ふと思ったのですが
2010.11.08 Mon 09:41
昨日、一昨日と帝青、八青と文を上げたわけなんですが、文をかくにあたってまあ色々と考えるわけですね。帝人と青葉は原作の方に出ていますし、口調やら性格やらに気をつけてかくんですが、八房なんかは青葉が存在を口にしているだけなんですね。病弱であることと、ブルースクエアの名付け親であることくらいしか明記されていないんです。
つまりは八房の性格や口調はわかっていないわけです。そんな中で、こういうふうに文として書き出していいんだろうかと。
八房に限らずに、帝人や、青葉達のこと、自分は本当に理解しているのか?理解した上で魅力を引き出せているのか?
そんな風に考え出すともうキリがないです。
管理人は青葉がすきです。
それは萌えるからとか、そんな理由がないと言ったら嘘になってしまうんですが、最初にすきになったきっかけは、6巻最後の右手刺される場面なんですが。
青葉は16年しか生きてないんです。まだまだ人生の若輩者です。管理人とそう年齢も変わりません。青葉は一つのことを成そうとしています。そのために帝人の怒りを受け入れたと。
そんな青葉を、尊敬するんです。
管理人はただの腐った女子です。何かをやろうと思ってもそれを実行に移せない、意思の弱い人間です。
自分の持っていない物を持つ青葉に憧れて、青葉をすきになったわけです。
そんな青葉のことを、わたしはただ萌えるからという理由だけで、性格を、キャラを歪めているのでないか、そんな風に思うわけです。
確かに伝えたいことがあるのに、ストーリー性がないので希薄なものになっていると思うんです。短編だとストーリーは肉付けしにくいし、仕方ないものとは思うですがそれ以上に文章が幼いような、構成力も甘いもののように思うのです。
ただ萌えるだけのものでなくって、青葉のことを、二時創作的なものではなく原作の青葉について考えたことを表現したいのです。再現したいのです。
それでも原作の青葉のことを表現したいと同時に、萌えるものをかきたいとも考えてしまうんですが…。
両立は難しいものですね、改めて感じます。
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