過去
《幼少期》
妹との喧嘩で私を怒る母親が怖かった。
父親は優しかったが、ギャンブルだけは幼いながらも好きになれなかった。
《小・中学生時代》
父親が仕事を勝手に辞め、ギャンブル漬けになり家庭が不穏になり始める。
幸い虐待は受けなかったが、生活苦のあまり、車での寝泊まりも経験。
小学4年の時に借金で両親が離婚し、母親と妹の3人家族になる。
父親とは最初は会っていたが、会うことを親戚が許してくれず、いつしか親戚も父親も嫌いになる。
家では泣かず、授業中に突然泣いたり、男子相手に喧嘩したりと荒れてた。
男子に向かって机を投げたこともある。
中学に入れば落ち着き、クラスの中心ではないが、割と明るい方で友達の中心にはいた。
中学2年くらいの時に両性愛を自覚。
当時自傷をしていた友達がいたせいか、自傷に対して偏見がなかった。
幼少期は怖くて仕方がなかった母親も、離婚後必死に養う姿を見て、いつしか尊敬する人物に変わる。
《中学3年》
進路で悩んでいた時期に地元の夜間定時制高校の進学を決意する。
家庭の金銭事情を解っていた為、とにかく母親の負担になりたくなかったことをはっきりと覚えている。
しかし母親、当時の担任や学年主任、親戚の反対により、商業高校を受験、合格する。
反対の理由は、先生方からは学力があるから。
親戚にはお金の心配をするな。
この二つしか言われなかった。
母親からは、お金のことは一切聞かず、夜間だから危ない、心配だと、金銭面のことは一切聞かず本当に心配された。
《高校入学》
入学早々、辞めたいと本気で思う学校行事を経験する。
礼儀作法や、集団生活での大切さは学べたが、先輩や先生方が怖く、もう二度と経験したくない。
友達を作ることが出来ず、中学の友達と行動するも、孤立感が強くなる。
また、クラスに女子しかいなかった為、同年代の女子が恐怖対象になり、目を合わせたり、挨拶等の簡単な会話も出来なくなる。
そして後に陰口を言われていたということを知るが、本人は気にしていなかった。
5月頃、担任に辞めたいと伝えるも止められ、学校自体が嫌になり休みがちになる。
6月には、過呼吸を起こすようになり、救急車で搬送されたり、制服を見るだけで体調不良を起こす。
夏休み前には家からも出ることが出来なくなり、不登校・引きこもりになる。
当時、学校に行けないだけで親戚からの圧力が酷かった為、劣等感から家族と話せなくなり、拒食になり体重が20kg近く落ちる。
《高校時代(夏〜秋)》
何度か先生方と話をするも、学校へは行けなかった。
夏休み明けて、学校へ少しずつ通えるようになるが、高校最初の体育祭は、練習を何度か見ただけで当日は登校拒否をした。
それからは登校出来ても、保健室や別室登校で教室には行けなかった。
9月下旬頃(曖昧です)に、担任と地元の保健所であっているカウンセラーとの相談会に参加。
自分の意思を伝えたり、会話をしたあとに「不登校を経験しているのに、こんなに自分の意思をはっきり持っているのはすごい」と驚かれる。
多分、病んでる割に意志疎通が出来たからだと思う。
同日に担任から、「進級は難しい」と言われるも、今から頑張れば大丈夫だから、と矛盾した励ましを受けるが、登校しても授業は受けなかった。
《高校時代(冬〜中退)》
冬休みに入ると再び不安定になり、家族の前でリスカをしようとするという馬鹿をやり、家族を泣かせる。
同時に家族からの信頼を自覚し、初めて母親に自分の意思を伝える。
中退を決意したのもこの頃。
正月は毎年親戚が集まるが、誰にも会いたくなかった為、自宅付近をウロウロしていた(笑)
遠方の親戚が自宅に来て、怒られること覚悟で自分の意思をぶつける。
叔父は中退に反対したが、叔母は泣きながら抱き締め、「誰かが味方にならなきゃこの子はいつまでも独りのままじゃない」と言ってもらえ、初めて人前で号泣する。
中退を決意してからは、教室にも入り、少しずつ授業を受けるが、体調不良は続いた。
しかし、冬休み明けの検定は全く授業に出ていなかったにも関わらず、見事合格してしまう(笑)
部活でお世話になったが、先輩の卒業式は不参加。
終業式の日に担任から呼び出され、仲良くしていた友達やお世話になった先生方に挨拶をする。
中退後は、念願の定時制高校への受験準備をするが、親戚へ中退を報告すると家族一同腫れ物扱いをされるようになる。
他の親戚から聞いた話によると、「頭がおかしい」だの「馬鹿」だの言われていることを知るが、気にはしなかった。
だってうちの家族、その親戚嫌いだったし←
《高校時代(再入学・16歳)》
入学試験も無事に合格(とても簡単だった←)し、定時制高校へ入学。
入学早々、新入生代表挨拶を対面式でやらされる。
クラスは1クラスで、女子は多かったが年下ばっかりですぐに打ち解ける。
何故かクラスの副委員長を任される←
学校行事の遠足で、女子2名と意気投合。
一人は同い年、一人は年上だったが、大切な友人になり、常に3人で行動するも全員自由なせいか、まとまりがないという(笑)
実は先生方からも贔屓気味にされていた←
しかし体調を崩したり、精神的に不安定になることは治まらず、学校は何度も休んでいた。
ちなみに友人2名へメンタルや両性愛はカミングアウトするも、あぁ私もだから、なんていう軽い返事。
なんなんだお前らwww←
しかし病院へは行っておらず、まだ病気とは自覚していない。
《高校時代(病み期)》
1年後半から酷くなり、通院開始。(心療内科でした)
鬱病、不眠症と診断され、眠剤、安定剤を処方されるも、薬を飲むことが嫌で不規則に飲んでいた。
そのせいもあり、見事悪化←
自傷を始める。
担当医から、有名医のいる病院への紹介状を書いてもらい、現在通っている専門病院へ受診。
現在の担当医から、パニック障害が発展し、鬱病、不眠症を併発したのだろう、とのこと。
また、当時の状態は不安定ながらも意思ははっきりしていた為、社会不安障害と診断される。
また、家庭環境を友達に暴露、アダルトチルドレンだね、とはっきり言われる。
診断はされていないが、アダルトチルドレンであることは間違いないと思う。
《高校時代(卒業・19歳)》
通学・通院・バイトの日々を送る。
何度か大きな不安定の波はあったが、友達やバイトの先輩に会いたいが為に、何度も押さえ付けてバイトや通学をしていた。
しかし、バイトの先輩には病気のことを言えなかった。
通学や通勤は、人の視線が怖かった為、自転車を利用。
お陰で体力がつき、風邪等は引かなくなるが、精神力は弱いままだった(笑)
卒業する年は、自分にけじめをつけようと数年振りに黒髪に戻す。
ピアスは塞がなかったが←
卒業式は、泣きはしなくとも友達と抱き合って卒業を喜んだ。
バイトは、卒業前に辞め、別の仕事を探し、介護施設の職場に採用される。
《卒業後》
仕事をしながら通院。
職場の一部の人に病気や家庭事情をカミングアウト。
精神的には、卒業以降あまり安定していないが波はあった。
友人の死をきっかけに一旦自傷が治まるも、仕事の多忙が原因で酷く不安定になり再発。
自傷行為として性行為に走りつつある。
また夜職も兼業として勤務。
《現在》
5・6月頃から性行為に走り出してから、明らかにメンタルが崩れる。
夏には夜勤どころか日勤すらまともにこなせなくなってしまう。
明らかな状態悪化により、職場のリーダー、事務長、一部スタッフへ自身の今までの症状を伝える。
9月から夜勤抜きの日勤のみの勤務になるが、休みがちになり完全に仕事が出来ない状態になる。
自殺企図、自傷、パニック等の精神状態悪化により、10月10日より入院となり、2月24日退院。
現在は不定期に夜の仕事に入り、昼の仕事復帰に向けて療養していたが、やはり状態は安定せず退職し、自宅療養を行っていながら、不定期に夜の仕事をメインに働いている。