いだったネ」
「馬鹿って言う方が二億五千倍馬鹿」
神楽の皿から大盛りだったはずのルーと真っ白いご飯は後形もなく姿を消していた。沖田は自分の手元にある丼に視線を移す。豚骨ラーメンの麺は完全に伸びきっていて、脂肪の塊のような油がぷかぷかと汁の表面に浮かんでいた。やはり前言撤回。彼女のような女に寄って行く男の方が馬鹿だ。こんな大食いで口の悪い、外見と体力だけが取り柄のような女に騙されるなんて哀れすぎる。
「お前は今彼女いるアルか?」
「へっ?今…はいないけど」
「珍しいネ。いつもは別れても一時間後には新しい女ができるのに。もしや今はそのレアな一時間アルか?」
神楽からの不意打ちの質問に、嘘を吐こうという考えも浮かばず沖田は正直に答えた。確かに今自分には恋人がいない。そしてこれはとても珍しい事態だった。デート中の素っ気無い態度が耐えられない、具体的な例を挙げれば、ジュエリーショップに行っても自分が店員の女性ばかり見ているという彼女の一方的な思い込みにより別れを告げられてから急に恋愛というものが面倒臭くなってきたのだ。指輪を挙げればそれで満足するという単純な生き物ではない女の相手をするには体力と頭脳を使わなければならない、ということに最近気が付いた。
「まァな。一時間後には新しい彼女とデートだから」
「あっそ」
聞いてきたくせに全く興味ない様子で適当な返事をされたことに腹を立てるわけでもなかった沖田は心の中で頭を抱えていた。先程は「恋愛は質より量」という調子の良いことを言ったものの、最近の自分はまさに神楽のような思考に切り替わってきているのだ。あの場で同意してもよかったはずなのに、どうしてできなかったのだろう。伸びきった麺に加えて、冷え切った汁を無理に喉に流し込んだ。いまいち消化できない疑問を残したまま、胃の中に入った食物だけは上手く消化できることを願いつつ沖田はトレーを持って立ちあがった。
「お前、この後授業は?」
「なーんもないアル!羨ましいアルか?」
にやにやと意地悪い笑みを浮かべながら、緑色のトレーを軽々しく片手で持って答える神楽に沖田は一瞬思考を停止させた。多分…そんなことになるわけは…ないはず。こめかみに嫌な汗、ちょうど自分の残した汁と同じくらいの冷たさの汗が頬に向かって一筋だけ流れ落ちる。頭を過る不安とは裏腹に口は勝手に開いていた。
「俺も休講で授業ないから、どっか行くかィ?」
「あれ?彼女とのデートはないアルか?」
「何かドタキャンされた」
ポケットの中から取り出した携帯を開き、新着メールもないがボタンを押して操作しているように見せかけた。神楽はきょとんと自慢の蒼い瞳を丸くさせた後、元気よく頷くと沖田の手を引っ張るように歩き出した。握られた手首に鈍い痛みを感じながらも、賑やかだった食堂の外が日光と静寂に包まれていたので何となく心が休まった。
「当然お前の奢りアル」
「まじでか」
片手は沖田の手首を掴んだまま、神楽はもう片方の掌を太陽の光に重なるようにして翳す。相変わらず寂しそうにして中指に寄り添う薬指に、そう遠くない未来で憧れの指輪をはめてくれる人物がすぐ隣りにいたとは夢にも思わない。
シルクハット恋愛論