※3Z
※微々裏?
灰色の卓上に散らかる書類達に積み重ねるようにして開かれたノートと教科書が一冊ずつ。それに加えて白いアンティークの小皿に数枚のクッキーとチョコレート菓子がのっかっていた。それらを全て胃の中に納めたいという衝動と必死に戦う少女と、それを横目でじっと見つめる少年。二人が心の中で考えていることはまるで違った。
ノートの見開かれたページの真ん中にはシャーペンが転がっているが消しゴムは見当たらない。壁に掛けられて少し傾きかけている時計の短針は5、長針は6と7の間を指していた。この埃っぽい狭い部屋で、男女が行っていたのは少なくとも数分前までは『勉強会』のはずだった。
「ねェ、ちゃんと勉強してるアルか?」
パイプ椅子に座った男の膝に乗せられた神楽が、沖田の頬を軽く抓りながら尋ねる。考えてみれば、目の前の男が真面目な顔をして教科書とノートを広げる姿なんて今まで一度も見たことが無かった。領がよいという長所を持つ彼は、高校入学から今に至るまで授業を殆どサボるといった暴挙を仕出かしているのにもかかわらず、中の上の成績を維持していた。それが何とも憎たらしい。
「してるじゃん。現在進行形で」
抓られた自身の頬を軽く労るように左手で撫でてから、そのまま神楽の細い腰にさりげなく手を回し、満面の笑みを浮かべて男は答えた。狭い密室に二人きりという絶好の機会を逃したくないらしい。未だ彼女に一方的な想いを寄せている身としては、そろそろ関係を昇格したかった。
そんな思春期真っ盛りの男が考えている事など神楽は知りもしない。沖田の右手には先程まで放置されていたシャーペンが握られてはいるものの、ノートに刻まれている筆跡は3行にも満たず、とてもじゃないが勉強していると言える状態ではないことに呆れていた。
「してないダロ。10分しか」
「上出来でさァ。俺にとっては」
ブラウスの中に侵入してきた沖田の右手を払いのけ、男の温かい舌が自分の首筋に這い出す感触に溜息を吐きながら神楽は言った。こんなふうに触られるのは嫌いではないが、今はそんな気分じゃない。
「私と同じ大学に行きたいって言ってたのは何処の愚民だったアルか」
「俺の心配するより自分の心配した方がいいんじゃねェの」
そう冷たく言い放った女を自分と向き合うような体勢で膝に乗せている男が、低いトーンの声で何処か面白がっているように呟く。危機感は全く感じられず、自分と同じ大学に進学したいという男の意志がこんなにも弱かったのかとほんの僅かだが心がちくりと痛んだ。
無意識のうちに染みだそうとする想いを、これまた無意識に打ち消そうとした神楽のとった行動は、沖田の机の上に開かれたノートの白い紙の端をちまちまと折るというものだった。
「言っとくけど…私みたいなごっさ美人なイイ女には寄ってくる男が腐る程いるアル。卒業してお前と顔合わせなくなったら、もはやオマエはクラスメイト以下、恋愛対象外人物、アウトオブ眼中の男になるネ」
「まじでか」
そうおどけつつも沖田の余裕綽々だった先程までの態度には変化が見られた。先程とは打って変わって焦ったようにシャーペンを握り直し、折り目の全くない教科書に没頭し始めた。初めからそうすれば話は早かったのに。その様子をくすりと笑いながら見ていた神楽は沖田の膝から静かに離れ、隣にあった部屋の主の回転椅子に座る。
***
15分以上が経過し、部屋の中には時計の針が時を刻む音と紙と芯が触れ合う音のみが流れていた。信じられないような奇跡が起きているというのに、必死に勉学に励む沖田の横で神楽は机に突っ伏して転寝を始めた。鼾は聞こえないものの、寝息が今にも聞こえてきそうである。女性らしさの欠片もみられない。神楽に惚れている自分にとっては彼女は「イイ女」であるかもしれないが、世間一般的に称される「イイ女」になる日が来るとは到底思えなかった。
でもいつか神楽の周りに寄る悪い虫を駆除するのに手を焼く日が来ることは間違いないだろう。そんなことを考えながら、彼女の寝顔を盗み見る。しっかりと閉じられた彼女の瞼に、上向きにカールする長い睫毛が灰色の影を落としていた。そろりと手を伸ばし、冬の低い夕日に染まりいっそう鮮やかになった橙色の髪をどかして額を露わにさせる。自分達のいる空間だけに時が流れることを許されたような感覚だった。
ガラリ。いとも簡単にその静寂を破ったのは毎回地獄のような議論が交わされる職員会議から生還した部屋の主だった。部屋の中に居座っている先客を発見するなり、途端に顔を歪ませる。
「オーイ。ココ俺の部屋なんですけど。男と女の如何わしい行為を行う場所じゃないんですけど。ラブホじゃな「うっせーヨ、天パ。どう見ても健全だろーが。男は勉強、女は睡眠。何処が如何わしいアルか」
「はいはい、銀さんが悪うございました」
いつの間に起きたのだろうか。心地よい睡眠を邪魔されたことに腹を立てたらしい神楽は、凄みのある口調で部屋の主を責め立てた。伸びたい放題の銀髪に手をやりながら、部屋の主は女から回転椅子を奪って座ると机の前で密着している男と女の方を見る。
「それにしても君達仲良くなったね」
「仲良くないアル」
「おかげさまで」
声を揃えて返事をする男と女に、部屋の主は呆れた表情をする。口には煙草を咥え、先端から細い煙を出した。煙草を口から離し呟く。水滴の痕がこびり付いたままの窓の外に小さな白い粒が上から下へとゆっくりと落ちていくのが、ふと目に入った。
「まさか君達がくっつくとはねェ」
「だからくっついてないって言ってんダロ天パ」
煙草を咥え天井を仰いでいた男は、ふと机の上に視線を移すと授業後から置いておいた小皿と菓子達が目に入る。
そっとクッキーを指で摘まみ、そのまま口の中へと放り込んだ。鼻を掠めた甘いバニラの香と煙草特有の苦い味が口内で程よく混ざっていく。同じ白でも相反する二つ。それはまるで自分の目の前にいる男と女そのもののようだった。
手のひらで火傷する金魚たち
無意識両想いなバカップル。