カヤの外の人々
 2024年10月4日 (金) 00:12
何でもそうだが、現実世界っぽい世界がベースで、そこで魔法少女なり自分と限られた関係者だけが巻き込まれる感じで戦う系のフィクションだと、どこまで巻き込むかラインが引かれる。とりあえず全員戦わなければならず、その力がない者はみんな死ぬみたいなケースはレアで、大抵はそこまでではなく、一般人は何も知らないままか、知っていても対処する力をもたないカヤの外の人々として何かの脅威に怯えながら生活しなければならない。『リリカルなのは』はそのタイプで、しかも放っといてくれればいいのに力を与えられなかった人々がいろいろ勘繰ってきて無駄に苛立ってたりする面倒くさい部分が描かれる。まあ、ある意味現実的なんだろうけど、そんなリアリティは要らないんだよな。わざわざ人気声優を起用してカヤの外に設定されたキャラは不遇で、だんだん出番がなくなっていく。だったらいっそみんな巻き込んだほうがマシまである。コレクターユイとか、フリップフラッパーズとかは、やり方は違うけど、一般人だった友人が急に第二魔法少女ポジションになったり、実は全部仕組まれていて、友人と思っていた人は敵側の組織の人だったり、なんやかんや周りの人は実はみんな関係者だったみたいな話だ。これなら人気のあるカヤの外の人を作らず、みんなカヤの中に入れてしまって終盤まで見せ場があるようにできる。カヤの外のまま終わるんだったらわざわざ人気声優を使ってメインキャラっぽい顔に描かなくていいだろう。とはいえ、同じカヤの外の人々でも、なのはの兄は「どうせ誰にも話さないし、放っておいても自分で解決する。昔からそう」とちゃんと理解してくれている。やはり、幾ら昔からの付き合いで、親友とか言っていても、家族と同レベルにはなれないのだ。その決定的な差、越えられない壁というやつをあの兄と恋人がいちゃつくシーンだけで見せつけてくれている。カヤの外の人が、力になれないことでしつこく絡んできても「あなたにできることは何もないからこの件に首をつっこまないでほしい」なんて言えないだろう。黙っていることは気をつかっていることでもあるんだからそこは察しろとしか。
方向性の違い

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