悟史と詩音



君のやわらかい頬っぺに、ちいさなキスを落とす。君は恥ずかしそうにそこにてのひらを当てて、幸せそうに頬を染めた。


彼女が好きで好きで仕方がない。目覚めたとき、長年眠っていたせいで衰えていた足がちゃん歩けるようになったとき、はじめて外出を許されたとき、とにかく歓喜や幸せの瞬間には、必ず君が隣にいたね。君は僕よりそのことを喜んでくれて。
僕の退院は、まだまだ先。僕の目の前にひろがる未来は、苦しいことも多いかもしれないけれど、同じくらい、もしかしたらそれ以上の数、幸せや喜びが待っていると、今では思えるんだ。
全部、君のおかげだよ。
まだ退院は出来ないけれど、僕は今こうやって、診療所のそばの木の下、君のやわらかな膝に頭を乗せて、君のたおやかな手のひらで、髪の毛を弄ばれる、この瞬間があればそれでじゅうぶんだ。
そう思えたのも君の笑顔のおかげ。 目覚めたばかりは早く良く
ならなきゃ、って焦ってばかりで、再び症候群を発症する寸前までになってしまったことも、ある。けど君が泣くのを見て、君が笑うのを見て、歌うような声を聞いて。
「焦らないで、悟史くん。ゆっくりでいいんです。いつでもわたしは、貴方と同じ速度で、隣にいますから」
涙で濡れた僕の頬っぺたを撫でる詩音のてのひらは、あったかくてふわふわしてて、どうしようもなく悲しくて切なくて、そして幸せで、僕はますます涙が溢れた。



君はお返しとばかりに僕の頬っぺたにキスを返してきた。愛しさでいっぱいになって、彼女の身体をきつく抱き締める。彼女も僕の背中に手をまわして、しあわせそうにため息をついた。

君は僕がこの世に生まれ落ちてからはじめて、僕にしあわせといとしさとやさしさを教えてくれたひと。慈愛に満ちあふれるただひとつの歌を、僕に紡いでくれた。
どうか、最初の歌を、僕がその歌に同じように、しあわせといとしさ、やさしさを含んだ歌を返せるようになるまでどうか、歌うのをやめないで。
風に弄ばれる君の髪の毛を眺めながら、僕はそう祈った。





(けして上手なわけではないけれど、それは天使の歌だった)






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