「こんにちは。」
アーサーがいつものように自身の所有するこじんまりとした、けれど見事なまでに色とりどりの薔薇が咲き乱れている薔薇園の手入れをしていると、突然小さな男の子に声を掛けられました。
「…こんにちは。」
自分とは異なる金色の、風にふわふわと揺らぐ髪、深海を切り取ったような瞳をもった少年は、腐れ縁と言いたくもない「彼」に似ていました。
「…お前、誰?」
まだ10歳にも満たないくらいであろう少年は、それには答えず、にこりと笑って言いました。
「ねぇ、どうして泣いてるの?」
突然の問い掛けに、アーサーは戸惑いました。当然でしょう、いきなり「泣いているのか」なんて聞かれたなら。
だけど相手はまだ子供、笑顔でアーサーは答えました。
「何言ってんだ?泣いてなんかいないだろう。」
そう、それに。
「泣いてるのはお前じゃないのか?」
先程からずっと、少年の大きなまぁるい瞳からは、大粒の雫が溢れ出ているのです。
「違うよ、これはあなたの心が、泣いてるからだよ」
全くもって不思議なことを言う子だな、と、アーサーは思いました。
「だから、勝手に涙が出てくるんだ。これは、あなたの涙なんだ。」
「…は?俺の??」
アーサーはクス、と可笑しそうに笑います。
「面白いこと言うんだな。俺の心が、泣いてるって言うのか。」
コク、と少年はうなづき、また、雫が頬を伝います。
「残念だが、それはあり得ないな。」
「どうして?」
アーサーはふわりと、花が咲いたみたいに微笑みました。
「俺にはもう、涙なんてないからな。当の昔に。」
少年は、フッと辛そうに瞳を伏せます。
「嘘。」
「何が嘘、だ。…そりゃあ、昔からそうだったわけじゃないはずだが。」
とっくの昔に、涙なんて枯れたのだ、とアーサーは言います。
少年は、彼の硝子玉のような瞳を、じっと見つめました。
「…そっか、淋しいんだね。」
「淋しい?どういう意味だよ?」
アーサーは、笑顔のままです。
「淋しくて、哀しくて、辛くて、だけど、逃げることも出来なくて、心を殺したんでしょ?」
「…違う。」
「ううん、違わない。」
少年は、そっと彼の手を握り、未だに涙が伝い続ける顔で、優しく微笑みました。
「大丈夫。あなたは、独りじゃない。大丈夫だよ。」
アーサーの手を包む小さな手。
「僕が、いつも傍にいるから。」
子供特有の体温が、とても温かく感じられました。
「だから、悲しいときは、泣いてもいいんだよ。一人で全てを抱え込まなくて、いいんだよ。」
硝子玉のようだったアーサーの瞳に、ゆっくりと光が宿ります。
「…僕は、ずっと、あなたのこと、見守ってるからね。」
不意に、アーサーの瞳から一筋の雫が零れました。
それは、宝石のように綺麗な涙でした。
「……、本当か?」
「僕は、嘘なんて言わないよ。」
「……、裏切ったりしないか?」
「うん。」
アーサーは、なおも問い続けます。
「俺は、お前を、信じてもいいのか?」
「信じてよ、…もっと。」
手を繋いだまま、アーサーはぺたんとその場に座り込みました。
いつの間にか、少年の瞳からは涙は消えています。
「…もう、大丈夫だね。」
「え?」
少年は、彼の手を離し、
「ずっと、傍にいるからね。…僕のこと、忘れないでね?」
額に、柔らかなキスをひとつ。
アーサーが顔を上げてみると、そこにはもう、誰もいませんでした。
まるで、始めから誰もいなかったかのように。
翌日。
自室で刺繍に勤しんでいたアーサーは、チリンという玄関の呼び鈴にその手を止めました。
「……誰だ?」
時計を見ると午後3時、ちょうどティータイムの時間でした。
今日は何も予定なんてなかったはずと訝しみながらも、アーサーはガチャリと重そうなそのドアを開けました。
途端に視界一杯の赤い花束。
驚きに一歩下がれば、それは大きな薔薇の花束。
「………え?」
「ボンジュール、アーサー。」
そこにいたのはにこにこと笑みを浮かべるフランシス。
「な、ボンジュールじゃねえよ!大体アポもなしでいきなり来るなって何度も言っただろ!」
「はいはい、ごめんって。…で、これ受け取ってくれる?」
ずい、と差し出される花束、今までは花束なんて突っ返して、相手の鼻先でドアを閉めてやってたのだけれど。
「…ま、花束なんて本当はどうでもいいんだけどね、ただアーサーに会いたかっただけだから」
「……何言ってんだよ髭」
まったく、すぐそんなこと言う、お兄さん傷付いちゃうよ、とクスクス笑って、
「…言ったでしょ」
「だから何……―――」
「『ずっと傍にいる』って」
そう言って、彼はアーサーの額に小さなキスをひとつ落として、続けました。
「全く…お兄さんのこと、もうちょっと信じてくれてもいいんじゃない?」
ね、可愛い可愛い俺のアーティー?
あなたはひとりじゃないよ。
だから、
寂しいなんて言わせない
(そんなこと考えられないくらい、俺が愛してあげるから。)