私たちには「見たくないものを見ない権利」があります
それは広告だって同じです
見たくない広告(より正確に言うのであれば「見たくない商品やサービスの広告」)を強制的に見せつけられることがあってはいけません
でも、この問題にも実はいろいろ意見があります
見ない権利が制限なしにまかり通ればWEBは今のように安価で提供できるものではなくなる、という意見もその一つです
広告を「見ない権利」があることを否定はしないけれど、時にはそれを差し控えてほしい
広告が表示されることが社会を支えていることもあるのだから
そのとおりです
広告料として企業が出してくれている資金が「手軽なWEB」を支えているのは否定できな事実だと思います
ですが、それは「見ない権利」を制限する正統な理由にはできないと思います
なぜなら広告の配信を担う会社には依頼主に対し「消費者に見たいと思わせる広告」を提供することが求められるからです
同時に広告の依頼者は消費者に「その商品やサービスについての情報が欲しい」と思わせる商品、サービスを作る力が必要とされます
そこを怠っておいて消費者に「それがなんであれ広告なのだから見る義務がある」と押し付けるのではあまりに一方的すぎます
もちろん、広告主だって配信会社だって一生懸命頑張っています
どんな広告が好まれるのか、
どんな広告なら商品やサービスに興味を持ってもらえるのか
そしてどんな広告なら積極的に表示してもらえるのか…
だからこそ、彼らも「まずは表示してほしい」と言うのです
だって、見てもらえなければどんな広告が好まれるのかさえ判断できませんからね
広告の配信を受ける側にも「どういう商品・サービスのどのような広告が見たいか」を配信側に伝える姿勢が、求められているということなのかもしれませんね