欲張りな非日常(3)
「気さくなおじさまにご用心」
「ちょっと待て……ということはルートヴィッヒ、お前のファミリーネームはバイルシュミットだったのか?」
気を取り戻して開口一番に放った言葉がそれであった。
いまさら感が溢れ出るアーサーの言葉にルートヴィッヒはその口調に疲れを滲ませてため息をついた。
「昨夜ちゃんと自己紹介したはずだが」
「人の名前ぐらい覚えとけよ、カークランド」
まるで自分の部屋のようにくつろぐギルベルトを見つけて、アーサーは頭を抱えて唸る。
家主というのにもかかわらず床の上に放置されたままであったアーサーの胸には底知れぬ怒りが湧きあがっていた。
「ちくしょう……こんなチンピラに負けるなんて……!」
「チンピラってなんだよ。てめえ本気で殺されてえのか。俺に言わせればお前の方がよほどチンピラだっての」
先程、嫌というほど実力の差を見せつけられたアーサーはギルベルトの脅しに身震いした。
本能的に感じ取る危機感が、彼の怒りを制御する唯一の要素であった。
「どうして俺は、お前の正体に気付けなかったんだ……?」
幼少期から数え切れないほどの「人ならざる者」と接してきたアーサーは、ほかの同業者たちよりも敏感に悪霊の類の気配を感じ取れたし、それを自負していた。
しかし、今となってはその自信も目の前の「ルシファー」と名乗る大学時代の知り合いに打ち砕かれてしまったのだ。
そんな様子をちらりとも見ずに、本来ならアーサーの口に入る予定であったホットケーキを頬張り、ギルベルトは鼻で笑う。
「そりゃお前、俺が力を抑えてたからに決まってるだろう」
がっくりと肩を落としたままのアーサーを少し気の毒に思いながら、ルートヴィッヒは徐々にこの状況を受け入れつつあった。
あまりに自然な様子で語られる現世から離れた世界の話。
先程の超常現象的な出来事を否定する者はおらず、むしろ容認する人間(人間と言うには疑わしい者が約1名いるが)しかいない。
勿論、ルートヴィッヒはすべてを信じたわけではないし、信じようとも思わないが、実の兄を「ルシファー」として認めなければ話が進まないということだけは理解していた。
「仮に、兄貴が、その……魔王、だったとして、だ」
「お前に魔王って言われるの、ゾクゾクする」
「兄貴、黙って聞いてくれ。どうして教会に入れたんだ?幼い頃、一緒に行ったじゃないか」
ルートヴィッヒから魔王と呼ばれることに些か興奮を示したギルベルトであったが、教会という単語が出てくるなり「げえっ」と舌を出して明らかに嫌悪の態度を表した。
「そりゃ、胸くそ悪い場所だけどよ。昔の記憶が残ってる俺には耐性が付いてきてるんだよ。あと、信者たちの信仰心も薄れてきている。昔ほど脅威じゃねえよ」
「耐性って……ウィルスみたいだな、兄さん」
「ウィルスじゃねえよ!俺は抗体!ウィルスはむしろ教会の方だっての!」
「お前らとりあえず落ち着けよ」
アーサーがもっともらしくツッコミを入れるとギルベルトは手元のホットケーキに再び意識を戻した。
「そういえば、どうして兄貴はここに?」
ルートヴィッヒが首を傾げ、兄を見る。
彼の手には水の入ったグラスが握られており、それをアーサーに手渡そうとしたが、呆気なくギルベルトに奪われた。
「どうしてって、お前。前に連絡しただろう?」
「何を」
「お前の通ってる大学の院に入学することと、お前の部屋に引っ越すこと」
ルートヴィッヒは兄の言葉をうけてほんの数秒頭を捻らすが、やがて思い出したというように「ああ!」と大声を上げた。
随分前にメールを受け取っていたのだが、次々と襲いかかる不幸に忙殺され、すっかり忘れていたのである。
「す、すまない、兄さん。今、部屋のキッチンが使えなくて」
「まー、なんとなく予想はついてたけどよ……だからってカークランドの家に上がり込むことはねえだろ」
「予想はついてた?」
次に疑問の声を上げたのはアーサーであった。
よろよろと立ち上がりながらギルベルトの正面に据えられたソファに腰をかける。
「どういうことだ、それ?」
「……この際だから全部話すが……」
深刻そうな顔で、ギルベルトはナイフとフォークをテーブルに置いた。
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