それは、真実を知って、力を取り戻してから、よくよく考えた上で、悩みぬいた上での結論。
自分が決めた事だった。
だから、―――後悔はない。
二世を契る
シュンと光が走り、上空に穿界門が開く。
冬の空気が凛とした風となり吹き込んでくる。
それさえも心地よく、一歩を踏み出した。
その日、ルキアは久々に現世へと来た。
今日は現世では成人式という式典で、元服にあたるのだと現世の仲間から聞いていた。
それは世間に大人と認められるという事。
恋次達からも、代表して一言祝ってこいと言われた事も有り、友人達と会えることを嬉しく思いながらグッと背筋を伸ばす。
一歩トンッと大きく跳んで、風に死覇装をはためかせて、ルキアは空を駆けた。
仕事の都合で遅くなり、もうとっくに昼をまわっている。
どうしたものかと考えながら、いつも来ていた公園の上空で足を止めた。
大きく息を吐き出すと、下から自分を呼ぶ声を聴き、ひょいと見下ろせば有沢たつきが手を振っていた。
その姿は常になく艶やかな振袖という装いで。
「有沢!」
「久しぶりだね、朽木さん」
「うむ。元気そうで何よりだ」
何かしらの事件の度に、一護達とは顔を合わせてきたが、有沢や小島のような元クラスメートとは、そう会えたりはしない。
尸魂界の不変が、かの少年によって覆されて以降、溜りに溜まっていた膿や恨み辛みが噴き出したりするケースによって、ここ二年ほど事件は多発していた。
尤も、その大半に責任を取るかのごとく―――当人にその気は全く無いが――― 一護は首を突っ込んでいたりする。
「…また背が伸びたのでは無いか?」
「そう?」
「ああ。大学はどうだ?充実してるのか?」
「あ、うん。空手も頑張ってるよ。全日本の候補に選ばれる…かもしれないんだ」
喜ばしい報告に、ルキアも感嘆の声を上げる。
「凄いではないか!!」
「ん。でもあたし、教員免許も取るんだ」
「学校の先生か!!」
その未来の想像は、とても楽しいものだった。
「いつか、母校で空手部の顧問に!ってね」
「おお、良い夢だな、応援するぞ!」
グッと拳を握って、ルキアは力説する。
「ありがと。頑張るよ」
「!…そうだ、皆は変わりないか?」
「うん、皆元気だったよ」
式典は先ほど終わり、その時にたつき達は一度顔を合わせている。
「そうか、それは良かった。それにしても見事な振袖だな」
「ん、まぁ…お母さんのお下がりだから、デザインは古いんだけどね」
「そうなのか?だがそれだけ保つなら、母君の手入れと品物が余程良かったのだな」
「うん。母さんが当時斬新だったのかもしれないけどね」
「良く似合っているぞ。朱に金糸、百花の王たる牡丹か。そなたに似合う配色だ」
「そう、かな?」
照れくさそうに袖を持ち上げる姿は、微笑ましくルキアもふわりと微笑んだ。
「小島は褒めてくれたけど、ああいう奴だし、浅野は『馬子にも衣装』とか言うし」
「茶渡や一護は?」
「茶渡は口下手だし?一護は振袖は褒めてくれたよ」
「…何と失礼な」
憤慨するルキアに、たつきはからりと笑って否定した。
「あいつには元々期待してないって。それに一護の奴が気にしてたのは遊子ちゃんたちの時の事なんだもん」
「妹たちの?…まさか成人式での振袖か?まだ五年は先ではないか」
バカバカしいとルキアは鼻で笑った。
「大体小父様が用意するだろう?」
「んー、双子だから二倍かかるのは確かだし。その頃は一護も働いてるからね」
「…呆れた奴だな」
「ほんとだよ」
その通りだと二人で笑う。
そこに、二人目の知り合い、いや仲間が現れた。
「おーい、たつきちゃーん!!……って、朽木さん!!?」
女性らしい桃色を基調とし、色取り取りの華が艶やかに踊る。
白地の帯にも小花が散り、結われた髪をピンクのフラワーコージュが彩っていて織姫に良く似合う。
たつきの振袖がどちらかといえばしっとりとした落ち着きある風情なのとは好対照だった。
その出で立ちが、ルキアには眩しかった。
出会った頃の若々しさだけでは無く、当時よりずっと大人びた姿が、変わらない自分には眩しすぎると。
お互いに再会を喜び、成人の祝いを述べて。
心中の複雑な想いを全て隠して、ルキアは二人と一緒に笑っていた。
「そういえば、クリスマスの時の事、まだ聞いて無かったけど。どうだったの?」
たつきの質問に織姫が俯く。
「さっきは他にも居たから、聞きづらくって」
「うん、…それは、その。ダメ、だったみたい」
「え…」
「―――何の話だ?」
一人置いてけぼりにされたルキアが、首を傾げると、織姫がポツリポツリと話し始めた。
「クリスマスパーティーの帰りに、黒崎くんに、告白…したの」
「ダメだったって、アイツ!」
ギュッと拳を握りしめたたつきに、織姫は慌てる。
「ちょ、たつきちゃん!!」
「何でよ、アイツ、織姫の事フッたんでしょう?!」
一発殴る、と振袖なのも忘れて意気込むたつきに、織姫は落ち着いて答えた。
「だから、そうじゃなくてっ」
「何が?!」
「井上」
一人沈黙を守っていたルキアが顔を上げる。
「一護は『何と言って』いたのだ?」
そのポイントを外さない質問に、織姫はまた俯く。
「…『自分は誰とも結婚する気やつもりがないから』って。『誰とも子も作らない』って」
「はぁ?!何?あいつ、生涯独身主義だって言ったわけ?!」
「落ち着いてってば」
何とか宥めようとする織姫の背に、ルキアはニコリと微笑んだ。
「井上、有沢、すまぬが私は用事を思い出した。行かねばならん」
その声音の冷たさに、二人はピタッと動きを止めた。
「ではな」
止める間もなく、瞬歩で去ったルキアに、たつきは振り上げた拳を下した。
一発入れるのは、任せようと。
そして、くるっと振り返り、織姫をまじまじと見詰めた。
たつきの記憶が正しければ、織姫はかれこれ五年以上黒崎一護を想ってきた。
それだけ思い続けた男に『フラれた』割に、織姫はあっさりとしていて、正直解らなくなってくる。
フラれたと泣くなら、受け止めるし、やけ食いやヤケ酒だって付き合ったろう。
なのにこのあっさり感はおかしいと思うのだ。
「ね、織姫。アンタフラれたのに、どうしてそんな平気そうにしてるのよ?」
「だって、気持ちは受け止めてくれたし、出来ない理由もちゃんと言ってくれたし」
「アイツが言ったこと、『正確に』言ってみなよ」
きょとんとした後、記憶を辿りながら口にした。
自分をフッたセリフだからこそ、二週間以上経っても覚えていた。
『井上の気持ちは分かった。ありがとう、な。でも、俺は現世の誰とも、恋人とか夫婦とかの関係になる気は無い。
結婚も同じだ。子供も作らない。だから悪い。応えられない』
「それって、結局黒崎くんは誰のモノにもならないって事でしょ?」
「…まぁ、それは、そうかもしれないけど」
続く言葉に、たつきは唇を戦慄かせた。
「だったら、イイかなって思ったんだよ」
『誰のモノにもならないんだったら、自分のモノにならなくても良い』。
織姫はそう言っていた。
そこで初めて、たつきは織姫の一護に対する想いの形に気付かされてしまった。
それは、恋愛と呼ぶには歪んで聞こえた。
それは、アイドルに対する、ファンの心理が近いと感じた。
彼は皆のモノだから、とは若干の差はあるが、『誰のモノにもならない』という点は同じだろう。
勿論アイドルが誰かと良い雰囲気になれば嫉妬だってするだろう。
いや、織姫の置かれている環境から考えれば、アイドルではなく『ヒーロー』だと、たつきは気づく。
大学のカリキュラムに心理学がある。
それに興味をもって調べた事があった。
『シンデレラ・コンプレックス』
童話のシンデレラの様に、いつか王子様(私のヒーロ―)が迎えに(助けに)来てくれる。
そんな依存願望だとあった気がした。
そして、織姫はその『シンデレラ』の前提条件が当てはまってしまう。
親に疎まれ、庇護者である兄を喪い、学校では虐められていた織姫。
たつきはそんな織姫を護ってきたつもりだったけど……。
本当に織姫の心を支えていたのが、初恋の黒崎一護(王子様)への想いだったなら。
―――それは悲しい想像だった。
しかし厄介な事に、織姫はその自分のヒーロー像を黒崎一護の背中に投影している訳で。
その自分の理想を知らず強要してしまう。
だからこそ、その像から逸脱した途端、織姫は耐えられない。
一護が、解らなくなる。
そのヒーロー像は、あくまでも『織姫が理想とする』ものだから、『自分は彼を理解している』と錯覚をしてしまう。
しかし、それは所詮錯覚であり、生身の『黒崎一護』では無い。
理想を押し付けられ、それと違うから、『解らない』言われても、それこそ一護の方が『解らない』と言いたくなるだろう。
つまりは、織姫は黒崎一護への依存願望を捨てて、彼自身を見る事が出来ない限り、彼を理解する事は無い。
それは、織姫が一人の人間として生きていく上で、避けては通れない道かもしれなかった。
そうでなければ、仮に二人が結ばれたとしても、待っているのは疲弊の末の破局だろう。
まだ少々齧っただけのたつきには、そこまでの想像は至らない。
大きく息を吐き出して、フルフルと首を振り、哀しい想像を追い払おうとする。
ちょっとした違和感から、何だか芋づる式に浮かんで行った疑念に、たつきは幼馴染みの様に眉間に皺を寄せた。
何も気づかず、ただ盲目的に織姫の恋を応援していたけれど、一度浮かんだ疑念は、たつきにもうそうさせてはくれない。
何故なら、有沢たつきにとって、井上織姫は親友だけれど、『黒崎一護も大事な幼馴染み』なのだから。
けれど、いつから織姫は自分だけを見て欲しいという、極めて当たり前の感情を捨てていたのか、たつきには分からなかった。
端的に言えば、それは黒崎一護に限ってしまえば叶わない望みだった。
一度決めたら、一護は貫く。
助ける為に、駆けてゆく。
ルキアを助ける為に、織姫を助ける為に、と。
その姿を誰よりも身近で見てきたのが、ルキアと織姫だった。
ルキアがどうかは別として、織姫は自分でも自覚の無いまま、彼が自分だけを見る事が無いと悟っていた。
それでももう吹っ切れているのなら良かったのに、織姫の続く言葉に、泣きそうになった。
「それに、現世じゃない、尸魂界にいってからだったら、可能性もあるんじゃないかなって」
勝負はそれからと言いたげな織姫は、寂しそうに呟いた。
「あたしには、黒崎くんしかいないんだもん」
それは、好きになる男は一護だけという意味なのだろうかとたつきは米神を掻いた。
「あのねぇ、きっぱりフラれたんなら、見切りつけちゃいなよ。あたしは、織姫に幸せになって欲しいんだよ」
それはたつきの本音だった。
死後の世界へいっても思い続けるという言葉を口にする割に、向こうで死神となるだろう一護には、もっと近い存在がいる事に気付いているのかいないのか。
なんの隔たりも無い、同じ存在になれば、その自覚が出来れば、きっと躊躇しない。
ずっと織姫の恋が上手くいけばいいと思ってきたのに、此処にきてそれが良い事だとは、たつきには思えなくなっていた。
「たつきちゃん」
「あたしたち、まだ二十歳なんだからさ。人生まだまだ先は長いんだから」
平均寿命から考えたって軽く五十年は超えるだろう。
「で?その長い時間あの馬鹿が独身貫く理由ってなんなの?」
そして、その理由を聞き終わったたつきは、やるせなさに天を見上げた。
おそらく一護に説教という説得をしにいったであろう彼女が、同じくこの事を知った時、どう思うのかを想像して。