一人で適当に独白してもらった。
 2012.12.17 Mon 20:52




図書室から借りている本の返却日が明日だったなと思い出す。今まで名前も知らなかったような日本人作家の本だった。確か、ベッドの上に放り出してそのままになっていたはず――長い列を並び終え、ようやく屋根の下へ辿り着いた。黒地の制服に張り付き煌めく雨の滴を払い落とし、ふかふかの絨毯の上に泥水の跡を残して歩き出す。
来場者のほとんどが背の高い大人ばかりで、ちらほらと混じる同じ制服の生徒を見かけて安心する。普段なら絶対に来ることのない場所に俺はやってきた。
また、列。うんざりした。俺はただ、クラスメイトのあの子を見たいだけなのに。


見慣れた教室には、廊下側で固まる一際大きな女子のグループの声がいつも聞こえていた。その内容は他愛もない、放課後に遊びに行く場所についての議論だ。あの子も、ほんの一週間前まであの中にいた。背が高いわけでもなく、見た目が派手なわけでもなかったその女子は、周囲に埋もれることなく顔を上げればいつでも見つけることができた。目があったことなんか無い。向こうは俺に興味なんか無かっただろうし、名前を覚えていたかすら怪しい。それでも、見つけることができたのは、ひとえに俺の感情の問題だろう。

彼女が好きだった。それは間違いない。だが、たった二文字でもこの言葉は多くの誤解を生む。
恋愛感情なんかじゃない、そこまで深くはない。ただ、好きだった。クラスメイトの中でも抜きん出て責任感が強く、面倒見が良くて、何かと頼られることの多かったあの子に、強く憧れていたんだろう。俺なんかじゃ到底及ばない、高みに立ち自信に溢れた笑みを見上げることしかできなかったあの子に、羨望を抱くのは当然のことだ。きっと俺だけじゃない。クラスメイト全員があの子に憧れていた。

綾舘一依。頭の下の方で二つ結びにした長い黒髪と、強気な瞳が特徴的だったあの子の葬式に、俺は来ている。

顔を上げると、やっぱりあの子を見つけることができた。微笑んでいる。冷たい額縁の中でもあの子の笑顔は輝いていて、永遠に変わらない。視線を下すと白い棺が見えた。頭部に当たる部分の蓋は観音開きにされているが、中は当然見えなかった。親類と思しき夫婦が覗き込み、口をハンカチで押さえて泣いていた。
本当に、現実味が無い。だって、顔を上げればあの子は笑ってる。着物がよく似合っている。けれど、焼香には戸惑ってしまった。列の最前にきたのにあの子を見る余裕すらなく、ちらちらと隣を見ては必死に真似た。
(量、多かったかな)
そんなことを思っているうちに、遺影に背を向けてしまった。振り返るなんて女々しいことできないし。まあ、仕方ないかな。
あの子の顔も、声も、作法の整った仕草も、思い出せるのだから。今はそれでいい。

だけど、……。



入口近くで、あの女子グループが固まっているのが見えた。みんな泣いている。ハンカチに顔を埋めて崩れそうになる子、それを支えている子でさえ泣いている。
俺は、泣くことができなかった。しっとりと濡れたブレザーが重く圧し掛かる。



「うわっ!」

「……ッ」



子供とぶつかってしまった。その感触で我に返る。
床に膝をついた男の子に慌てて声をかけた。


「あ、あの……ごめん!」


俯いたまま微動だにしない男の子に、冷や汗が噴き出してくる。まさか、怪我したのか――?


「本当にごめんな。どこか痛むのか? 一緒に、絆創膏貰いに……立てる?」


顔を覗き込み、ぎょっとした。
疲労の濃く浮かんだ顔は、とても子供のものとは思えないくらい無表情だ。目は赤く、周囲は腫れていて、痛そうだった。

驚いている間に、男の子が制服の裾を掴んできた。
これは、絆創膏を貰いに行くという意思表現と取っていいんだろうか。俺には判断がつかなかったが、強まる奇異の視線から逃れるように事務所へ行った。

葬儀場に保健室のようなものがあるとも思えない。事情を話すと、受付の女性が消毒液と数種類の絆創膏をくれた。
棺の置かれた二階とは違い、一階の事務所付近は物静かだった。壁際の長椅子に座らせて傷の有無を調べる。……いや、冷静になれよ。こんなに分厚い絨毯の上なのに、怪我なんてするもんか。
手足を触られても、男の子はされるがままになっていた。体温はあるのに、ロボットを弄っているようで落ち着かない気分になる。


「いたい」

「えっ?」

「……」


何の音かわからなかった。数秒ほど真剣に考えて、ようやく目の前の男の子が喋ったのだと気づく。ロボットじゃなくてよかったと本気で安堵しつつ、俺の触っていた場所を見た。手の甲に赤く擦り切れた部分がある。少し前に負った傷らしく、乾いてきていたが、触ってしまったことで新しく血が滲んでいるようだった。


「あ、わ、悪ぃ! 今、絆創膏貼ってやるからな」


消毒液を吹きかけて、一番大きな絆創膏を貼った。消毒液が染みたときにほんの少し顔を顰めていて、なんだか可愛らしく思える。
受付の女性に消毒液と余った絆創膏を返し、なんとなく男の子の隣に腰を下ろした。びくんと大袈裟に肩を揺らし、素早く距離を取られる。えっ。俺、なにかしたっけ。重すぎる沈黙に耐えきれず、俺から話しかけてみた。


「あー、っと……お母さんやお父さんはどこにいるの? 一緒に来たんだろ?」

「……」

「お、お兄ちゃんやお姉ちゃんは? まさか、一人じゃないだろうし……今頃、心配してるだろうから、戻らないと――」

「いる」


男の子は虚ろな目を絨毯に向けたまま、もう一度「いる」と口を動かした。


「えっと……親?」

「お姉ちゃん」

「あ、そうなんだ。姉弟で来たんだな。んで、お前のお姉ちゃんってどこにいるの?」

「あそこ」


男の子は天井を指さした。茫然とした俺を横目に見て、男の子はため息をついた。こいつ、絶対俺のこと馬鹿にしただろ。だいたい行動が奇抜すぎて咄嗟に理解できないんだよ、もっと普通にできないのかと俺までため息をつきそうになったが堪えた。


「あそこってどこ?」


出来る限り優しく問いかけると、男の子は少し考えたあと「ひつぎ」と言った。棺。白い、あの子の眠る棺。棺のあったあの会場にいるんだと言いたいんだろう。もしかしたら、あの子の親族で、長い列に並んだ俺とは違い、席が割り当てられていたのかもしれない。


「よし。じゃあ、一緒に戻るか」

「……」

「おい……まだ、どっか痛むのか?」


腕を引いたが、男の子は動こうとしなかった。それどころか抵抗するように俺の腕を引っ張っている。
俯いて、無表情になり、それでも抑えきれない震えに男の子は体を強張らせていた。


「そっか、戻りたくないか。そりゃそうだよな。俺だって……怖いし」


嫌だ、とは言える訳もない。あまりに失礼だ。だったらこの気持ちを何と言えばいいのか。咄嗟に出てきたのは”怖い”という一言だった。


「こわ、い」


男の子が不思議そうに繰り返す。


「ああ、そうさ。俺は怖いよ。誰かが死ぬのは怖いし。……っていうか、昔から俺ってああいうの怖かったんだ。死とか、幽霊とか、そういうオカルトっつーか、非日常的なことっつーか……」


ずっとそうだった。心霊特集が増える夏は大嫌いだったし、墓参りですら行きたくないとこの歳で思っている。
男の子が、ゆっくりと顔を上げた。少し伸びた髪が流れて、疲れ切った無表情が露わになった。意外と精悍な良い顔立ちをしている。


「ぼく、も……こわい」


男の子はゆっくりと呟き、大粒の涙を溢し始めた。
おいおいマジかよ、と焦った俺の目は自動販売機を捉えた。そうだ、ジュースを買ってやろう。頭の中で財布の中身を確認しながら、男の子と目線の高さを合わせて膝を叩いた。


「喉、渇かないか? ほら。一緒にジュースでも飲もう」


男の子は何も答えなかったが、俺が腕を引くと大人しく後ろをついてきた。








(続きます……)


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