☆道標(長市)
2019.04.28 Sun 07:57
・現代パロ
・破局し、付き合っていない二人
・が、悲しいお話ではありません
・長政視点
・のち、市視点
以上のことにご理解頂けましたら、本文へとお進みください。
『道標』
付き合っていた頃は、まさか、自分たちが別れるなどとは想像もしなかった。
何故、別れたのだろうか。
確か、色んな要因が重なったはずだ。そしてお互いに疲れてしまった。
俺は我慢が足りなかったし、彼女は意志の表示が弱かった。
思えば、性格から何から正反対の二人だ。『無い物ねだり』、『互いの足りないものを補い合っている』。うまくいっている時はそう思っていたが、歯車が噛み合わなくなってからは、そもそも正反対な二人がうまくいく訳ないのだと、真逆な考えにとらわれた。
そして、別れてから一年。
環境が変わり、全く顔も合わせなくなってからは半年近く。連絡はそれ以上の期間取っていない。
その間、彼女のことを思い出す日がありもした。けれど、それだけの事だった。
それなのに。
今、こんなにも、逢いたい気持ちにあふれている。
思いは日々つのり、携帯端末のアドレス帳を開いては、彼女の名前で指を止めている。
軽くタップすれば、声を聴くことが出来る。SNSからメッセージを送ることも出来る。
けれど、俺はそうしないでいた。
時期を同じくして、自室にある背の低い本棚の天板に、一枚のポストカードが鎮座している。
先日訪れた、とある美術館で購入したものだ。
緑の濃い山の中に、凛と咲き誇る一輪の山百合が描かれている。鬱蒼とした、どこか薄暗い色で描かれた緑に囲まれ、白い山百合はまるでそこで輝いているようにも見えた。
写実的でありながら、どこか輪郭を濁したような筆遣いが相まって、幻想的な世界を作り出している。
ミュージアムショップで、その絵を見た瞬間に何故か彼女のことを思い出し。気が付けば、ポストカードを手にしてレジに並んでいた。
短くはない交際期間の中で…どういった話の流れだったかは忘れたが…互いの住所を教えあったことがある。
使う機会などないだろうなと考えつつ、なんとなしに控えていたのだが、まさか、その機会がやってくるとは思いもしなかった。つくづく、人生とは何があるかわからないものだ。
しかし、今時手紙なんて、という躊躇いがない訳ではない。
年賀のやり取りでさえ、メールやSNSが郵送に取って代わりつつあると聞く。自分たちの年代であれば尚更だろう。
端末から電子メッセージを送るよりもハードルが高い、重い、などという声も聞く。確かにそうかもしれない。
それでも、手紙を書きたいと思ってしまったのだから、仕方ない。
しばしの長考の後、いよいよペンを手にする。
別に復縁を迫ろうという訳でもない。ただ、友人に連絡を取るだけだ。そう、ただそれだけの事。何を気後れすることがあるだろうか。
自分に言い聞かせるように呟いて、ハガキの下半分に設けられたメッセージ欄に文をつづる。
幸い大した広さもないそこは、すぐに文字で埋められた。
ここまでくれば、後は簡単だ。住所を書き込み、切手を貼り、投函をする。
…なんとなく、今の勢いのまま行動をしなければ、立ち止まってしまう気がした。勢いというものは、時に恐ろしく、時に偉大だ。
この場合はどちらに転ぶだろうか、などと思考する暇もなく、一連の動きを流れるようなスムーズさで終わらせる。
そして、ポストの投函口から引き抜いた手には、もう何も握られていなかった。
郵便受けの中に、ポストカードが入っていた。
手に取り、宛名や差出人を確認するよりも先に、描かれた絵画に目を奪われる。
暗く深い緑。白い、光にも似た百合の花。小さなポストカードでこれほどならば、実物の絵画はどれほど美しいことだろうか。想像するだけで、感嘆のため息が漏れた。
ようやくひっくり返したポストカードの宛名面には、懐かしい文字で懐かしい名が書かれていた。
きゅ、と、胸が締め付けられるのを感じる。
別れても好きな人、なんて形容は、陳腐だろうか。女々しいだろうか。未練がましいと非難されるだろうか。
それでも好きだから仕方ない、と開き直れるほど自分は強くもなく、いまだ好意を抱いているにもかかわらず、今の今まで必死にも一生懸命にもなれなかった。
(長政さま…。)
電子的なメッセージではなく、直筆の手紙であることが、あの人らしい。どこか古めかしいものを好むような、そんな趣向が似ていたことを思い出す。
ハガキの半分にも満たないメッセージ欄には、突然の連絡を詫びる言葉と、差し障りのない挨拶文。そして、
『このポストカードの絵を、市に見せたいと思った』
手紙を出した理由が、そんな言葉でつづられていた。
言葉の足りない不器用さ。少ない言葉で伝わる真っすぐさ。
(変わらない…市の好きな、長政さま。)
やわらかく、温かなものに、胸の内が満たされた。
久しく使っていなかったレターセットを引っ張り出し、机の前で大きく深呼吸をひとつ。それでもうるさい心臓に、ひどく緊張しているのだと自覚する。
(あの人も、こんな気持ちで手紙を書いたのかしら…)
書きたいことは山ほどあるのに、筆は全く進まない。
元気にしていること。手紙が嬉しかったこと。絵を美しいと思ったこと。そして、
『このポストカードの絵の実物を、一緒に見たいと思った』こと。
つづるのに、幾分か勇気のいる文章。けれども、今までずっとしまい込んできた勇気の使いどころは、間違いなくここだ。もう、後悔はしたくない。
悩みに悩んで書き上げた手紙。
それから更に悩みに悩んで、文面の最期に「逢いたい」との願いを書き添える。
手紙が届き、返事を書くのに一週間。
その手紙を投函するまでに、これまた一週間。
そして、手紙が届いたであろう日の翌日。
彼女の携帯端末は、懐かしい人からの着信を告げた。
END
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