朝霞包む野山を見渡した。
懐かしい気持ちになるかと思っていたが、自分が見ていた景色とは大きく様変わりしており、そんな感情は湧いてこない。
変わりに乾いた笑いが洩れた。
酷く荒れ果てている。
何の種類か分からぬ草が、雪の重みに負けじと力一杯に持ち上げ、顔を覗かせる。
足の踏み場に迷う、多分そこにあっただろう畦道をゆっくりと進む。
背の低い草の上に乗る僅かな雪と露が、綱吉のズボンの裾を濡らした。
吐く息の白さを振り払い、足を止めた。
見る先にあの案山子を見つけた。最後に見たときと変わらぬ風貌で佇んでいる。
綱吉の心臓が小さく跳ねた。
気持ちが高揚して、早く駆け寄りたいのを抑えて、再び足を進める。
一歩一歩近づく。
すると段々と細かい点までよく見えてきた。麦わら帽子は色褪せていた。Tシャツは、霧でしっとり濡れている。
そして―、自分の描いた顔は変わることなくそのままにあった。
案山子の前にやってきた。
改めて見ると、酷い顔だ。
まるで絵心が無い。
綱吉は眉を下げて笑った。
「ただいま」
そう思いを込めて言う。
「五年ぶり?やっとこれたよ。お前は何にも変わらないな」
あの日、自分の背丈より若干高かった案山子が、今は見下ろす位置にある。
時の流れを感じざるを得なかった。
自分も周りもこんなに変わったのに、この案山子だけ、何も変わらずにここに居続けた。
感慨深く、案山子を見つめる。
すると、案山子の腕に、キラリと光るものが目に入った。
細いチェーンが藁のささくれに挟み込まれ、その先には錆びた懐中時計が静かに釣り下がっていた。
はて、誰のだろうか。
自分はリコーダーしか置いていかなかったのに。
そう思って、ふと足元を見た。
そこには白かったリコーダーが泥にまみれて転がっていた。
それを拾い上げる。
ぽたぽた、泥が滑り落ちた。
拾い上げたリコーダーがあった土の窪みに、まだ何か落ちていた。それも手に取る。
泥が落ちて白い表面が現れると、それとはまた別に、青い文字が現れた。
リコーダーを横に倒す。
“ありがとう”
少しよれた、しかし綺麗な字でそう書いてあった。
何がありがとうなのか。
誰が書いたのか。
綱吉は首を傾げる。
もう一方、それは赤い和柄模様の縮緬紙で出来た小さな袋だった。
神社で見掛ける御守りに似ていて、とても中身を開ける気にはならない。
こんな山奥に、一体だれが、なんの為に置いていったのだろう。
ほとんど人の通らないこの細道に、この場所に、何故。
「お前、何やったんだよ」
ちらり、案山子を見やる。
そっぽを向いて知らん顔だ。
それら全てを元の場所に返した。これらは、こいつのだ。
誰かがこいつにあげたものだ。
何か知らない間に、このアホ面した案山子が、誰かにお礼を言われることをしたのだ。
何も分からないが、綱吉は嬉しくなって、口角を上げた。
霧が上り、靄の隙間から朝日が射した。辺りがふわりと明るくなる。新緑の緑が、黄金色に照らされた。
「お前も、一人で頑張ってたんだな」
麦わら帽子に手を置く。
「また離れるけど、でも絶対会いに来るよ。その間はお互いが出来る事で頑張るんだ。そんで、いつかまたここに戻ってくるから。そしたら今度は一緒に、頑張ろうな」
手を話した。
掌はじとりと濡れていて、ズボンで拭う。
それからしばらく綱吉は無言で、案山子を見つめていたが、深呼吸一つすると、「じゃあな」と手を振り、踵を返した。
裾はもうぐっしょりと湿り、冷たかったが、そんな事は気にしなかった。
朝の日はいつしか高く昇り、靄を吹き飛ばしてさんさんと全てを照らしている。
次に来るとき、あいつに着せる新しいTシャツを持ってこなきゃな、と考えながら、草を蹴った。
完