「…好きな人、いる?」
そう聞かれて「いるよ」って、どうして言ってしまったのか自分でも分からない。
寮に帰るモノレールの中で、私はずっとその事を考えていた。



好きな人の話になったのはつい先程の事だ。理緒と二人きりの部活動中、他の部員の子達が部活をサボって合コンに行ったと分かった時。
理緒に「好きな人いるの?」と聞かれて、私は気が付くと「いるよ」と言っていた。
……どうしてだろう。
好きな人がいるだなんて、意識して思った事が無いのに。今は転校してから二ヶ月経ってやっと学校生活に慣れ始めた頃だけど、シャドウの事で毎日が慌ただしく過ぎている。恋愛の事を考えている暇はあまり無かった。だから好きな人もいない。…そのはずだったのに。
私はどうしてあの時「好きな人がいる」と言ったんだろう。
もしかして、自覚していないだけで本当は好きな人がいるのだろうか。その気持ちが咄嗟に理緒の質問の答えに出てしまった…?



……それじゃあ私の好きな人は一体誰なのか。
モノレールから降りた私は、歩きながら異性の顔を思い浮かべてみた。
「…うーん……」
まず浮かんだのは最近よく一緒にいるクラスメイト、順平の顔だ。
順平は転校してきた私の事を気にかけてくれたり、出回っているらしい私の写真を撮った犯人を探してくれていたり、お調子者だけど優しいところもあって一緒にいると楽しい。
けど、それが恋かと聞かれると違う。順平の事は好きだけどそれは恋じゃない。何でも話せる仲のいい友達としての「好き」だ。
順平じゃないとすると……と考えて浮かんできたのは真田先輩の顔だ。最近は一緒にラーメンや牛丼を食べに行ったりしている。
「沢山食べて栄養つけろよ」と私の事を気にしてくれているし、真田先輩は戦闘の時も凄く強くて頼りにしている。
…けど、それも恋じゃない。一緒に寄り道したりするようになってから真田先輩の色々な部分が見れて(鈍かったり、ホットケーキが好きだったり…)嬉しいし、もっと色々な事が知りたい、もっと話せたらな、とは思う。「好き」は「好き」だけど、でもそれは恋愛としての「好き」ではない。
……じゃあ、一体誰?
別に好きな人なんていないけど、口が勝手に動いてしまっただけなんだろうか…。
うーん、と歩きながら考えていると、後ろから「おーい」と聞き慣れた声がした。
この声は……

「よっ、公子ッチ!」

とん、と肩を叩かれ、振り向くと順平がいつものように明るく笑った。
「順平。偶然だね」
「おー、この時間に帰りが一緒になるのも珍しいよな」
「そうだよね」
確かに順平は部活に入っていないからいつも帰りは早い。私の部活がある日は大体先に寮に帰っている。
「今日は寄り道してたの?」
並んで歩きながら聞いてみた。
「まぁそんなトコだな。…それよりお前、なんか考え事か?うんうん言ってたけど」
……あれ、声に出てたのか。ちょっと恥ずかしいな。見られたのが順平で良かった。
「うーん、まあね。順平は「仲がいいお友達」だなあって思って」
あはは、と笑いながら言うと「なんじゃそりゃ?」と不思議そうな顔をされた。
「そんなん今更だろー?んな事考えてたんか?」
順平は首を傾げながらそう言うと、前を見て「あ」と小さく呟いた。どうしたのかと私も前を見てみると、少し先の信号が点滅しているのが見える。
「あそこの信号長いんだよなー。今からじゃ走っても間に合わないか…」
「意外といけるかも!」
「ええっ!普通に無理だろ!」
順平の言う通り、走ろうとしたところで信号が変わってしまった。わりと本気で走ろうと思っていたけど……慌てて走るのも危ないか。
「ああ、赤になっちまった…」
信号の前で立ち止まり、順平がふと呟いた言葉にはっと気が付いた。
……あか…。…赤?
順平が発した「赤」という単語を頭の中で繰り返しながら、じーっと信号の赤を見つめる。
赤は…結構目立つ。だから注意すべきところは赤で示したりするし、授業中に大切な事をノートに書く時には赤ペンを使って目立たせる。
…赤い……コート。
頭の中にある人物がはっきりと浮かんだ。
初めて会ったのは病院。目が合った瞬間怖そうな人だなと思ったけど、真田先輩の事を「アキ」と呼んでいたからきっと二人は親しいんだろうなと分かった。それにしては何だか真田先輩に対して素っ気ないような気もしていたけど…と考えているとじっと見つめられて何か言いかけられて…。あの人は私に何を言おうとしていたのか、名前は何と言うのか。真田先輩からは「同じ学園の生徒」としか聞く事が出来なかったけど、気になっていたら今度は路地裏で会った。溜まり場にいた人達に頭突きをしていた姿を今でも鮮明に思い出せる。
その時に初めて名前を知った。
「荒垣真次郎」。溜まり場の人達はそう呼んでいて、順平は「先輩、つえーッス!」なんて言って目を輝かせていた。
「優しいんですね」というゆかりの言葉に「あ?」とこちらを睨んでいたけれど、人を寄せ付けないようにわざと怖く振る舞っているみたいに感じた。本当に悪い人だったらあそこで私達を助けてくれなかっただろうし、「助かりました」と言った私に「あんまフラフラ来んじゃねぇ」なんて、言わないと思う。
…赤いコート…。初めて会った時も路地裏で会った時もあの人は赤いコートを着ていた。
荒垣…先輩か……。
…………どうしてこんな時にあの人の顔が浮かぶんだろう。
…こ、これじゃまるで――
「……もしもーし、公子ッチー」
「…え?」
自分を呼ぶ声で我に返ると、目の前で順平の手がひらひらと動いている。一瞬見えた信号はもう青に変わっていた。
「ぼーっとしちまってどうした?もう信号変わったぜ?」
「……あ、うん…ごめん。行こっか」
頭の中に浮かんだ赤いコートの人物を忘れようと、ふるりと頭を振る。
前に進むと順平も歩き出したが、こちらを見て心配そうな顔をしていた。…そんなにぼーっとしてしまっていたのだろうか。
「…な、なんか……私変な顔してた?」
だんだん不安になってきたので聞いてみると、順平は「いや…」と小さく言ってから今度は不思議そうな顔をした。
「変な顔っつか……顔、めっちゃ赤くなってるけど…」
……!?
あ、赤い!?
「えっ…な、なんでだろ…!」
思わず自分の両頬に触れた。…凄く熱くなっている。鏡を見なくても「めっちゃ赤く」なっているんだろうな…とすぐに分かった。
……顔が、赤く…。
…赤……。
ぽわーん、とまたあの赤いコートの人物が頭に浮かんで、私はぶんぶんと頭を振った。
「おわっ、どうしたんだよ公子ッチ!どんどん赤くなってる!もしや熱か!?」
あたふたと慌てている順平の口から出た「赤」に反応して、消えかけていたのにまた頭の中に赤いコートの人物が浮かぶ。
「ち、違うの!体調は全然バッチリなんだけど……何て言うか…!」
な、何だろうこれ…!姿が思い浮かんだだけなのにこんなに顔が熱くなって、ドキドキして……。
順平の事を思い浮かべても真田先輩の事を思い浮かべてもこんな気持ちにはならなかった。なのにあの人が頭の中に浮かぶと…。
…もしかして、私の好きな人って……
「…お、おい、マジで大丈夫か?顔赤いだけじゃなくて、なんつーか…ソワソワしてるけど…」
「……!!」
も、もう駄目だ…!今「赤」という単語を聞いたら変になる!
「ご、ごめん!何ともない!何ともないんだけど……」
「…だけど?」
「いいい今はソレ聞きたくないの…!ごめん!」
「ソレ?? あ、オイ!公子ッチ!?」



人が聞いたら訳が分からないであろう言葉を発した私は、気が付くと寮に向かって走っていた。
順平もきっと意味が分からなかっただろう。走り去る前に顔を見たらぽかーん、としていたのが見えた。
いきなり走って行ってしまった私を、順平はどう思っただろう…。心配とか…かけてしまったかもしれない。
足の動きを止め、ゆっくり立ち止まり深呼吸をした。
……少し落ち着こう。
とりあえず順平に連絡をしようと思い、鞄の中から携帯を取り出す。
メールか電話か…。一瞬迷ったが電話にしようと決めて、アドレス帳を開いたところで「公子ッチー!」と順平の声がした。
「お前、いきなり走り出すなって!かけっこか!」
「順平…ごめんね。今落ち着いたから順平に電話しようと思ってたところで…。……わざわざ追いかけて来てくれたんだ」
「いきなり訳分かんねぇ事言って行っちまったらそりゃ追っかけるわ!……つーかほんとにお前、どうしたよ?」
冗談っぽく笑っていた順平は、すぐに心配そうな顔になってこちらを見てきた。
ああ、自分でも何がなんだか分からなくなってきた…。
「…ちょっとびっくりするような事があって……自分でもよく分かんないや」
「びっくり…? まあ、何か悩みがあったら言えよな。話聞くくらいなら出来ると思うからさ」
「うん、ありがとう」
…さっきのよく分からない気持ちは、きっと気のせいだよね……。
まだ少しドキドキするけど、…まさかそんなはず無い。きっと、信号の赤を見てあの赤いコートを思い出したのと同時に路地裏での事が浮かんでしまって、それでドキドキしてしまっただけだ。あの時あの人が助けてくれる前までは少し怖かったから。
今度お詫びにお菓子を作ってプレゼントするね、と順平と話しながら、私は未だに頭に浮かぶあの人の姿を忘れようとしていた。




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