彼女の時々かなしげに歪められる大きな瞳に、いつしか俺は、言いようのない気持ちを抱いてしまっていた。
「あれ、詩音…何してんだ」
「圭ちゃん…」
もうすっかり日も暮れかけた金曜日、部活も終わったあと、忘れ物を取りに学校に戻ったら、そこには教室のなかにひとりで佇む詩音がいた。
詩音は一本の花が入った一輪挿しを手に、窓際から暮れなずむ空を眺めていた。
その横顔があまりにも悲しげで、俺の胸はきしり、音をたてる。
オレンジ色にそまった長い睫毛が、白い頬に影を落としていた。
「その花…どうしたんだ?」
「ああ…今日、わたし日直だったじゃないですか。帰ろうとしたら、知恵先生から、この花いけといてくれって頼まれちゃいまして」
さっきまでの悲しげな表情から一変して、いつも通りの明るい笑顔に戻った詩音は、その一輪挿しを持ち上げて答えた。
「窓際でいいですよね」
「ああ、いんじゃないか」
ことりとその一輪挿しを窓際の棚の上に置いた、彼女の背中。
ああ、また。どうして彼女はこんなにも。消え入りそうな瞬間が。
「…一緒に帰るか、詩音」
気がついたら、そう呟くように尋ねていた。そうでも言って、繋ぎ止めておかなければ、彼女は夕陽に溶けてしまいそうだった。
「…いいですよ」
詩音は振り返って笑った。
「知ってますか、圭ちゃん」
「何が?」
思えば、詩音とふたりだけでこうやって歩くのははじめてだ。近くで見ると魅音とほんとうにそっくりだった。ただ、魅音からはシトラス系の香りがするのだが、詩音からはそれとはちがう甘い花の香りがすることは、少し前から気づいていた。
「あの花の、花言葉です」
「ああ…うーん…わかんねーつか、花の名前すらしらね」
「ですよねー」
呆れたような声音。いつからかこうやって、少し小馬鹿にされるようなやりとりが、心地よく感じられるようになっている。
気がつかないふりをしても。胸は耐えず、建て付けの悪いドアのように、軋むのだ。
「はかない恋」
「ん?」
「花言葉てす。はかない恋って、いうんですよ」
やわらかな彼女の声が鼓膜を、心臓を打つ。その言葉が、まさに自分の彼女に対するこの淡いきもちを表しているようだった。はかないと断言されて、俺は勝手に失恋したようなきもちになる。
「アネモネの、花言葉です…」
ゆっくり瞼を閉じた彼女の目元から、やわらかな涙がするりと落ちた。
「じゃ、圭ちゃん、ありがとうございました」
「あ、いや…」
歩きはじめて全然時間は立ってないのに、詩音はくるんと向きを変えた。
「今日は沙都子と梨花ちゃまの家に行くので!夕飯の買い出しに行くんです」
「あ、そっか…」
沙都子がうらやましい。
思わず口を突いて出てきそうになった言葉を飲み込む。
俺にも、いつかそうやって、夕飯を作ってくれないだろうか。
なんてことを考えて、恥ずかしくなった。
「遠方にある人を思う、か…」
俺が唯一知っている花の花言葉。
彼女にぴったりだと、長く伸びた彼女の影に目を落としながら、そう思った。
もう会えないくせに
不毛な恋をする、俺も彼女も愚か者。
たいとる ばい ひよこ屋
わかりにくいと思うのですが、圭一は詩音は悟史のこと好きって薄々分かってて、でも詩音のこと好きなんで、花言葉とか興味無いけど、詩音と同じ名前の花の紫苑だけは調べたことがあって、紫苑の花言葉は遠方にある人を思う、だったっていう。ちなみに紫苑は太陽のあたるとこでよく育つ花らしくて、やっぱ詩音には太陽のような悟史くんが必要ですね。