―‥1912年 イギリス郊外
早朝、父親の咳で目が覚めた。
今回の父は歳をとってからというもの、持病の悪化で病弱になり、農作業もままならなくなっていた。
歳をとった、そうは言っても40代後半で、まだまだ働ける年齢。
そんな父を心配しながらも病気で気弱になった様を見て、弱くて情けないと、そう思ってしまう自分もいた。
薄情だとは思うのだが、泉の様に湧く感情に嘘は吐けない。
それでも畑で働く母と兄に代わり、父を助けてきたのは私だ。
何を言っても実父なのだから放っては置けない。
肺を病んだ父は大概早朝にこういった酷い咳を繰り返す。
医者では無いから大した対処も出来ないが、薬を与えて背中を擦りながら話しかけ、不安を軽減させてあげる。
父はそれが嬉しい様で、何回もお礼を言うのだ。そんな様子に私はいたたまれなくなる。人とはこうも変わるものなのか。
悪化前はかなり厳しく、手を上げるのも日常だったではないか。
それが今ではこの体たらくだ。
あの儚さはなんだ。
あの笑顔はなんだ。
あれが私の父だっただろうか。
今まで何人もの父親を見てきた。
父だけでは無い。母親も、たまにはキョウダイも。
愛情をくれた者もいれば、酷い虐待をしたり、捨てる者もいた。別にそれは再婚で得たものでは無い。
私には輪廻の能力がある。
生まれては死に、また生まれるというのは全員繰り返すものだ。だが私が決定的に違うのは、記憶を引き継ぐ所にある。
引き継ぐのだから、必然に前世と同じ人格になる。
同じ人格がただ「死ぬ」と「生まれる」を挟んでいるだけ。
それは不死と何ら変わりの無いものだろう。
そう言い切れるのは、それだけの理由ではなく、見た目がそれ程変化も無く、何にしても性別が変わらない事にある。
性別も性格も見た目も変わらず、変わるのは名前と環境だけ。
だから、まるで不死の様な感覚に陥る。…もしかしたらこれこそが不死なのかもしれない。死にはするが本当の意味で死ねていない気がする。
記憶がリセットされ、全てが変わり、生まれ変わってこそ、前世で「死んだ」事になるのではないだろうか。
だが実際問題どうでもいい。
死ねないのは厄介だが、自分にはどうする事も出来ない。
考えるだけ無駄だろう。
話はそれたが、その輪廻―、生まれ変わりで見てきた家族はいくつもあるということだ。
だから輪廻を繰り返す内に、家族に愛着を持てなくなり、早々に家を出て自立して好きにやってきていたのだ。
そして今回は、貧乏な家族の元で生まれた。
母親はおおらかで優しく、世話焼き。兄は父の性格を受け継いだらしく、頑固で短気だ。しかし私の面倒はよく見てくれていた。
父は先程言った通りに厳しい。
今でこそ気弱であるが。
母も兄も仕事に忙しく、私が父の面倒を見ているから、この家から離れられない状況になっていた。
だからといってこの家族が嫌いなわけで無かった。
全員が私に愛情をかけてくれているし、貧乏ながらに楽しい生活ではあったのだ。
自室の窓を開けると、外は朝もやに包まれていた。冷たい空気がふわりと入り、身震いをする。
クローゼットから服を取り出し、着替えて、私は足早に部屋を出た。
真っ直ぐ父の部屋へと向かう。さっきから聞こえていた咳は今も途切れる事は無い。
ノックもせずに、ドアを開けると、父はベッドの上で肩を揺らして苦しそうに喘いでいた。
窓が開けられていたから、それを直ぐに閉める。
「父さん、何回言えば分かるんです。冷たい風は体に善くないと言ったでしょう」
そう言いながらいつもの様にベッド横の引き出しを開け、薬を取り出す。抗炎症薬、解熱剤…等の、ここ1年で数の増えた薬をオブラートに包む。
水差しからコップに水を入れ、父に差し出した。
「すまないローラ。月を見ていたんだ」
掠れた声で父はそれらを受け取る。くすんだブロンドの無造作な寝癖のついた短髪を手ぐしで整えてやれば、彼の垂れた目が優しく微笑んだ。
「父さんしっかりして下さい。
通院の日に悪化なんかして病院に行けずに薬が貰えなくて困るのは父さんですよ」
父はまた、すまないと謝った。
父に身仕度を促し、私は1人部屋を出る。溜め息が出る。不憫でたまらなかった。哀れみ、同情と同時に感じたこれは加護欲であるのだろうか。
一階へと下りれば兄がダイニングで新聞を読んでいた。
明るいブロンドは先程見た父の様に寝癖がついている。
「今日は早いんですね」
「目が覚めちまってな。ローラも早いな…って今日は通院か」
新聞から顔を上げて、緑色の目が私を捉えた。私はミルクを鍋に空け、火にかけながら頷く。
「ここ最近は霧が濃くて視界最悪だ。気を付けていけよ」
「兄さんも今日は市場へ行くんでしょう」
「悪天候が続いたろ。作物の出来が遅くてさ、市場へ行くのは延期だ」
「嫌な霧ですね」
「ああ、嫌な霧だ」
兄は20歳で若く頭が良かった。
しかし通っていた学校を卒業するやいなや、家業に専念せねばならなかった。大学へ行く金もない。とても勿体無い話だと思った。
そんな私も中等教育へ上がる前に中退して、家業と世話に追われる事になった。しかし私は、別段学校に行けないからといって学力に困る事にはならなかった。
輪廻とはこういう時に便利なものだ。
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